小野 正人
まず, 私がこのシリーズで何を書きたいかを一言でいいますと, 「アンシャンレジームからカオスに陥った日本の新しい秩序を作る結晶核はなんだろうか。やっぱりアントレプレナーシップぢゃなかろうか?」ということです。今流行の複雑系物理学は, 混沌から秩序が生まれるという理論ですが, そこでもある一定の核や場があるとないとで結果が違うという話です。複雑系の説に則って, では今の日本を転換させる核や場はどんなものが良いのでしょう。ここではそれを模索していきたいと思います。
●不安な訳
日本の現状は説明するまでもないでしょう。世界をみても, 浸透してから10年も経っていないグローバル資本主義が, ジョージ・ソロスの言うように危機を迎えています。経済発展の時代が, 個々の心の中で漠然とした形で反省され, 次の変化に対して整理できていない不安が徐々に高まりつつあります。
この不安は, 大きくわけて3つの視点からなると思います。第一は, グローバル・スタンダードにしなければいけないのか, 日本独自を尊重すれば良いのか, うまく咀嚼できていないことです。単にアメリカのシステムが良いからといって日本に持ち込んでも, うまく行くとは思う人が日本では少ない。十分論理立てて考えている人は少ないでしょうが, 経済システムを動かしている場は日本人の集合意識である。それが日本固有なものであるのに, グローバル・スタンダードなど急に持ち込まれたって, かえって軋轢を起こしてしまう, という多少感覚を含んだ意識です。
もう少し, 平均的なサラリーマンの考えまで降りてみましょう。
「世界的な競争の時代で, 今までのやり方ではいけないらしいことは分かるが, その結果どういうことになるのかよく分からない。グローバル・スタンダードとか言っているが実際はアメリカ標準であって, そのアメリカでは貧富の差が拡大しているじゃないか。」, あるいは, 「アメリカは都合の良い状況にグローバル・スタンダードを持ち込んでいる。これではアラブ諸国やマレーシアのマハティールがダブル・スタンダードと反発する方に応援したくなる。」外に言わないまでも, こういう意識を持つ人は少なくないのではと思います。
●村の崩壊?
二つ目は, 「ムラの崩壊」にあると思います。明治維新に発展した日本人の国家意識も, 国家意識はファッショだという戦後の多数派意見に押されてあっという間に失われました。そのあと野口悠紀雄先生のいう55年体制の中で, 党官民の鉄の三角形がどんどんと頑丈になっていきました。政治家は地元という村に意識があり, 官僚は官庁という村に意識があり, 会社員は我が社という村に意識があって, 明治人の国家意識から近世の「村意識」にかたちは違えど逆戻りしたわけです。ひとたび村対抗がはっきりした論議ともなると, 昔の村民運動会の地区対抗リレー(こういっても分かる人が少ないかもしれません。私が山奥の出なものでして…)のようにみんなが猛烈に興奮してしまい, 全体利益はそっちのけになります。
ところが今, 我が社という村が大変な状況になっている。自社でも売上の落ち込みや多角化の失敗で大赤字, なおかつ支援してくれていたメインバンクも自分のところが一大事になっている。先行きをみても, 雇用不安は益々拡大するし, 年金の時価会計をやれば企業は数十兆円足らないそうだとか, とにかくサラリーマンにとっては, 会社が崩壊するかもしれないという過去の非常識を想定しなければなくなっているのです。そんな時, これまで村の決定事項に半分無意識で追従していた村民達は, ではこれから誰と一緒に動けば良いのだろうと迷っています。
●ついていけるリーダーがいない。
三番目は, ついていけるリーダーがいないことへの不安です。変革は得をする人もいれば損する人もいるプロセスであり, 国家であれ企業であれ政治的な作業です。民主主義の中では, 大きく2通りのやり方があります。市場に任せる方法と, 政治家・官僚の主導によって変革していくやり方です。どちらにせよ, 急激な変化が予想されている事態においては, プロセスの中で損得があったとしても最後は一国全体として良い経済社会になるのだ, ということを納得させる必要があります。そうでなければ小手先の改善と旧制度が併存して収拾がつかないままになってしまうでしょう。
農耕民族たる日本では, 急激な変化への対応のために衆を率いていくリーダーが育たない土壌にある, と良く言われます。多かれ少なかれ国民は皆リーダーは祭り上げておくもの, 実質的には官僚や会社の企画部のような参謀役が意志決定するのが普通だと思っています。ですから, 近代以降の日本における問題解決法は, トップが将来をこうだと自ら示して強引に引っ張っていくスタイルはほとんどありません。リーダー自身の決定への全面依存というやり方は, 江戸時代降の日本では馴染みがなく, 状況が悪くなって誰も変革に反対できなくなるまで待つ, というのが典型的な対処方法だったと思います。
●新しい秩序を作る核は起業家, 場はデジタルネットワーク。
では, そのように不安や問題意識を持った人々が, これから何に重きを置いて行動していくべきなのか。あるいは, 企業などの民間組織や自治体が, ダウンサイジングや廃業で活動量が減っていきますが, 結果として特に雇用の場が少なくなる。抜け落ちた雇用を何で埋めていくのか。
その動きの「核」は, やはり個を持った起業家ではないかと考えます。つまり, 村意識の強かった一般サラリーマンも徐々に個のつながりで活動することを有益と考えるようになり, また既存の企業から付加価値や雇用は, 十分補完できるかどうかは別にして起業家セクターに頼らざるを得ないと思います。21世紀は, あらゆる面で個の役割が大事になりそうです。社員は個をベースに組織で働き, ビジネスも個を対象にしたビジネスが重要になり, このような状況下でリーダーシップを発揮できる経営者の存在が極めて重要です。ただし, 留意にする必要があるのは, 個同士の相互作用は, 価値観と感情を含めてお互いが納得しあう必要があることです。
もう一つ, 新しい秩序を作り出す触媒としての「場」(インフラとかプラットフォームといって良いと思います)として重要なものは, やっぱりインターネットを軸とした情報通信技術だと思います。会社に代わるコミュニティは, なかなかフェイスツーフェイスの交流の場では出来にくいのが現代社会です。ネットワーキングが極めてローコストでかなり自在に出来るインターネット技術(ホームページ, 電子メール, メールマガジンの類です)は, アナログ的な交流よりも, 経済的には圧倒的に優位です。デジタルネットワークは感覚的な利便性や心地よさを完全に充足できないでしょうが, 今後10年というタイムスパンでみれば, 人々が何らかの帰属意識を持つ新しい村が登場していくと感じています。