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Tech Venture/テックベンチャー

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ハイテクベンチャー

22 6月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(3)』

谷川 徹


3回『ベンチャー企業のインキュベーターとして機能する米国大企業』 
     ― 急成長するシアトルハイテク産業の背景 ―

●シアトルの変貌

シアトルの町は美しい。アメリカ西海岸最北部にあるワシントン州最大の都市は、別名"Emerald City"と称されている。海と森と複雑に入り組んだ湖に囲まれ、晴れた日には万年雪を頂上にいただいたレーニエ山を南方に、また西には海を越えてオリンピア国立公園の山々を望み、息をのむほどの美しい景色を楽しむことが出来る。人々は四季を通じて釣りやスキーなどのアウトドアスポーツを楽しみ、秋には郊外のワイナリーで収穫を祝うなど、アメリカ人をして"全米で最も住みたい町のNo.1"と言わしめたのも当然である。 また、神戸と姉妹都市の関係にあるこの町には、アジアと北米の間を結ぶ航路の重要な拠点港として、昔からアジア人、特に日系・日本人が数多く居住する。坂道が多くまたエキゾチックなその雰囲気は、どこか小樽、神戸、横浜といった日本の港町を彷彿とさせ、安全度の高さとも相まって多くの日本人観光客を集める要因となっている。

 またシアトルといえば、比較的アメリカ事情に通じた人でも、昔ながらの水産業、ボーイング社(航空)、ウェアハウザー社(木材・紙パルプ)等、既に日本でもおなじみの伝統的大企業の本拠地を連想する、というのが一般的であった。

 しかしながらこのシアトルが今、情報通信産業を中心としたハイテク産業の勃興でシリコンバレーに劣らぬ注目を集め、特にマイクロソフト社を中心としたソフトウェア企業群の集積等、新興産業の勃興で急速な経済成長を遂げているのである。即ち現在のシアトル地域はマイクロソフト社(言うまでもなく世界一のソフトウェア企業)の成長に加え、同社やボーイング社(世界最大の航空機製造企業)、またマッコーセルラー社(現在名AT&Tワイヤレス:元全米最大の携帯電話サービス企業)といった大企業から、スピンオフあるいは素晴らしい生活環境に憧れて当地にやってきた、起業家やベンチャー企業によって大いに活性化し、経済構造も一段とソフト化して先に述べたかつてのイメージを一新させている。

いわゆるドットコム企業の先駆けで今や株式時価総額数兆円を誇るオンライン書籍販売の雄、アマゾンドットコム社(Amazon.com)や、インターネット上での動画、音楽配信事業で過半のマーケットシェアを有するリアルネットワークス社(RealNetworks)等がその好例である。何しろここシアトル地域には、Washington Software Alliance(略称WSA:ワシントン州のソフトウェア企業支援団体)によれば約二千社にも上るソフトウェア企業が集積し、シリコンバレーを凌ぐ急成長を遂げているのである(注1)。この他、テレコミュニケーション産業、バイオテクノロジー等が急速に発展中で、当地の経済成長テンポは全米でもトップクラスである。

(注1)今やソフトウェア産業はワシントン州で航空機産業に次ぐ第二の産業であり、売上も西暦2000年までに200億ドルに到達すると言われている。この結果最近の調査では、ベンチャーキャピタルの州別投資額でカリフォルニア、マサチューセッツ、テキサスといった常連に次ぐ水準を記録しており、シリコンバレーのベンチャーキャピタルが当地に次々とオフィスを開設中である。

すなわち、シアトル地域は、大企業とベンチャー企業、伝統的産業と新興産業が程良いバランスを実現し、更にはスターバックスコーヒー社、エディバウアー社、ノードストローム社といった今のアメリカで最も輝いている小売企業をも生み出し、新しい生活文化の発信地ともなっているのである。言い換えればシアトル地域は、環境、安全、生活コストといった面で高いレベルの住環境を人々に提供しているのみならず、産業面でも理想に近い形で成長を遂げ雇用の安定を実現している地域なのである。

●大企業の貢献

この要因として第一に挙げるべきは、大企業の果たした役割である。アメリカは地方分権の国であり、各地方が自らの経済発展に責任及び権能を持って経済開発の努力を行っている。そしてまたアメリカにおいては、大学を核にした発展、軍の資産を核にした発展、エンターテインメントを核にした発展等々、各々の地方・地域が、異なったあるいは共通の経済開発・発展の為の形態を持っている。
しかるに、シアトルの特色は、大企業が地域の経済発展の核として多様な面で大きく貢献していることである。単に大企業が雇用創出や地元での経済活動等、直接に地域の経済発展に寄与しているのみならず、新しいベンチャー企業の創出や、地域ボランティア活動への参加等、多種多様な形で地域の経済社会の発展、改善に貢献しているのである。

−『ベビー・ビル』型の起業−
 先に述べたマイクロソフト、ボーイング、マッコーセルラーといった大企業からは、企業内で多くのことを学んだスタッフ達が「スピンオフ」の形でベンチャー企業を興し、またシアトル地域にはこれら大企業のノウハウ、技術、仕事を求めて全米から多くの起業家が集まってきている。即ちスピンオフや世界から適地を求めて集合する起業スタイルは、何もシリコンバレーだけではない、ということなのだ。
 例えば、ボーイング社からは機体設計部門の3Dソフトのデザイナーが独立して、インターネット上で使用可能な次世代型大型設計ソフトを提供するResolution Technology社を設立、ヒューレット・パッカード、シリコングラフィックス他、日本の自動車メーカーからも引き合いを受ける程の成功を収めつつあるし、マイクロソフトからは、前述のRealNetworks 社(元マイクロソフトの副社長であったRob Glaserが創設)をはじめ、Arthur Anderson賞他数々の賞を受けている、企業の顧客管理統括ソフト開発企業Onyx Software社等、『ベビー・ビル』(ビル・ゲイツの子供、すなわちマイクロソフトの社員からスピンアウトして生まれた企業)と称されるベンチャー企業群が勃興している(注2)。無論マイクロソフト関連の多くのビジネスが当地にあることを目的に、一騎当千の起業家たちが当地に集まり事業を興している例は枚挙にいとまがない。

(注2)また日本人初のマイクロソフト社社員であったYasuki Matsumotoは、現在地元シアトルに拠点を置くベンチャーキャピタルの社長として活躍中であるし、元同社社員の日系人、Scott Okiは現在オキ財団を主宰、地元財界の有力者でありエンジェルとして地元のベンチャー企業の支援を行っている等、このベビー・ビル集団には日本人、日系人も存在している。

更には、マッコーセルラー社からも、同社がAT&T に買収されAT&Tワイヤレス社となるに際し通信関係企業が多く巣立っている。日本のIDOが当地に研究所を近年設立したが、この背景には同社及びそのスピンオフ企業群の蓄積の魅力があったことは間違いない。

このように、当地シアトルの産業構造の大転換(伝統産業からハイテクニュービジネス)、ベンチャー企業の勃興による経済の活性化は、大企業の果たした役割を抜きにしては語れない。それはあたかも企業そのものがビジネスインキュベーターの役割を果たしているかの如くである。
また、このように傘下から多くの優良ベンチャー企業を輩出するのみならず、これら大企業は、会社自身が多大な寄付行為を行うと同時に、従業員の地域社会貢献活動を積極的に支援している。このことは不況期でも変わることはない。日本でバブル期に一時盛り上がりその後いつの間にか忘れ去られてしまった、フィランソロピー活動の底の浅さとは随分差があるのが実態である。

上述のごとき、企業からのスピンオフによるベンチャー企業の輩出サイクルは、シアトルに限らず、シリコンバレーは勿論全米各地のハイテク勃興地域で顕著に見られる事例である。当地もまた他の成長地域と同様、ワシントン大学といった極めて高いレベルの研究型大学を擁し(連邦政府から毎年数百億円の受託研究を受けており、その水準は全米一、二位を争う)、技術と人材のバックボーンを有している。更には「クオリティ・オブ・ライフの実現」という生活環境の素晴らしさがあることも同様である。
といっても、シアトルの場合は、やはりボーイング、マイクロソフトといった存在が極めて大きく、企業城下町的色彩が他地域よりは強い。にもかかわらず、そういった企業の経営資源をバックにして新しい企業が次々と誕生しているダイナミズムにシアトルのもう一つの特徴がある。それでは、大企業がベンチャー企業を生み出す実質的なインキュベーター、すなわち「起業の苗床」となっているこのシアトルの背後には一体どのようなメカニズムがあるのだろうか。

●企業がビジネスインキュベーター化する米国の社会風土

起業を支援する専門組織、すなわちビジネスインキュベーターという存在は、米国において数百以上を数え全米の組織も存在する。女性、退役軍人、少数人種といったマイノリティ支援という社会政策に加え、起業を促進し優良な企業を育てることにより、地域の雇用促進と経済発展を目指す観点から、多くの自治体やNPOがこの事業を支援している。無論ハイテクベンチャーを育てることを目指してのインキュベーターも大学内をはじめ数多い。しかし、何と言っても実業を行っている企業に勝るインキュベーターはないのである。

米国でハイテクベンチャー企業向けのビジネスインキュベーターという場合、そのサービスとして、情報インフラを備えた低廉なオフィススペース、様々な秘書サービス等に加え、起業から成長に向け、実務経験豊富なマネージャーによる様々な実務指導、コンサルテーションが行われるのが通常である。外部のコンサルタント、弁護士、公認会計士等の応援も得て、マーケティング指導、会社設立のアドバイス、人材斡旋から、資金調達の斡旋を行うこともある。このあたりが、有効なコンサルを提供できずにビルのオーナーとあまり変わらない多くの日本のインキュベーターと決定的に違う点である。

しかし、企業内では、こういった業としてのビジネスインキュベーターにない多くの特質がある。即ち現実の市場から受ける「多くの刺激」と「ビジネスのヒント」である。現実の厳しい競争の中では、中途半端な技術、コンセプトや市場戦略はたちどころに敗北の憂き目にあう。企業の将来をかけた競争はその渦中にあるスタッフに対し、市場のトレンド、技術の方向性についての冷静な目を養わせる。企業利益を賭けた交渉は、結果として多くの外部の人的ネットワーク形成につながることが多い。また、企業内部における厳しい効率性の追求、競争の存在は、成果達成スピードの必要性を否が応でも認識させられる。これら全てはインキュベーターの中では、また一、二年では得られない貴重な財産である。また企業の中には営業、財務、法務、人事といったセクションが存在し、企業人が努力すればそういったセクションのプロフェッショナルと知り合うことも可能である。企業の規模が大きくなればなるほど、経験できる技術、市場は広く、その企業のインキュベーターとしての質は上がるのである。
それゆえ、企業内で研究を続け過去に製品をマーケットに送り込んだ経験のあるエンジニアや、あるいは長年マーケティングに従事して業界の需要、技術動向に精通するスタッフ等は、その業界、企業の中で専門分野を磨いており、革新的な技術のシーズ、あるいは斬新なアイデアやコンセプトを発見するチャンスに恵まれている。大学を出たての起業家が新しい事業を興したりするのとは異なり、そのような企業人達は業界において起こりうるリスクを身をもって体験しており、彼等が生み出す新しい技術、アイデアの事業性、実現性が高いのは当然である。この点は日本もアメリカも同じではないだろうか。

しかるに決定的に両国で異なるのは、そのような企業内技術者、スタッフが企業を飛び出して新しい自分の、または他のメンバーとチームを組んで会社を興すことが、日本であまりにも少ないことであろう。最近では企業内ベンチャーという制度もよく聞かれるようになったが(その成果や実際の運営のされ方は私は知らないが)、身分が保障され、本当に自由な発想と行動が許容されているか疑わしく、ぬるま湯的な旧来通りの企業カルチャーに浸りつつ、また異質な人達の刺激を受けにくい環境下では限界があるのでは、というのが門外漢の私の印象である(無論こういう制度がないよりはいいのだが)。

シアトルのケースの彼等がどういう気持ちでスピンオフしたのかは定かでないが、企業も、企業内の人間も、人材が企業から移動すると言うことに対してさほどの抵抗がないように思う。多くの意欲あるアメリカ人にとり、企業とは自らのビジョンを実現する場であり、企業にとっても、スタッフは企業自体の目的を実現するために能力を提供してくれる協力者である。企業、スタッフ両者の間には対等な緊張感がある。少なくともベンチャーの世界ではそういう気がする。無論、転職にマイナスイメージがなく、失敗してもそれが決定的な烙印にならず、再チャレンジを歓迎する、そのかわり自己責任体制が明確で、お上の助けなんぞは期待しても無駄、という社会風土が前提なのであるが。

●企業からの脱出への期待
未曾有の経済停滞下の日本では、企業城下町といわれた都市、地域の多くが、核となる大企業の不振で地域全体の経済が沈滞し将来像を描けずに呻吟している。米国のシアトル地域において、大企業からスピンオフという形で新しい企業が次々と生まれ、新しい時代のニーズに対応して地域の活力が維持されている構図との懸隔は大きい。

巷間言われていることだが、日本の企業が終身雇用制を前提としたゼネラリスト集団で、どこでも通用するプロフェッショナルを養成する事に必ずしも熱心でなく、また日本の社会自体も転職、中途採用を白眼視してきた今までの社会風土や企業文化に、その原因の多くが存在するように思う。また働く人達自身も、終身雇用制に甘え自らを磨き絶えず新しいものに立ち向かおうという努力を怠ってきたのではないだろうか。そうであるならば、日本のベンチャー論は、社会(会社)を原点に戻すルネサンス運動となるべきだろう。
  ただ、逆の見方をすれば、日本のそのような社会習慣、企業風土が多少なりとも変化すれば、元々世界レベルの技術の宝庫の如き日本企業から、革新的な技術をもったベンチャー企業が生まれ、日本経済を活性化あるいは大きく構造転換させる可能性は大いにあると思われる。TechVentureを読まれる方々に、近い将来に一歩でも自分なりのチャレンジに踏み込まれることを期待したいと思う。(続く)
18 5月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(2)』

谷川 徹


第2回『米国地域経済、ハイテクベンチャー振興に寄与する軍民転換』
―サンディエゴの例を中心として―

●冷戦終結のもたらしたもの
欧州のユーゴスラビアでは、コソボ紛争解決のため米国を中心としたNATO軍の激しい空爆が続いている。湾岸戦争時はイラクの軍需施設のピンポイント攻撃を可能にし、大きな成果と称賛を浴びた米国のハイテク軍需技術も、今回は誤爆が続き厳しい批判を浴びている。ただ、湾岸戦争以来テレビの映像を通してお茶の間にも一般的に知られるものとなってきた、米国を中心とする軍需技術へのハイテク利用は、今回一層一般的に知られるようになってきた気がする。(無論あの程度のことでは今の軍需技術のレベルの高さと幅の広さを説明しきれないのだが)。言うまでもなくアメリカは、ソ連の崩壊による冷戦終結以来、世界最大、最強の軍事大国であり、世界の警察をもって自他共に任じている。直接軍に属する人達はもとより、国防関連事業に直接間接に雇用される人数は、ピーク時の80年代後半には約340万人に達した他、今も米国の防衛予算は日本円換算で約30兆円、日本の年間国家予算の約4割にも達しているのである。またその相当部分が防衛技術開発に当てられ、軍内部、付属研究所は勿論のこと、大学、防衛関連企業等への委託研究といった形で先端的技術開発が進められている。その範囲はきわめて広く、核兵器開発といった直接的兵器開発はもとより、機械工学(ロボット技術等)、材料工学(耐熱耐水技術等)、情報通信(含むコンピュータ、ソフトウェア)工学(コンピューター・グラフィックスによるシュミレーション技術、暗号技術等)、気象学、電気電子工学(レーザー、レーダー、センサー等)、エネルギー工学(燃料電池等)、化学・バイオ技術(化学兵器等)等の各分野で、資金に糸目を付けずに研究開発がなされているのである。
これらの技術は、本来軍事目的で開発されているものの、開発された技術そのものは民生用にも適用可能なものが多く、実際冷戦終結後の90年代の前半からは、防衛予算大幅削減(ピークの年間約3千億ドルから十数%減)後の経済への悪影響を憂慮した政府の後押しもあり(軍事技術の商業化促進等のため年間数億ドルの支出実施、(注1)、軍事技術への民間アクセスは進行した。また軍関係機関、防衛産業の人員大幅削減で、これらの部門からは多くの技術者がスピンオフし、同時に高度技術もアメリカの産業界に移転流出した。

とりわけ最大の防衛関連産業を抱えていたカリフォルニア州(注2)は、冷戦集結の経済的打撃は大きく、89年から93年にかけては数十万人の防衛関係エンジニアが職を失ったと言われている。ただ、これらの人材の多くがエンターテイメント(映画、放送等)産業等、既存の企業に吸収されるとともに、自らの技術と能力を基にしてベンチャー企業を興しているのである。

(注1)この他、1989年の国家競争力技術移転法による国立研究所の軍事技術民生移転促進等がある。
(注2)ロッキード、グラマン、ダグラス、ノースロップ、ヒューズ、ロックウェル等多くの航空宇宙防衛産業が、カリフォルニア州(特に南カリフォルニア)に本拠をおいていた。

例えば97年から98年にかけて世界を席巻した、映画"タイタニック"の背景としてふんだんに使われる海の様子は、その大半がCGで作られたものであるが、これを請け負った企業は、防衛産業に勤めていた技術者がそこで得た技術を基に設立した、ロスアンジェルスに本拠をおくベンチャー企業である。また私がロスアンジェルスに滞在していた頃訪問したハイテク関係のベンチャー企業の大半では、かつて防衛産業で働いていたというエンジニアが重要な役割を果たしていた。印象的であったのは、その全てが生き生きとし、次なる成功に向けて夢を熱っぽく語っていたことである。レイオフにあったというような暗さなどほとんど感じなかった。こういった、軍需関連事業に係わる人材、技術の如きリソースが民間に移転し、民間の需要にマッチした形で花開いている例は、アメリカにおいて枚挙のいとまがない。第二の産業革命とも言うべき情報革命の主役たるインターネットも、元はといえばアメリカの軍用技術を一般に公開したことに始まっている。こうした防衛関連産業における優れた経営資源が、一般の産業社会の需要にマッチする形で移転される状況は、一般に軍民転換と呼ばれている。この軍民転換という大きな流れが、アメリカでは産業の発展に大きな役割を果たしているだけでなく、ハイテクベンチャービジネスがこの10年数多く出現している背景の一つである。

●サンディエゴの変貌
ところでカリフォルニア州に、この軍民転換という現象が地域経済の転換、発展に大きく役立っている町がある。メキシコ国境にもっとも近い港町サンディエゴである。いつもカリフォルニア特有の青空が広がり、温暖で、シーワールド、サンディエゴ動物園、更にはウォーターフロントに続く瀟洒なショッピング街、といった数多くの観光ポイントを擁する当地は、アメリカ有数のリゾート地であるが、同時にアメリカ太平洋艦隊の母港として著名であり(注3)、1920年代から海軍や航空部門の基地として発展してきた町である。

(注3)*米国西部地区最大規模の軍事基地の町であり、現役軍関係者約12万人、国防省での雇用民間人は約2万5千人に上る。また当地の航空機産業は、サンディエゴの企業がリンドバーグが大西洋横断飛行に成功した航空機をデザインしたことに端を発しており、その後第二次世界大戦前は、全米の約半分の航空機製造が当地で行われるまでに発展、戦闘機製造も含めその後1980年代頃まで興隆を誇ったのである。

サンディエゴは、現在の人口が二百万を超えカリフォルニア州第二の規模を誇るが、この町は観光の町としてだけでなく、今や北米自由貿易協定(NAFTA)に基づくメキシコ保税加工地域(マキラドーラ)の米国側大拠点として名を馳せている。しかしながら当サンディエゴの名を世界に知らしめているのは、最近では全米でも有数のバイオテクノロジーと無線通信の拠点という事実である。数多くのノーベル賞受賞者を輩出している大学(UCSD等)や、研究所(Scripps研究所、Salk研究所等)を擁することによる人材、技術の伝搬で、当地がボストン、シリコンバレーに次ぐ全米有数のバイオ産業のメッカであることは周知の事実であり、また軍や防衛産業の需要や技術、人材を背景として、無線通信、インターネット産業等の一大集積地として急速に発展していることもまた、情報通信分野では常識のことである。市の北部のソレントバレーという地には何十社もの通信関連企業が集積し、テレコムバレー、あるいはワイヤレスバレーと呼称される他、今日本でも話題のCDMA技術(デジタル無線通信の一技術:日本でもIDOが採用)を開発、NTTと世界標準を争う無線通信の急成長ベンチャー企業、クアルコム社(Qualcomm)も当地に本拠を構えている。この結果、ソニーをして"サンディエゴは世界のワイヤレス通信のメッカ"と言わしめているのである。

現在のこのバイオ産業と、通信産業はサンディエゴ市の今後の成長の原動力といわれている。即ちバイオ産業で約1万5千人、通信関係で約2万数千人と、未だその数は少ないながら急速な成長(年率50〜60%の伸長)を遂げ、サンディエゴ市が全米平均を上回る経済成長を遂げている源の一つとなっている。また観光、航空機産業といった今後の成長に多くを期待できない産業に代わる、技術関連産業として大きな期待をもたれているのである。

このサンディエゴ経済の新しいエンジンたる通信産業こそが、防衛関連技術・人材の民生利用の成果、即ち軍民転換の申し子である。サンディエゴ通信企業の代表格、上記クアルコム社は、元UCSD(カリフォルニア大サンディエゴ校)の教授ジェイコブス氏(Irwin M.Jacobs)が1985年に創業したものであるが、同氏は、通信設備を軍のために開発する目的で設立したリンカビット社より同社をスピンオフさせ、軍用に使用されていた技術を基にCDMA技術を開発したのである。同社はこのCDMA技術の他数多くの通信技術を開発(電子メールソフトのユードラも当社製品)、創業13年にして今や売り上げ30億ドル超、従業員8千人を数える大企業に急成長し、大企業の代名詞とも言えるFortune500社の仲間入りを果たしている。このクアルコム社をリーダーとして、サンディエゴにはヒューズ(Hughes)、スリーコム(3Com)、コムストリーム(ComStream)、ゼネラルインスツルメント(General Instrument)、といった著名な米国企業が、通信技術の拠点を開設しているほか、日本企業も、ソニーをはじめとして、日立グループ、トヨタグループ等が当地に研究拠点を設置している。そういった意味でサンディエゴ経済の浮揚の鍵、大げさにいえば通信というアメリカ経済成長の基幹産業の基礎産業のひとつが、この軍民転換という形から発生していると言えるのである。

この他、サンディエゴを代表する企業のひとつSAIC社(Science ApplicationsInternational Corpolation)のケースは、防衛関係の技術、人材と、産業の連携をより明確に示している。SAIC社は、核兵器開発で有名なロスアラモス研究所での研究経験を持つ物理学者ベイスター氏(J.Robert Beyster)が1969年、政府、軍に対して原子力及び核兵器の影響に関するコンサルティングを行う目的で起こした会社である。現在は防衛関連を始め、情報通信、宇宙、エネルギー、環境、ヘルスケア等々、あらゆる科学技術に関する研究、コンサルテーションを行い、売り上げ約30億ドル、従業員3万5千人の大企業になっている( 当社もFortune500社ランク企業)。SAIC社の大顧客は政府及び軍であり、同社開発技術の多くが防衛需要を前提に生まれたものである。その意味で当社はサンディエゴ最大の防衛関連企業であるが、注目すべきは、同社がそのコア技術と関連した多くの子会社群を有していることや、同社がハイテクベンチャー企業に優秀な人材、技術を供給する宝庫となっていることであるすなわち、最近のビジネスウィーク誌でベスト情報関連企業100社の一つに選ばれたネットワークソリューション社(Network Solution Inc.:インターネットのドメインネーム提供サービス企業)等、錚々たる企業が当社の傘下にあり、同社のカバーする技術と良い補完関係を保っている。また上記クアルコム社には多くの当社からスピンオフした人材がいるほか、電子商取引に必須のPIN(暗号)技術で成長したサンディエゴのベンチャー企業、ファーストヴァーチャル社(First Virtual:現在は業容を変化させ、シリコンバレーに移転)にも当社出身のエンジニアが数多く存在する。

このようにサンディエゴでは、軍(防衛)関連の技術、人材が民間需要分野に展開して、ベンチャー企業創出等大きな成功を挙げている例が多数見られ、かつそのおかげで地域経済の持続的発展を可能にしているのである。ここには基幹産業が衰退して空洞化に悩む姿はない。一方同じ南カリフォルニアのロスアンゼルスは、いまだ防衛産業のリストラのマイナスの影響が大きく残るものの、多くの元防衛関連エンジニアが、マルチメディア技術を駆使して世界を席巻しつつあるハリウッド映画と結びついた、コンピュターグラフィックス等のハイテクベンチャー企業に吸収され(その数10万以上といわれている)、ロスアンゼルス復興の立役者となっているのである。

●産業構造転換を推進するもう一つの力
それでは、このアメリカの軍民転換という事象から我々は何を学べるのであろうか。確かに日本は、防衛予算規模では世界でも大国とまでいわれるようになってはいるものの、軍(防衛)関連の事業から革新的な技術、人材が流出し、経済にインパクトを与えているという状況では全くない(民間企業からすらほとんどないのだから当然ではあるが)。軍という存在を肯定するわけでもないし、多くの予算を防衛関係に投入すべきというつもりもないが、アメリカの例で感じることは、国家政策として軍事技術の民生移転を政府が後押ししたという事実はあるものの、それ以前から軍事技術、人材の一般産業界への移転は進んでおり、
1.官界(含む軍)民間を問わず人材の流動性が高く、優れた技術が一般に伝搬しやすい環境があること、
2.軍事目的の技術でも、民生用での利用を検討する柔軟な雰囲気があること、
3.軍、防衛産業といった"堅い"職場の人間でも、自ら得た技術、技能を基に退職してビジネスを始めてみよう、と思うビジネスマインド、ベンチャーマインドの持ち主が大半であること、
等である。無論、知的財産たる技術の権利保護はしっかりなされ、機密技術はしっかり封印された上のことであるが。

個人の、会社への帰属(というより会社依存)意識が高く、個人では何もできない、また何かをするリスクの高すぎる日本の状況では、たとえ高い技術があってもアメリカのような状況は絶対に生まれないのであろう。軍民転換といった、一見我が国のおかれた環境からは縁遠い現象でありながら、アメリカ、サンディエゴの大きな成功例は、日本のベンチャーの置かれた状況を再確認する契機になる気がする。こういった観点からもこのレポートをお読み頂ければ幸いである。
次回は米国における産学連携のことを書いてみたい。(続く)

9 3月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(1)』

谷川 徹

第1回 『全米で勃興するハイテク地域』
 - ハイテクベンチャーはシリコンバレーだけにあらず -

 
 アメリカ経済が絶好調を続けている。日本はバブル経済が崩壊してもう10年近くなるが、景気が良くなるどころか、むしろ山一証券の倒産、長銀、日債銀の国有化と、盤石といわれた日本の金融システムがおかしくなり始め、先の見えない泥沼に入り込んだようである。それに比べてアメリカ経済は、ロシア経済危機によるヘッジファンドの大幅損失など一時的に動揺があったものの、ダウ平均株価は1万ドル台を窺う勢いで、私がアメリカに赴任した4年前の3倍の水準である。経済成長も91年以来丸8年間拡大の一途、失業率は4%台の前半まで低下して日米逆転、物価も安定、とまったく良いことずくめである。大した業績もないクリントン大統領がスキャンダルをものともせず全く安泰なのもひとえに好調な経済のおかげ、というのが一般的な見方である。

 そこで、現在のアメリカ経済であるが、従来の循環型の好景気と違ういくつかの特色がある。まず、産業面では、半導体、PC、インターネット機器、ソフトウェア、といった情報通信産業や、ヘルスケア、エンターテイメントといったサービス産業、ニュービジネスが経済牽引の主役であること。二つ目は、企業規模では大企業でなくベンチャー企業が主役ということ。三番目には、地域的にはニューヨークのような大都市地域でなく、シリコンバレーや、サンディエゴ、コロラド州の都市等、多数の地方都市地域で次々とハイテク産業(ベンチャー企業が担い手)が発展し、経済全体を牽引していること、である。今回は、ハイテクベンチャー振興の背景を探る観点からこの三番目の点について話をしてみたい。
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 私は95年の春から98年の春まで、すなわちインターネットの普及とともにシリコンバレーが急速に注目を浴びた時期の3年間を、同じ西海岸のロスアンジェルスで生活したが、仕事柄カリフォルニア以外の経済発展の著しいアメリカの他地域も頻繁に訪れた。そこで驚きを持ってながめたことは、シリコンバレーほどではないがソフトウェア、通信技術、バイオテクノロジー、半導体等々、あらゆるハイテク分野において、「いくつもの地域が独自の目覚しい経済発展をしている」ことであった。

アメリカのハイテクベンチャー発展の代名詞として、いつもシリコンバレーばかりが取り上げられるが、実はシリコンバレーは発展のひずみも出始め、多くの起業家がシリコンバレーを去って周辺のより生活環境の良い州へ移動し始めている事実がある。たとえば、住宅コスト、オフィスコストの暴騰、慢性的交通渋滞、大気汚染、犯罪の増加などを嫌っての逃避が、シリコンバレーで現実化している。もちろん、ハイテクベンチャーにとってこの地が世界で最も起業に適したところである事に変わりはないのだが…。私は、そういったシリコンバレーに飽き足らない起業家達が、ネクスト・フロンティアと考えて移り住むことによって様々な地域が発展しつつあるようにも感じている。

 昨年の1月、サンノゼマーキュリーニュース(シリコンバレーの代表的ローカル紙)の提供するウェブニュースに、全米に点在するハイテク成長地域の紹介図が掲載されたが、地域の特色をシリコンという言葉を使って、全て「シリコン何とか」というネーミングがなされていた。たとえば、シリコンマウンテン=コロラド州デンバー周辺(山岳地域)、シリコンデザート=アリゾナ州フェニックス周辺(砂漠地域)という具合である。その数2、30箇所であったが、この他いろいろな雑誌や新聞で取り上げられる「テク何とか」と呼ばれるハイテク地域はこれにとどまらない。
ネーミングはともかく、レベルの高い世界的ハイテクベンチャー企業を輩出している地域が全米で目白押しなのは間違いない。
しかも、その発展形態が多様である。すなわち、
1. 大学の技術、人材が産業と結びついて地域のハイテク興しを実現した産学連携型=サンディエゴ、シリコンバレー、コロラド州デンバーなど。
2. 軍の高度な技術、人材が民間に移転した軍民転換型=サンディエゴ、ロスアンジェルスなど。
3. 良好な生活環境がハイクラスの人材集積の要因となった生活環境誘導型=コロラド州、ユタ州、オレゴン州など。
4. 既存の大企業から新しい企業がスピンオフして発展する企業城下町型=フェニックス、シアトル、シリコンバレーなど。
5. 州、市等の地方自治体がインセンティブを用いて企業誘致を行う自治体主導型=オレゴン州など。
6. 地元の市民、企業、大学、自治体等が協力してNPOを組織、新しい産業発展を図るNPO主導型=シリコンバレーなど。
である。
もちろんこれらの形態が複合している事は多く、シリコンバレーなどは上記のファクターが複合して発展した地域といえる。

 このように、さまざまな形態を取りつつハイテクベンチャーが全米で勃興しつつあるが、これらの背景となったのが、
(1)アメリカにおけるPC普及、インターネットに代表される通信ネットワーク技術の発達・普及という情報化の進展。
(2) 経営意識に溢れ、スペシャリスト、プロフェショナル、努力する個人が尊重され、人材の流動化が保証され、かつチャレンジングで自由なアメリカの社会風土。
である。
これらの背景がなければ、アメリカ各地でのハイテクブームはなかったのである。情報化の進展が地方での起業を可能にし、人材・技術の自由な移動、企業間のアライアンスが革新的な技術、起業を産んでいるという仮説。これは誤りであるわけがないと思う。
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 たいへん残念なことは、日本においてこれらのパターンの実際例がほとんどないことだ。今日の日本で目立つのは、上記4の自治体主導型だけではなかろうか(産学連携はようやく提唱されてきたが、まだまだ掛け声だけの感がある)。産業空洞化に悩む現在の日本では、地域経済活性化のために地方自治体がさまざまなインセンティブ(補助金や税減免など)を用意して企業誘致を図ろうとしている。何もないよりは前進だとは思うものの、自治体などの行政主導で雇用増に即効性のある大企業、製造業を優先する「クラシック地域経済発展モデル」は、アメリカでも時代遅れのように思う。実際94年から95年にかけて百数十億ドルの半導体工場投資誘致に成功したオレゴン州では、現在の半導体不況によるレイオフで失業率が急上昇しているのである。

 上に見たごとく、アメリカでは今や大学、NPOや企業、あるいは成功した個人が主体となって、「意欲があってユニークなアイデアを持ち専門的スキルを持った起業家」をサポートし、当該地域独自の成長企業、産業を育てるというシステムが一般的になりつつある。かつ、大きな効果も上がっているのは言うまでもない。アメリカ経済の本質を知ろうとするならば、このようなシステムと社会風土こそがアメリカ経済絶好調の最大の理由である事を認識すべきである。日本は、急ぎ足のシリコンバレー視察で調査報告を書き上げる仕事はそろそろ止めにして、この「未知未開の仕組み」をもっと深く掘りさげて調べるべきではなかろうか。
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 次回からは、全米各地のハイテクベンチャー発展の実例を個別に検証しつつ、各々のシステムの我が国への導入可能性を考えて行きたいと思います。

(たにがわ・とおる)
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