谷川 徹
第2回『米国地域経済、ハイテクベンチャー振興に寄与する軍民転換』
―サンディエゴの例を中心として―
●冷戦終結のもたらしたもの
欧州のユーゴスラビアでは、コソボ紛争解決のため米国を中心としたNATO軍の激しい空爆が続いている。湾岸戦争時はイラクの軍需施設のピンポイント攻撃を可能にし、大きな成果と称賛を浴びた米国のハイテク軍需技術も、今回は誤爆が続き厳しい批判を浴びている。ただ、湾岸戦争以来テレビの映像を通してお茶の間にも一般的に知られるものとなってきた、米国を中心とする軍需技術へのハイテク利用は、今回一層一般的に知られるようになってきた気がする。(無論あの程度のことでは今の軍需技術のレベルの高さと幅の広さを説明しきれないのだが)。言うまでもなくアメリカは、ソ連の崩壊による冷戦終結以来、世界最大、最強の軍事大国であり、世界の警察をもって自他共に任じている。直接軍に属する人達はもとより、国防関連事業に直接間接に雇用される人数は、ピーク時の80年代後半には約340万人に達した他、今も米国の防衛予算は日本円換算で約30兆円、日本の年間国家予算の約4割にも達しているのである。またその相当部分が防衛技術開発に当てられ、軍内部、付属研究所は勿論のこと、大学、防衛関連企業等への委託研究といった形で先端的技術開発が進められている。その範囲はきわめて広く、核兵器開発といった直接的兵器開発はもとより、機械工学(ロボット技術等)、材料工学(耐熱耐水技術等)、情報通信(含むコンピュータ、ソフトウェア)工学(コンピューター・グラフィックスによるシュミレーション技術、暗号技術等)、気象学、電気電子工学(レーザー、レーダー、センサー等)、エネルギー工学(燃料電池等)、化学・バイオ技術(化学兵器等)等の各分野で、資金に糸目を付けずに研究開発がなされているのである。
これらの技術は、本来軍事目的で開発されているものの、開発された技術そのものは民生用にも適用可能なものが多く、実際冷戦終結後の90年代の前半からは、防衛予算大幅削減(ピークの年間約3千億ドルから十数%減)後の経済への悪影響を憂慮した政府の後押しもあり(軍事技術の商業化促進等のため年間数億ドルの支出実施、(注1)、軍事技術への民間アクセスは進行した。また軍関係機関、防衛産業の人員大幅削減で、これらの部門からは多くの技術者がスピンオフし、同時に高度技術もアメリカの産業界に移転流出した。
とりわけ最大の防衛関連産業を抱えていたカリフォルニア州(注2)は、冷戦集結の経済的打撃は大きく、89年から93年にかけては数十万人の防衛関係エンジニアが職を失ったと言われている。ただ、これらの人材の多くがエンターテイメント(映画、放送等)産業等、既存の企業に吸収されるとともに、自らの技術と能力を基にしてベンチャー企業を興しているのである。
(注1)この他、1989年の国家競争力技術移転法による国立研究所の軍事技術民生移転促進等がある。
(注2)ロッキード、グラマン、ダグラス、ノースロップ、ヒューズ、ロックウェル等多くの航空宇宙防衛産業が、カリフォルニア州(特に南カリフォルニア)に本拠をおいていた。
例えば97年から98年にかけて世界を席巻した、映画"タイタニック"の背景としてふんだんに使われる海の様子は、その大半がCGで作られたものであるが、これを請け負った企業は、防衛産業に勤めていた技術者がそこで得た技術を基に設立した、ロスアンジェルスに本拠をおくベンチャー企業である。また私がロスアンジェルスに滞在していた頃訪問したハイテク関係のベンチャー企業の大半では、かつて防衛産業で働いていたというエンジニアが重要な役割を果たしていた。印象的であったのは、その全てが生き生きとし、次なる成功に向けて夢を熱っぽく語っていたことである。レイオフにあったというような暗さなどほとんど感じなかった。こういった、軍需関連事業に係わる人材、技術の如きリソースが民間に移転し、民間の需要にマッチした形で花開いている例は、アメリカにおいて枚挙のいとまがない。第二の産業革命とも言うべき情報革命の主役たるインターネットも、元はといえばアメリカの軍用技術を一般に公開したことに始まっている。こうした防衛関連産業における優れた経営資源が、一般の産業社会の需要にマッチする形で移転される状況は、一般に軍民転換と呼ばれている。この軍民転換という大きな流れが、アメリカでは産業の発展に大きな役割を果たしているだけでなく、ハイテクベンチャービジネスがこの10年数多く出現している背景の一つである。
●サンディエゴの変貌
ところでカリフォルニア州に、この軍民転換という現象が地域経済の転換、発展に大きく役立っている町がある。メキシコ国境にもっとも近い港町サンディエゴである。いつもカリフォルニア特有の青空が広がり、温暖で、シーワールド、サンディエゴ動物園、更にはウォーターフロントに続く瀟洒なショッピング街、といった数多くの観光ポイントを擁する当地は、アメリカ有数のリゾート地であるが、同時にアメリカ太平洋艦隊の母港として著名であり(注3)、1920年代から海軍や航空部門の基地として発展してきた町である。
(注3)*米国西部地区最大規模の軍事基地の町であり、現役軍関係者約12万人、国防省での雇用民間人は約2万5千人に上る。また当地の航空機産業は、サンディエゴの企業がリンドバーグが大西洋横断飛行に成功した航空機をデザインしたことに端を発しており、その後第二次世界大戦前は、全米の約半分の航空機製造が当地で行われるまでに発展、戦闘機製造も含めその後1980年代頃まで興隆を誇ったのである。
サンディエゴは、現在の人口が二百万を超えカリフォルニア州第二の規模を誇るが、この町は観光の町としてだけでなく、今や北米自由貿易協定(NAFTA)に基づくメキシコ保税加工地域(マキラドーラ)の米国側大拠点として名を馳せている。しかしながら当サンディエゴの名を世界に知らしめているのは、最近では全米でも有数のバイオテクノロジーと無線通信の拠点という事実である。数多くのノーベル賞受賞者を輩出している大学(UCSD等)や、研究所(Scripps研究所、Salk研究所等)を擁することによる人材、技術の伝搬で、当地がボストン、シリコンバレーに次ぐ全米有数のバイオ産業のメッカであることは周知の事実であり、また軍や防衛産業の需要や技術、人材を背景として、無線通信、インターネット産業等の一大集積地として急速に発展していることもまた、情報通信分野では常識のことである。市の北部のソレントバレーという地には何十社もの通信関連企業が集積し、テレコムバレー、あるいはワイヤレスバレーと呼称される他、今日本でも話題のCDMA技術(デジタル無線通信の一技術:日本でもIDOが採用)を開発、NTTと世界標準を争う無線通信の急成長ベンチャー企業、クアルコム社(Qualcomm)も当地に本拠を構えている。この結果、ソニーをして"サンディエゴは世界のワイヤレス通信のメッカ"と言わしめているのである。
現在のこのバイオ産業と、通信産業はサンディエゴ市の今後の成長の原動力といわれている。即ちバイオ産業で約1万5千人、通信関係で約2万数千人と、未だその数は少ないながら急速な成長(年率50〜60%の伸長)を遂げ、サンディエゴ市が全米平均を上回る経済成長を遂げている源の一つとなっている。また観光、航空機産業といった今後の成長に多くを期待できない産業に代わる、技術関連産業として大きな期待をもたれているのである。
このサンディエゴ経済の新しいエンジンたる通信産業こそが、防衛関連技術・人材の民生利用の成果、即ち軍民転換の申し子である。サンディエゴ通信企業の代表格、上記クアルコム社は、元UCSD(カリフォルニア大サンディエゴ校)の教授ジェイコブス氏(Irwin M.Jacobs)が1985年に創業したものであるが、同氏は、通信設備を軍のために開発する目的で設立したリンカビット社より同社をスピンオフさせ、軍用に使用されていた技術を基にCDMA技術を開発したのである。同社はこのCDMA技術の他数多くの通信技術を開発(電子メールソフトのユードラも当社製品)、創業13年にして今や売り上げ30億ドル超、従業員8千人を数える大企業に急成長し、大企業の代名詞とも言えるFortune500社の仲間入りを果たしている。このクアルコム社をリーダーとして、サンディエゴにはヒューズ(Hughes)、スリーコム(3Com)、コムストリーム(ComStream)、ゼネラルインスツルメント(General Instrument)、といった著名な米国企業が、通信技術の拠点を開設しているほか、日本企業も、ソニーをはじめとして、日立グループ、トヨタグループ等が当地に研究拠点を設置している。そういった意味でサンディエゴ経済の浮揚の鍵、大げさにいえば通信というアメリカ経済成長の基幹産業の基礎産業のひとつが、この軍民転換という形から発生していると言えるのである。
この他、サンディエゴを代表する企業のひとつSAIC社(Science ApplicationsInternational Corpolation)のケースは、防衛関係の技術、人材と、産業の連携をより明確に示している。SAIC社は、核兵器開発で有名なロスアラモス研究所での研究経験を持つ物理学者ベイスター氏(J.Robert Beyster)が1969年、政府、軍に対して原子力及び核兵器の影響に関するコンサルティングを行う目的で起こした会社である。現在は防衛関連を始め、情報通信、宇宙、エネルギー、環境、ヘルスケア等々、あらゆる科学技術に関する研究、コンサルテーションを行い、売り上げ約30億ドル、従業員3万5千人の大企業になっている( 当社もFortune500社ランク企業)。SAIC社の大顧客は政府及び軍であり、同社開発技術の多くが防衛需要を前提に生まれたものである。その意味で当社はサンディエゴ最大の防衛関連企業であるが、注目すべきは、同社がそのコア技術と関連した多くの子会社群を有していることや、同社がハイテクベンチャー企業に優秀な人材、技術を供給する宝庫となっていることであるすなわち、最近のビジネスウィーク誌でベスト情報関連企業100社の一つに選ばれたネットワークソリューション社(Network Solution Inc.:インターネットのドメインネーム提供サービス企業)等、錚々たる企業が当社の傘下にあり、同社のカバーする技術と良い補完関係を保っている。また上記クアルコム社には多くの当社からスピンオフした人材がいるほか、電子商取引に必須のPIN(暗号)技術で成長したサンディエゴのベンチャー企業、ファーストヴァーチャル社(First Virtual:現在は業容を変化させ、シリコンバレーに移転)にも当社出身のエンジニアが数多く存在する。
このようにサンディエゴでは、軍(防衛)関連の技術、人材が民間需要分野に展開して、ベンチャー企業創出等大きな成功を挙げている例が多数見られ、かつそのおかげで地域経済の持続的発展を可能にしているのである。ここには基幹産業が衰退して空洞化に悩む姿はない。一方同じ南カリフォルニアのロスアンゼルスは、いまだ防衛産業のリストラのマイナスの影響が大きく残るものの、多くの元防衛関連エンジニアが、マルチメディア技術を駆使して世界を席巻しつつあるハリウッド映画と結びついた、コンピュターグラフィックス等のハイテクベンチャー企業に吸収され(その数10万以上といわれている)、ロスアンゼルス復興の立役者となっているのである。
●産業構造転換を推進するもう一つの力
それでは、このアメリカの軍民転換という事象から我々は何を学べるのであろうか。確かに日本は、防衛予算規模では世界でも大国とまでいわれるようになってはいるものの、軍(防衛)関連の事業から革新的な技術、人材が流出し、経済にインパクトを与えているという状況では全くない(民間企業からすらほとんどないのだから当然ではあるが)。軍という存在を肯定するわけでもないし、多くの予算を防衛関係に投入すべきというつもりもないが、アメリカの例で感じることは、国家政策として軍事技術の民生移転を政府が後押ししたという事実はあるものの、それ以前から軍事技術、人材の一般産業界への移転は進んでおり、
1.官界(含む軍)民間を問わず人材の流動性が高く、優れた技術が一般に伝搬しやすい環境があること、
2.軍事目的の技術でも、民生用での利用を検討する柔軟な雰囲気があること、
3.軍、防衛産業といった"堅い"職場の人間でも、自ら得た技術、技能を基に退職してビジネスを始めてみよう、と思うビジネスマインド、ベンチャーマインドの持ち主が大半であること、
等である。無論、知的財産たる技術の権利保護はしっかりなされ、機密技術はしっかり封印された上のことであるが。
個人の、会社への帰属(というより会社依存)意識が高く、個人では何もできない、また何かをするリスクの高すぎる日本の状況では、たとえ高い技術があってもアメリカのような状況は絶対に生まれないのであろう。軍民転換といった、一見我が国のおかれた環境からは縁遠い現象でありながら、アメリカ、サンディエゴの大きな成功例は、日本のベンチャーの置かれた状況を再確認する契機になる気がする。こういった観点からもこのレポートをお読み頂ければ幸いである。
次回は米国における産学連携のことを書いてみたい。(続く)