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Tech Venture/テックベンチャー

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シリコンバレー

18 5月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(2)』

谷川 徹


第2回『米国地域経済、ハイテクベンチャー振興に寄与する軍民転換』
―サンディエゴの例を中心として―

●冷戦終結のもたらしたもの
欧州のユーゴスラビアでは、コソボ紛争解決のため米国を中心としたNATO軍の激しい空爆が続いている。湾岸戦争時はイラクの軍需施設のピンポイント攻撃を可能にし、大きな成果と称賛を浴びた米国のハイテク軍需技術も、今回は誤爆が続き厳しい批判を浴びている。ただ、湾岸戦争以来テレビの映像を通してお茶の間にも一般的に知られるものとなってきた、米国を中心とする軍需技術へのハイテク利用は、今回一層一般的に知られるようになってきた気がする。(無論あの程度のことでは今の軍需技術のレベルの高さと幅の広さを説明しきれないのだが)。言うまでもなくアメリカは、ソ連の崩壊による冷戦終結以来、世界最大、最強の軍事大国であり、世界の警察をもって自他共に任じている。直接軍に属する人達はもとより、国防関連事業に直接間接に雇用される人数は、ピーク時の80年代後半には約340万人に達した他、今も米国の防衛予算は日本円換算で約30兆円、日本の年間国家予算の約4割にも達しているのである。またその相当部分が防衛技術開発に当てられ、軍内部、付属研究所は勿論のこと、大学、防衛関連企業等への委託研究といった形で先端的技術開発が進められている。その範囲はきわめて広く、核兵器開発といった直接的兵器開発はもとより、機械工学(ロボット技術等)、材料工学(耐熱耐水技術等)、情報通信(含むコンピュータ、ソフトウェア)工学(コンピューター・グラフィックスによるシュミレーション技術、暗号技術等)、気象学、電気電子工学(レーザー、レーダー、センサー等)、エネルギー工学(燃料電池等)、化学・バイオ技術(化学兵器等)等の各分野で、資金に糸目を付けずに研究開発がなされているのである。
これらの技術は、本来軍事目的で開発されているものの、開発された技術そのものは民生用にも適用可能なものが多く、実際冷戦終結後の90年代の前半からは、防衛予算大幅削減(ピークの年間約3千億ドルから十数%減)後の経済への悪影響を憂慮した政府の後押しもあり(軍事技術の商業化促進等のため年間数億ドルの支出実施、(注1)、軍事技術への民間アクセスは進行した。また軍関係機関、防衛産業の人員大幅削減で、これらの部門からは多くの技術者がスピンオフし、同時に高度技術もアメリカの産業界に移転流出した。

とりわけ最大の防衛関連産業を抱えていたカリフォルニア州(注2)は、冷戦集結の経済的打撃は大きく、89年から93年にかけては数十万人の防衛関係エンジニアが職を失ったと言われている。ただ、これらの人材の多くがエンターテイメント(映画、放送等)産業等、既存の企業に吸収されるとともに、自らの技術と能力を基にしてベンチャー企業を興しているのである。

(注1)この他、1989年の国家競争力技術移転法による国立研究所の軍事技術民生移転促進等がある。
(注2)ロッキード、グラマン、ダグラス、ノースロップ、ヒューズ、ロックウェル等多くの航空宇宙防衛産業が、カリフォルニア州(特に南カリフォルニア)に本拠をおいていた。

例えば97年から98年にかけて世界を席巻した、映画"タイタニック"の背景としてふんだんに使われる海の様子は、その大半がCGで作られたものであるが、これを請け負った企業は、防衛産業に勤めていた技術者がそこで得た技術を基に設立した、ロスアンジェルスに本拠をおくベンチャー企業である。また私がロスアンジェルスに滞在していた頃訪問したハイテク関係のベンチャー企業の大半では、かつて防衛産業で働いていたというエンジニアが重要な役割を果たしていた。印象的であったのは、その全てが生き生きとし、次なる成功に向けて夢を熱っぽく語っていたことである。レイオフにあったというような暗さなどほとんど感じなかった。こういった、軍需関連事業に係わる人材、技術の如きリソースが民間に移転し、民間の需要にマッチした形で花開いている例は、アメリカにおいて枚挙のいとまがない。第二の産業革命とも言うべき情報革命の主役たるインターネットも、元はといえばアメリカの軍用技術を一般に公開したことに始まっている。こうした防衛関連産業における優れた経営資源が、一般の産業社会の需要にマッチする形で移転される状況は、一般に軍民転換と呼ばれている。この軍民転換という大きな流れが、アメリカでは産業の発展に大きな役割を果たしているだけでなく、ハイテクベンチャービジネスがこの10年数多く出現している背景の一つである。

●サンディエゴの変貌
ところでカリフォルニア州に、この軍民転換という現象が地域経済の転換、発展に大きく役立っている町がある。メキシコ国境にもっとも近い港町サンディエゴである。いつもカリフォルニア特有の青空が広がり、温暖で、シーワールド、サンディエゴ動物園、更にはウォーターフロントに続く瀟洒なショッピング街、といった数多くの観光ポイントを擁する当地は、アメリカ有数のリゾート地であるが、同時にアメリカ太平洋艦隊の母港として著名であり(注3)、1920年代から海軍や航空部門の基地として発展してきた町である。

(注3)*米国西部地区最大規模の軍事基地の町であり、現役軍関係者約12万人、国防省での雇用民間人は約2万5千人に上る。また当地の航空機産業は、サンディエゴの企業がリンドバーグが大西洋横断飛行に成功した航空機をデザインしたことに端を発しており、その後第二次世界大戦前は、全米の約半分の航空機製造が当地で行われるまでに発展、戦闘機製造も含めその後1980年代頃まで興隆を誇ったのである。

サンディエゴは、現在の人口が二百万を超えカリフォルニア州第二の規模を誇るが、この町は観光の町としてだけでなく、今や北米自由貿易協定(NAFTA)に基づくメキシコ保税加工地域(マキラドーラ)の米国側大拠点として名を馳せている。しかしながら当サンディエゴの名を世界に知らしめているのは、最近では全米でも有数のバイオテクノロジーと無線通信の拠点という事実である。数多くのノーベル賞受賞者を輩出している大学(UCSD等)や、研究所(Scripps研究所、Salk研究所等)を擁することによる人材、技術の伝搬で、当地がボストン、シリコンバレーに次ぐ全米有数のバイオ産業のメッカであることは周知の事実であり、また軍や防衛産業の需要や技術、人材を背景として、無線通信、インターネット産業等の一大集積地として急速に発展していることもまた、情報通信分野では常識のことである。市の北部のソレントバレーという地には何十社もの通信関連企業が集積し、テレコムバレー、あるいはワイヤレスバレーと呼称される他、今日本でも話題のCDMA技術(デジタル無線通信の一技術:日本でもIDOが採用)を開発、NTTと世界標準を争う無線通信の急成長ベンチャー企業、クアルコム社(Qualcomm)も当地に本拠を構えている。この結果、ソニーをして"サンディエゴは世界のワイヤレス通信のメッカ"と言わしめているのである。

現在のこのバイオ産業と、通信産業はサンディエゴ市の今後の成長の原動力といわれている。即ちバイオ産業で約1万5千人、通信関係で約2万数千人と、未だその数は少ないながら急速な成長(年率50〜60%の伸長)を遂げ、サンディエゴ市が全米平均を上回る経済成長を遂げている源の一つとなっている。また観光、航空機産業といった今後の成長に多くを期待できない産業に代わる、技術関連産業として大きな期待をもたれているのである。

このサンディエゴ経済の新しいエンジンたる通信産業こそが、防衛関連技術・人材の民生利用の成果、即ち軍民転換の申し子である。サンディエゴ通信企業の代表格、上記クアルコム社は、元UCSD(カリフォルニア大サンディエゴ校)の教授ジェイコブス氏(Irwin M.Jacobs)が1985年に創業したものであるが、同氏は、通信設備を軍のために開発する目的で設立したリンカビット社より同社をスピンオフさせ、軍用に使用されていた技術を基にCDMA技術を開発したのである。同社はこのCDMA技術の他数多くの通信技術を開発(電子メールソフトのユードラも当社製品)、創業13年にして今や売り上げ30億ドル超、従業員8千人を数える大企業に急成長し、大企業の代名詞とも言えるFortune500社の仲間入りを果たしている。このクアルコム社をリーダーとして、サンディエゴにはヒューズ(Hughes)、スリーコム(3Com)、コムストリーム(ComStream)、ゼネラルインスツルメント(General Instrument)、といった著名な米国企業が、通信技術の拠点を開設しているほか、日本企業も、ソニーをはじめとして、日立グループ、トヨタグループ等が当地に研究拠点を設置している。そういった意味でサンディエゴ経済の浮揚の鍵、大げさにいえば通信というアメリカ経済成長の基幹産業の基礎産業のひとつが、この軍民転換という形から発生していると言えるのである。

この他、サンディエゴを代表する企業のひとつSAIC社(Science ApplicationsInternational Corpolation)のケースは、防衛関係の技術、人材と、産業の連携をより明確に示している。SAIC社は、核兵器開発で有名なロスアラモス研究所での研究経験を持つ物理学者ベイスター氏(J.Robert Beyster)が1969年、政府、軍に対して原子力及び核兵器の影響に関するコンサルティングを行う目的で起こした会社である。現在は防衛関連を始め、情報通信、宇宙、エネルギー、環境、ヘルスケア等々、あらゆる科学技術に関する研究、コンサルテーションを行い、売り上げ約30億ドル、従業員3万5千人の大企業になっている( 当社もFortune500社ランク企業)。SAIC社の大顧客は政府及び軍であり、同社開発技術の多くが防衛需要を前提に生まれたものである。その意味で当社はサンディエゴ最大の防衛関連企業であるが、注目すべきは、同社がそのコア技術と関連した多くの子会社群を有していることや、同社がハイテクベンチャー企業に優秀な人材、技術を供給する宝庫となっていることであるすなわち、最近のビジネスウィーク誌でベスト情報関連企業100社の一つに選ばれたネットワークソリューション社(Network Solution Inc.:インターネットのドメインネーム提供サービス企業)等、錚々たる企業が当社の傘下にあり、同社のカバーする技術と良い補完関係を保っている。また上記クアルコム社には多くの当社からスピンオフした人材がいるほか、電子商取引に必須のPIN(暗号)技術で成長したサンディエゴのベンチャー企業、ファーストヴァーチャル社(First Virtual:現在は業容を変化させ、シリコンバレーに移転)にも当社出身のエンジニアが数多く存在する。

このようにサンディエゴでは、軍(防衛)関連の技術、人材が民間需要分野に展開して、ベンチャー企業創出等大きな成功を挙げている例が多数見られ、かつそのおかげで地域経済の持続的発展を可能にしているのである。ここには基幹産業が衰退して空洞化に悩む姿はない。一方同じ南カリフォルニアのロスアンゼルスは、いまだ防衛産業のリストラのマイナスの影響が大きく残るものの、多くの元防衛関連エンジニアが、マルチメディア技術を駆使して世界を席巻しつつあるハリウッド映画と結びついた、コンピュターグラフィックス等のハイテクベンチャー企業に吸収され(その数10万以上といわれている)、ロスアンゼルス復興の立役者となっているのである。

●産業構造転換を推進するもう一つの力
それでは、このアメリカの軍民転換という事象から我々は何を学べるのであろうか。確かに日本は、防衛予算規模では世界でも大国とまでいわれるようになってはいるものの、軍(防衛)関連の事業から革新的な技術、人材が流出し、経済にインパクトを与えているという状況では全くない(民間企業からすらほとんどないのだから当然ではあるが)。軍という存在を肯定するわけでもないし、多くの予算を防衛関係に投入すべきというつもりもないが、アメリカの例で感じることは、国家政策として軍事技術の民生移転を政府が後押ししたという事実はあるものの、それ以前から軍事技術、人材の一般産業界への移転は進んでおり、
1.官界(含む軍)民間を問わず人材の流動性が高く、優れた技術が一般に伝搬しやすい環境があること、
2.軍事目的の技術でも、民生用での利用を検討する柔軟な雰囲気があること、
3.軍、防衛産業といった"堅い"職場の人間でも、自ら得た技術、技能を基に退職してビジネスを始めてみよう、と思うビジネスマインド、ベンチャーマインドの持ち主が大半であること、
等である。無論、知的財産たる技術の権利保護はしっかりなされ、機密技術はしっかり封印された上のことであるが。

個人の、会社への帰属(というより会社依存)意識が高く、個人では何もできない、また何かをするリスクの高すぎる日本の状況では、たとえ高い技術があってもアメリカのような状況は絶対に生まれないのであろう。軍民転換といった、一見我が国のおかれた環境からは縁遠い現象でありながら、アメリカ、サンディエゴの大きな成功例は、日本のベンチャーの置かれた状況を再確認する契機になる気がする。こういった観点からもこのレポートをお読み頂ければ幸いである。
次回は米国における産学連携のことを書いてみたい。(続く)

11 5月

こらむ『シリコンバレーの夜学』

安藤 茂彌

1.技術主導の世界
スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校がシリコンバレーの今日の発展に大いに貢献した事は、日本では良く知られているが、意外と知られていないのがシリコンバレーにある夜学ではないだろうか。
日本の大学では法律を、米国の大学院では経営学を勉強した後、銀行員生活を20数年送った純粋文系の私が、50歳を過ぎてシリコンバレーにやって来て最も困ったのが技術の知識であった。シリコンバレーのベンチャー企業は、新しい技術の開発にしのぎを削っており、現在知られている技術の「その次」を開発しているのである。今ある技術を知っていることが、当然の前提になっているこの世界に文系の私が飛び込んだのだから、無茶と言えば無茶なことであったと、今思い出しては苦笑する。
仕事をするかたわらで、技術を勉強する機会を探し始めたころ、防衛産業の大手ロッキード・マーチン社の研究所に勤めるアメリカ人の友人から、カリフォルニア大学(州立)の運営する夜学が近隣にあることを聞かされた。彼は、工学部の博士号(Ph.D.)を持っているソフトウェアの専門家だが、以前この夜学でコンピューターの講座を教えていたと言う。こうして私のシリコンバレーの夜学での勉学生活が始まった。

2.カリフォルニア大学の夜学
サンフランシスコ及びベイエリア(サンフランシスコ湾を囲む地域)で夜学を開講している大学は、バークレー校とサンタクルーズ校の2校である。バークレー校は6つのキャンパスで開講しているが、地理的に見ると本拠地バークレー、サンフランシスコ市内、メンロパーク、オークランド、サンラモン、フリーモントと、湾の北部と東側に展開している。
サンタクルーズ校も同じく6つのキャンパスで開講しているが、本拠地サンタクルーズとモントレー(この2つは、太平洋岸にある)にある他は、シリコンバレーの中心部、クパティーノ、サニーベール、サンタクララ、ミリピータスの各市に校舎がある。キャンパスと言っても、本拠地を除くと、ひとつの建物の周りに駐車場があるだけのもので、場所によってはカレッジの一部を夜間だけ借りていたり、市のセンターの一部を使ったりしている。
両校とも、一学期三ヶ月で大半のコースは週一回三時間(6:30−9:30PM)で10週から12週で終了する。授業料は1科目当り500−700ドルで入学試験はないが、中間試験、期末試験はちゃんとあり、成績も厳しく付けられる。これらの講座をとっても、学位はとれない。単に修了証が出るだけである。しかし、どこの講座も50人から100人の受講者で混み合っており、遅く申し込むと満員で断られる。それなのに何故多数の人が殺到するのであろうか?

3.実務に重点を置いた講義内容
講義内容と教授陣の顔ぶれを見ると良く理解できる。ジャバが広まりホットになるとジャバの講座を一斉に開かれる。Linux(無料で公開されているオープンソース・ソフトウェア)が重要になると、早速その講座が開かれるのである。シリコンバレーならではのハヤワザである。
ウェブに関する講座は、関連技術も含めて70コースも開かれている。電子商取引に関する講座で6講座、IPネットワークと通信技術に関するもので27講座、ウェブサイトの設計で7講座、ウェブシステムと他のシステムとの統合技術等で30講座といった具合である。
教授も、「象牙の塔」の人間ではない。半導体の製造工程の講座は、インテルの課長が教えている。ウェブの講座のひとつはネットスケープの課長が教えている。通信技術は、ルーセント・テクノロジーや、シーメンスの専門家が教えている。彼らは、個人の責任でアルバイト教授をやっており、会社側から派遣された人ではない。
生徒が昼間働いているなら、教授も昼間働いているのである。教授陣の中には、嘗ては企業のサラリーマンをやっていたがその後独立して自分のコンサルタント会社を持っている人や、驚いたことに、ベンチャー企業の現職の社長も含まれている。教授陣に共通して言えることは、自分が教えている技術を昼間は自分の商売として使っている事である。教えることだけで飯を食っている人はほとんどいない。
半導体の講座では、シリコン・インゴット、ウェハー、フォトマスクの現物を持ってきて生徒に回してくれる。通信技術の講座では、複雑なチップ・ボードを持ってきて、個々の部分の機能を懇切丁寧に説明してくれる。しかし、自分の勤務している会社の企業秘密に絡む部分は、開示すると会社側に訴えられる可能性があるので教えられないと正直に言う。

4.受講者たち
年齢的には20代後半から50代までと幅広いが、主力は20代、30代である。皆自分の意思で来ているが、授業料は会社が援助してくれるケースが多いという。学歴も大学院卒と大学卒がほぼ半々である。学位にはならないものの修了証をもらって更に高い給料のジョブに転職しようとしている人や、会社ではマーケティング部門に携わっているが技術の知識を広げたいと思っている人など様々である。
人種的にもバラエティーに富んでいる。平均すると、白人半分、アジア人半分(中国人・インド人・ベトナム人が大半)である。黒人は殆どいない。
日本人もいない。シリコンバレーにいる日本人の99%は日本企業の派遣社員である。私のように、自由にうろうろしている人はほとんどいない。派遣社員の多くは本社からの出張者の対応と、日々の本社との意思疎通に多大な時間を費やしているようである。日本企業の派遣社員に、夜学の話をすると「自分も行きたいが日々の仕事が忙しいし、出張者があった場合には夜の予定から自分だけ抜け出すわけにはいかない」とのことだ。
しかし、日本企業は、新しい技術をどのようにして吸収しているのであろうか。社内の研修がこの役割を担っているのは良くわかる。しかし、そのスピードはシリコンバレーと変わらないといえる企業が何社あるだろうか。最新技術を学んだ人をローカル・スタッフとして雇えば良いと言う人もいる。確かにその通りだろうが、部下の知識の方が進んでいる場合、彼らの向上心を殺さないで上手く使いこなせるのであろうか。経営判断に間違いは起きないだろうか。
同じシリコンバレーにいながら、日本人の「シリコンバレーの生態系」に距離を置いた日本企業の行き方に、危惧を感じざるを得ないのである。中国人、インド人の真剣な受講姿勢と裏腹に、その時間、出張者を食事とカラオケバーに連れて行って歌いつづけるしかない日本人サラリーマンの生き方に一抹の寂しさを感じるのである。
ロッキード・マーチン社の友人から電話が掛かってきた。ウェブの講座を申し込んで、一旦満員で断られたが、大学側が広い教室に変えてくれたので受講できるようになったとの事。彼は「教授」から今度は「生徒」に変わる。彼は今年58歳になる、先週サン・マイクロシステム社の就職面接を受けたと言っていた。シリコンバレーの人間はどこまでも貪欲なのである。

99年5月
カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
ベンチャーアクセス社 社長 (www.ventureaccess.com)
1 4月

こらむ『日米ベンチャー事情雑感』

伊藤 達哉

私とベンチャーとの関わりは94年3月にロスアンジェルス事務所に赴任したことから始まります。時あたかも、ベルリンの壁崩壊で軍需産業がダメージを受け、米国全体に比べ回復が遅れていたカリフォルニア州の景気が、シリコンバレーのベンチャー企業群の爆発的な開花でぐんぐん上向いてきた時期でした。ロスでの仕事の一つに、米国のビジネストレンドを情報発信するということがありました。94年の夏、当時の上司であった小門氏(現法政大学教授)と通産省出身の加藤サンフランシスコ領事の音頭取りで、表面的な「マルチメディア・ブーム」に踊らされていた日本に対し、活力あるシリコンバレーの実態と先行きの怪しい日本経済の処方箋?を情報発信しようという高い志で、シリコンバレー等の多種多様な分野の日本人ビジネスマン、研究者を中心に「シリコンバレー・マルチメディア・フォーラム」(略称SVMF)が結成されました。…と書くと非常に華々しいのですが、小門氏の下にいた私は、夏に皮切りにロスアンジェルスで盛大に行われたシンポジウムを見てこれから何が始まるのだろうかという期待と不安が入り交じった思いでした。この勉強会はその後精力的にシリコンバレーのNTTアメリカで開催され、紆余曲折を経て勉強成果は「シリコンバレーモデル」(NTT出版共著)という本にまとまりました。私のベンチャーとの関わりはもとよりリサーチという切り口ですが、このSVMFで得たものは非常に大きかった。メンバーが事務系・技術系、企業系列にとらわれない構成で皆さん熱心であったし、本の分筆に必要なシリコンバレーの米系ベンチャービジネスやベンチャーキャピタルのヒアリング等でもネットワークを活用させていただけたからです。
シリコンバレーの活力の秘訣は何かを勉強するうちに、今度は「ベンチャー・ブーム」、「シリコンバレー・ブーム」に湧く日本を見つつも、シリコンバレーモデルをそのまま日本のビジネス界に根付かせるのは困難であろうとの思いがつのり、SVMFの活動が小休止した95年後半以降、シリコンバレー以外の米国ハイテク地域の戦略を垣間見てみようという個人的な興味が首をもたげてきました。私の担当地域は米国西部地域でしたので、オレゴン州の「シリコン・フォレスト」、ユタ州の「ソフトウェア・バレー」、コロラド州の「シリコン・マウンテン」などの地域が調査の主要な対象となりましたが、それらの関係でテキサス州の「シリコン・ヒルズ」、アリゾナ州の「シリコン・デザート」、ノースカロライナ州の「リサーチトライアングル」などいろいろなハイテク地域を訪問できたのは、貴重な経験でした。これらの経験を基に業務としてレポートを書いていましたところ、3冊目が仕上がってまだもう少しやってみたいなと思うところで3年の年月が過ぎ、97年4月に帰国することとなりました。
帰国後2年間は、地域活性化のための情報発信が職務の一つの柱でした。最近の地域活性化の課題は、他の地域と同様に産業振興の分野がベンチャー振興や産学連携による新産業創出、街づくりの分野が中心市街地活性化でした。ベンチャー振興や産学連携については、ベンチャー企業の経営者の方々のみならず、自治体、大学、財界など様々な関係者と接することができました。

以上、長々とベンチャーとの関わりについて個人的な履歴を書きつづってきましたが、こうした経験の中でベンチャーを取り巻く日米の風土の違いについて感じてきたことをいくつか雑感として並べてみたいと思います。もちろん、日本でも例外があることは当然ですので、全般的な傾向としてご理解下さい。また、一概に米国の風土がよくて日本が駄目だということではないのですが、ベンチャー振興という観点に限れば、客観的に米国の風土がよりベンチャーになじむということです。

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第1に、会社に対する考え方の違いです。一言で言うと、米国のベンチャーの場合は「パートナーシップ」と「マネーゲーム」、日本のベンチャーの場合は「おらが会社」と「家族主義」とでもなりましょうか。米国のベンチャーの場合は、世の中が横の人的ネットワークで構成されていることもあり、ベンチャーキャピタル等が送り込む経営・財務・営業のプロと役割分担し、株式公開であろうと企業売却であろうと会社の業績をよくすることによってストックオプションの金銭的価値を最大限に具現化するという合理的目標がより明確です。優れた技術やノウハウを有する日本のベンチャー社長は、経営や営業・財務に疎い場合が少なくないのですが、米国と違って「これは俺の会社だからヒトの指図は受けたくない。まして株式公開や企業売却などしたくない。」という風潮が(特に地方では)より強いような気がします。このため、優れた技術やノウハウ・無形資産がありながら、経営が行き詰まる残念なケースがあり、私が相談を受けたある急成長中のベンチャー企業も営業が拡大しすぎて内部管理がずさんになり黒字倒産するという事態もありました。
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第2に、お上のお墨付きと官の施策への依存ということです。帰国してまず感じたのがこのギャップです。シリコンバレーなどを見ていると、シーズ段階など初期的なサポートは別として、そもそも株式公開ができそうなベンチャー企業の育成は民間活力を最大限利用すべき分野と思われるのです。しかし、日本の場合はお上のお墨付きと官の施策への依存が強すぎはしないかという気がします。ある時インターネットで地域のベンチャー企業を紹介しようとしていろいろな立場の人で議論したのですが、純粋に私的なホームページではなかったため、結局はお上がベンチャー企業と認定したものがベンチャー企業であるということに落ち着きました。また、ベンチャーの支援についても地域の特性を打ち出した独自の施策が必要ではないかと提案したことがあったのですが、国の施策に乗っかったものでないと議会が通らない雰囲気があるそうです。最初は非常に違和感があったものの、日本の風土になじむうちに、私も理想はともかくやはりお上に頑張ってもらうことが必要かなと思うようになりました。ただ、おカミの支援に頼らず成長を遂げるベンチャー企業もあるわけで、そうした企業が増えることが日本のベンチャー企業振興の一つの鍵かもしれません。これに関連して公的なベンチャー支援施策を見ると、第1点で指摘した風土とあいまって、対象となるベンチャー企業に新分野に進出する中小企業が含まれているため、従来型の中小企業施策とベンチャー施策が実際の運用では混然としているような感じがしています。
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第3に、ハイテクベンチャーの状況です。ベンチャー企業と言っても、すべてがハイテクであるわけではありませんし、ハイテク以外のベンチャーの重要性を否定するつもりもありません。但し、日本では米国のシリコンバレーなどに比べ、ハイテクベンチャーのウェイトが小さいということは確かで少し気がかりです。なぜかと言うとハイテクベンチャーの特徴として絶えず新たな技術革新の波に洗われることが挙げられます。これは当のベンチャー企業にとってはとても大変ですが、全体として見れば常に新たなベンチャー企業が生まれてくるという活気と緊張が張りつめているということを意味します。これに対してハイテク以外のベンチャー、特に非製造業の場合は、日本の規制が広範にかかっていることも手伝ってニッチ的な業態で成長してもそれがいずれは既成勢力として後続のベンチャー企業にとって反動的な存在になりやすいからです。シリコンバレーのエンジェルの多くが技術に造詣が深く後進の起業家の新たな技術やノウハウに個人的に投資するという好循環が見られるのに対し、日本の新興企業ではオーナーは会社が成長してくると不動産や株に走り、後任社長は当然自分の息子という至極従来型古典的な経営行動に執着するのも、技術革新の荒波がハイテク以外の分野で少ないからかもしれません。
ここで、カリフォルニア州で見聞したことを2つ。シリコンバレーのある米国人ベンチャー起業家にヒアリングしていた時に、「日本人でもエンジェルはいます。30分話したらおもしろい技術だから(個人的に)お金を出そうという経営者がいました。」とのこと。そのエンジェルとは日本では珍しくベンチャー精神のある電気機器メーカーの有名な経営者なのですが、残念ながら私の見る限りそういう経営者は少数派のようです。もう1つはサンフランシスコのインベストメントバンカーだったと記憶しているのですが、「日本はバブル期にゴルフ場やビルなどを買いあさった資金のごく一部でも技術開発に投資していたら、このような経済状況にはならなかったのでは。」と語っていたのが印象に残ります。
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第4に、優秀な技術者の待遇です。日本の場合は創造性の高い優秀な技術者の待遇が米国に比べ概して低いのではないか。逆に言うと米国の場合は優秀な技術者を引き留めるために様々なコストを支払っているという印象を持ちました。給与やストックオプションは当然として、芸術家のように24時間好きな時に仕事ができる環境づくりです。休業日の土曜日にシリコングラフィックス社のソフト開発技術者を職場に訪問した際に、「自宅にも専用線が引かれ会社と同じ開発環境が整っており、いつでもアイデアが浮かんだ時に対応できるように配慮されているんだ。」と言っていたのには、創造性の豊かさの源泉について才能はもちろん環境も重要なんだなと感心した次第です。
また、年功にかかわらず才能を重視する風土からか、日本人の理系のノーベル賞受賞者は米国で研究されていた方が多いと思いますが、私も渡米前はなぜあのような優秀な科学者が米国に行ってしまうのだろうとやや疑問でしたが、そうではなくて日本では活躍の場が与えられにくいということです。今では超優秀な科学者・技術者は米国で活躍する方が世界のためになるのではと思いたくなるほどですが、理系の人気低落に歯止めをかけるためには能力主義による待遇の改善が必要ではないでしょうか。
また、少しスケールの大きな話として、クォリティオブライフの実現があります。米国の地域活性化では必ずといってもよいほど基本的な理念の柱となっている考え方ですが、日本では生活大国などと謳われてはいてもクォリティオブライフなどという米国流の考え方は全くない(したがって生活の質の向上などと訳しても仕方ない)というのが私の実感です。この問題に深入りすると長くなりますので、技術者の問題に戻ると、米国では一般に技術者も当然流動性が高いわけです。よく言われるように会社の間の垣根も低いのですが、義理や慣習に縛られない狩猟民族なので、住む場所の垣根も低いのです。そこで何が起こるかというと、魅力のない企業や地域からは優秀な人材がどんどん流出してしまうわけです。そのため、それぞれの地域は知恵を絞って活性化に取り組んで地域間競争に打ち勝とうとしているのですが、ハイテク集積地域では優秀な技術者を引き付けておくという重要な意味もあるのです。官庁の縦割り行政を基本とする日本の場合は、総合的な施策は形式的には可能であっても実際の運用上は困難なので、街づくりの議論の際に優秀な技術者のことなど頭の片隅にも出てくるはずがありません。
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第5に、無形の知的財産の保護と評価です。日本も含めアジアの国は一般に無形財産権を権利と認識する意識が希薄です。米国でビデオを買うと冒頭に無断複製へのFBIの警告が出てくることに象徴されますが、米国が中国等の海賊版の氾濫に頭に来るのも無理はありません。日本では有形の物への権利侵害には厳しいのですが、無形のノウハウやアイデアを保護するルールは厳格とは言えないような気がします(安い物を万引きするのは犯罪でも貴重な他人のアイデアを拝借するのは犯罪とまでは言い切るのは困難ですか)。
また、そんなことはないと思いたいのですが、調査レポートも中身のソフトよりもハードとしての紙の分量で判断する発注者も日本には多いと聞きました。これとベンチャーがどういう関係があるかというと、大いに関係があるのです。シリコンバレーでヒアリング等の調査をしている時に感じたこととして、こんなにオープンなビジネス風土でビジネスのアイデア等が盗まれはしないかというもっともな疑問でした。他の日本人からもよく聞かれるようですので、私の感覚がおかしいわけでもなさそうです。時々、米系企業を訪問すると、秘密保持契約なるものを渡されサインをして下さいと言われたことがありました。私などは完全な事務屋ですから何が重要な技術要素なのかちんぷんかんぷんで全く心配ないのですが、相手にとっては重要なことです。
よいことも悪いことも何事も隠すのを美徳とする日本の風土から見ると、こんな契約書を締結するくらいなら情報開示しなければよいのにということになります。また、日本では契約という概念が曖昧なので(たとえば雇用契約)、サインしても文面通りに守ってくれる人は少ないと思うのが自然ではないでしょうか。ところが、米国では契約違反というのは、日本人が考えるよりもはるかに厳格に制裁されるもののようです。ベンチャーを支える米国のソフトインフラとして、会社の名前ではなく製品や商品の良し悪しで購買を決定する企業や消費者マインドと並んで、オープンなビジネス風土を支える無形財産の保護意識が重要なのではないでしょうか。
もう一つは、最近注目されてきた銀行の無形財産権担保の問題があります。従来は不動産に偏りがちだった担保の考え方をベンチャー企業の実態に合わせて、特許権などを担保として評価しようとする動きです。これ自体はとてもよい傾向なのですが、課題もあります。銀行にとって審査が難しいという点はさておくとしても、問題はそれらの無形財産権を社会全体が評価してくれるかということです。万が一、貸出先の企業が倒産した場合、そうした無形財産権を適正に評価し買い取ってくれる仕組みがなければ、銀行だけが努力していても限界が出てくるでしょう。
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第6に、失敗に対する見方の違いとよく言われますが、もう少し大きく見て教育を最後に取り上げたいと思います。実は、この教育こそがベンチャーの発展にとって最も重要なポイントだと考えています。米国駐在中に子供を現地校に入れる機会がありました。入れてみてわかったのは、教育方針の根本的な違いです。米国でお世話になった幼稚園や小学校では、子供が小さい時から、皆個性があって一人一人(得手不得手も)違う、あなたはどう感じどう考えるか、とにかくチャレンジしてみようなどと徹底的に教え込むわけです。これが、日本の学校では、誰とでも仲良くしようというのはよいのですがこれがみんなと同じようにというふうに変わってしまう、あなたはどれだけ言われたことをきちんと聞いて覚えたかが重要であると徹底的に教え込みます。日本人の独創性の議論がありますが、私見ではこれは生まれ持っての天性ではなく、後天的な教育のなせる業だと思います。また、チャレンジ精神についても米国にはフロンティアスピリットという建国精神が浸透しているという違いがあります。最先端の技術を追いかけている技術者からは、フロンティアスピリットを感じました。
もう一つは教育の質の問題です。世界中がグローバルな地域間競争の渦に巻き込まれようとしている現在、日本でも国際競争力向上のため健全な競争社会の構築が求められていると言えます。しかし、日本の教育はゆとり教育という名目の下に教育のレベルを下げることによって様々な学校の問題を解決しようとしているようにさえ見えます。できてもできなくても評価をマイルドにして競争という現実から意図的に逃避させ、中学校になって現実はこうですと言うのでは、きれてしまう子供が続出しても不思議はないかもしれません。米国の学校では、自分の得意分野を伸ばす教育を前提に小さいうちから楽しく競争することを教えていたので感心しました。日本の教育は、反対に自分の不得意分野を人並みにすることに重点を置く減点主義的な考え方です。建前では起業家精神が必要と言われていますが、能力主義や起業家精神に対する社会的評価は米国では極めて高いと思います。日本でも「楽しく競争できる」ことを教えていく必要があるのではと思います。こうしたところが、倒産などへの社会的評価とつながっているのかもしれません。「学校は社会を映す鏡である」という言葉に米国で出会いましたが、まさに至言と思います。
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私の雑感はこれで終わりです。最後に、ある大手民間銀行を脱サラしてシリコンバレーに飛び込んだ人の言葉を引用したいと思います。それは、「人間は合理的に行動する。」というものです。米国人に日本の終身雇用・年功序列制度を説明したところ、「そんなにいい制度はない。僕もそうしたシステムの下で安心して働きたい。」という声が多かったのは意外でした。私の家に大手のエレクトロニクスメーカーを脱サラして自営の修理業をしている米国人がいましたが、「いつ首になるかもしれないから、自営が一番。」という言葉には驚きました。しかし、好況時でもリストラという名の首切りが行われ、まじめに業績を挙げていても何か光る才能がなければ解雇の可能性がある厳しい米国の雇用環境を見ると、こうした言葉にも合理性があります。日本の終身雇用・年功序列制度には安定という利点があるのですが、これが崩れつつある現状では、日本でもベンチャーが真の意味で見直される日も近いのかもしれません。…但し、それには構造改革の痛みも伴うという覚悟も必要でしょう。
(いとう・たつや)

9 3月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(1)』

谷川 徹

第1回 『全米で勃興するハイテク地域』
 - ハイテクベンチャーはシリコンバレーだけにあらず -

 
 アメリカ経済が絶好調を続けている。日本はバブル経済が崩壊してもう10年近くなるが、景気が良くなるどころか、むしろ山一証券の倒産、長銀、日債銀の国有化と、盤石といわれた日本の金融システムがおかしくなり始め、先の見えない泥沼に入り込んだようである。それに比べてアメリカ経済は、ロシア経済危機によるヘッジファンドの大幅損失など一時的に動揺があったものの、ダウ平均株価は1万ドル台を窺う勢いで、私がアメリカに赴任した4年前の3倍の水準である。経済成長も91年以来丸8年間拡大の一途、失業率は4%台の前半まで低下して日米逆転、物価も安定、とまったく良いことずくめである。大した業績もないクリントン大統領がスキャンダルをものともせず全く安泰なのもひとえに好調な経済のおかげ、というのが一般的な見方である。

 そこで、現在のアメリカ経済であるが、従来の循環型の好景気と違ういくつかの特色がある。まず、産業面では、半導体、PC、インターネット機器、ソフトウェア、といった情報通信産業や、ヘルスケア、エンターテイメントといったサービス産業、ニュービジネスが経済牽引の主役であること。二つ目は、企業規模では大企業でなくベンチャー企業が主役ということ。三番目には、地域的にはニューヨークのような大都市地域でなく、シリコンバレーや、サンディエゴ、コロラド州の都市等、多数の地方都市地域で次々とハイテク産業(ベンチャー企業が担い手)が発展し、経済全体を牽引していること、である。今回は、ハイテクベンチャー振興の背景を探る観点からこの三番目の点について話をしてみたい。
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 私は95年の春から98年の春まで、すなわちインターネットの普及とともにシリコンバレーが急速に注目を浴びた時期の3年間を、同じ西海岸のロスアンジェルスで生活したが、仕事柄カリフォルニア以外の経済発展の著しいアメリカの他地域も頻繁に訪れた。そこで驚きを持ってながめたことは、シリコンバレーほどではないがソフトウェア、通信技術、バイオテクノロジー、半導体等々、あらゆるハイテク分野において、「いくつもの地域が独自の目覚しい経済発展をしている」ことであった。

アメリカのハイテクベンチャー発展の代名詞として、いつもシリコンバレーばかりが取り上げられるが、実はシリコンバレーは発展のひずみも出始め、多くの起業家がシリコンバレーを去って周辺のより生活環境の良い州へ移動し始めている事実がある。たとえば、住宅コスト、オフィスコストの暴騰、慢性的交通渋滞、大気汚染、犯罪の増加などを嫌っての逃避が、シリコンバレーで現実化している。もちろん、ハイテクベンチャーにとってこの地が世界で最も起業に適したところである事に変わりはないのだが…。私は、そういったシリコンバレーに飽き足らない起業家達が、ネクスト・フロンティアと考えて移り住むことによって様々な地域が発展しつつあるようにも感じている。

 昨年の1月、サンノゼマーキュリーニュース(シリコンバレーの代表的ローカル紙)の提供するウェブニュースに、全米に点在するハイテク成長地域の紹介図が掲載されたが、地域の特色をシリコンという言葉を使って、全て「シリコン何とか」というネーミングがなされていた。たとえば、シリコンマウンテン=コロラド州デンバー周辺(山岳地域)、シリコンデザート=アリゾナ州フェニックス周辺(砂漠地域)という具合である。その数2、30箇所であったが、この他いろいろな雑誌や新聞で取り上げられる「テク何とか」と呼ばれるハイテク地域はこれにとどまらない。
ネーミングはともかく、レベルの高い世界的ハイテクベンチャー企業を輩出している地域が全米で目白押しなのは間違いない。
しかも、その発展形態が多様である。すなわち、
1. 大学の技術、人材が産業と結びついて地域のハイテク興しを実現した産学連携型=サンディエゴ、シリコンバレー、コロラド州デンバーなど。
2. 軍の高度な技術、人材が民間に移転した軍民転換型=サンディエゴ、ロスアンジェルスなど。
3. 良好な生活環境がハイクラスの人材集積の要因となった生活環境誘導型=コロラド州、ユタ州、オレゴン州など。
4. 既存の大企業から新しい企業がスピンオフして発展する企業城下町型=フェニックス、シアトル、シリコンバレーなど。
5. 州、市等の地方自治体がインセンティブを用いて企業誘致を行う自治体主導型=オレゴン州など。
6. 地元の市民、企業、大学、自治体等が協力してNPOを組織、新しい産業発展を図るNPO主導型=シリコンバレーなど。
である。
もちろんこれらの形態が複合している事は多く、シリコンバレーなどは上記のファクターが複合して発展した地域といえる。

 このように、さまざまな形態を取りつつハイテクベンチャーが全米で勃興しつつあるが、これらの背景となったのが、
(1)アメリカにおけるPC普及、インターネットに代表される通信ネットワーク技術の発達・普及という情報化の進展。
(2) 経営意識に溢れ、スペシャリスト、プロフェショナル、努力する個人が尊重され、人材の流動化が保証され、かつチャレンジングで自由なアメリカの社会風土。
である。
これらの背景がなければ、アメリカ各地でのハイテクブームはなかったのである。情報化の進展が地方での起業を可能にし、人材・技術の自由な移動、企業間のアライアンスが革新的な技術、起業を産んでいるという仮説。これは誤りであるわけがないと思う。
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 たいへん残念なことは、日本においてこれらのパターンの実際例がほとんどないことだ。今日の日本で目立つのは、上記4の自治体主導型だけではなかろうか(産学連携はようやく提唱されてきたが、まだまだ掛け声だけの感がある)。産業空洞化に悩む現在の日本では、地域経済活性化のために地方自治体がさまざまなインセンティブ(補助金や税減免など)を用意して企業誘致を図ろうとしている。何もないよりは前進だとは思うものの、自治体などの行政主導で雇用増に即効性のある大企業、製造業を優先する「クラシック地域経済発展モデル」は、アメリカでも時代遅れのように思う。実際94年から95年にかけて百数十億ドルの半導体工場投資誘致に成功したオレゴン州では、現在の半導体不況によるレイオフで失業率が急上昇しているのである。

 上に見たごとく、アメリカでは今や大学、NPOや企業、あるいは成功した個人が主体となって、「意欲があってユニークなアイデアを持ち専門的スキルを持った起業家」をサポートし、当該地域独自の成長企業、産業を育てるというシステムが一般的になりつつある。かつ、大きな効果も上がっているのは言うまでもない。アメリカ経済の本質を知ろうとするならば、このようなシステムと社会風土こそがアメリカ経済絶好調の最大の理由である事を認識すべきである。日本は、急ぎ足のシリコンバレー視察で調査報告を書き上げる仕事はそろそろ止めにして、この「未知未開の仕組み」をもっと深く掘りさげて調べるべきではなかろうか。
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 次回からは、全米各地のハイテクベンチャー発展の実例を個別に検証しつつ、各々のシステムの我が国への導入可能性を考えて行きたいと思います。

(たにがわ・とおる)
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