masaono777

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アメリカ

9 7月

「ブッシュ政権、一将功成りて万骨枯る」

山本尚利

1.米国民からの敵視に怯えるロックフェラーの末裔
2008年7月7日より3日間、G8洞爺湖サミットが開催されます。その前日の7月6日のマスコミは当然ながら洞爺湖サミットでの議題(環境、石油、食糧問題)を取り上げています。その中で同日の朝日新聞はコッソリと「ロックフェラー家の危機感」(立野純一NY特派員)を取り上げています。今年5月末に開かれたエクソンモービル(事実上、デビッド・ロックフェラー、ジョン・ロックフェラー3世の五男の所有)株主総会でひと騒動がありました。同社の創業者ジョン・ロックフェラー1世の末裔一族がエクソン経営陣に脱石油時代に向けた技
術投資を行うよう要求(利益を国民に還元しろという要求)したからです。彼らは米国民の怒りの矛先が自分たちに向けられるのではないかと怯えているのでしょう。原油高騰で大もうけしているのはデビッド一派であって、ほかのロックフェラー末裔がもうけているわけではありません。軍事・エネルギー系米国覇権主義者(戦争屋)のボス、デビッド・ロックフェラーと、その甥、ジェイ・ロックフェラー(国際金融資本系米国覇権主義者、すなわち銀行屋のボスで、正式にはジョン・ロックフェラー4世)が米国覇権をめぐって厳しく対立しているのは事実です。この二人の対立(ロックフェラー家のお家騒動)が現在の米国経済の大混乱の震源であるのも事実です。このことは知的な米国民の間では暗黙の常識でしょう。昨今の原油高騰の恩恵により、エクソンモービルは2007年度決算で4兆円を超える純利益を計上していますが、史上空前の大もうけしているわりには、石油資源開発投資、石油精製設備投資、代替エネルギー開発投資に消極的です。しかもこの大もうけは、高いガソリンを買わされる国民の犠牲の上でもたらされています。周知のように共和党政権は伝統的に軍事・エネルギー業界(エクソンを含む)をスポンサーにしています。ブッシュ政権は過剰反応的にスポンサーの期待に応えたわけです。

2001年、ブッシュ政権誕生とともに、米国連邦政府の国家技術戦略は大きく転換されています(注1)。元副大統領アル・ゴアの主導した環境投資を大幅縮小、国家研究開発費をクリントン時代の1.5倍に増額させて先端的軍事技術(諜報技術、生物化学兵器含む)のほか、原子力発電技術、石炭液化・ガス化(クリーンコール)技術の研究開発に重点投資しています。ちなみに、財政破綻しているに等しいブッシュ政権の国家研究開発予算には小泉政権の集中購入した100兆円を超える米国債の資金(日本に返済されない可能性が大)の一部が当てられています。つまりわれわれ日本国民の預貯金(米国債購入の資金源)が実質的に使われています。上記、ロックフェラー末裔の要求(脱石油時代に向けた技術投資)はエクソンではなく、ちゃっかり日本国民の預貯金で賄われていたのです。彼ら米国覇権主義者の常套手段、それは自腹を痛めず「他人のふんどしで相撲を取ること」です。これらの事実から、今日の原油高騰シナリオはブッシュ政権を支配する米国覇権主義者(主にデビッド一派)によって20世紀中にすでに描かれていたと筆者は確信しています。

2.デビッド・ロックフェラーにとって、うまく行き過ぎたブッシュ政権
 マスコミのみならずネット上でも、サブプライムローン焦げ付き問題をみて、米国覇権の衰退(ドル覇権の弱体と多極化時代の到来)が指摘されています。しかしながら筆者の見方はまったく異なります。ブッシュ政権を担ぎ出した勢力(中心はデビッド一派)はクリントン政権時代から、中長期シナリオを開発しており、ブッシュ政権はそのシナリオに沿って誕生し、政権獲得後、そのシナリオを忠実に実行し、所期の成果を挙げたという見方です。ブッシュ政権には、非常に困難なシナリオを成功させる知能をもった有能な人材(天才的な悪知恵の持ち主)が配置されています。彼らが20世紀末に描いたシナリオとは、まず9.11事件(中東戦争の起爆剤)を起こして、テロとの戦いを大義名分に中東の反米大国イラクとイランを先制攻撃し、自分たちの所有する軍事産業を潤わせると同時に、イラク、イランに彼らの傀儡政権を樹立して、中東石油利権を奪還するというものです。その際、中東石油の供給不足および中国、インドなどの石油需要増から21世紀の原油高騰は不可避とみなしていたわけです。それに備えて、2001年以降、彼らは用意周到に原子力発電とクリーンコールの技術投資を強化していたのです。彼らのシナリオでは、遅くとも2006年までにイランを先制攻撃するはずだったのが、2008年7月現在、まだ実現できていません。この点のみが彼らの誤算なのです。なおイラクの混乱の長期化は、もともと本命の攻略ターゲットであるイラン先制攻撃に必須の条件(イラク混乱を名目に増員したイラク駐留兵力を速やかにイラン先制攻撃に転用するため)だったので、すべて意図的に計画されたものであると思います。したがってイラクの長期混乱・泥沼化をもってブッシュ政権がイラク戦争に失敗したとみるのは早計でしょう。にもかかわらず、2006年6月の世界的寡頭勢力(ロスチャイルド財閥、ロックフェラー財閥を含む)の秘密会議ビルダーバーグ会議(毎年、G8サミットの前に開催される)でブッシュ政権の企むイラン先制攻撃を反対されたこと(注1)が、ブッシュ政権のイラン先制攻撃シナリオを狂わせたのです。
おそらく、EU支配のロスチャイルド財閥とアンチ・デビッドのジェイ・ロックフェラー(オバマ支持の民主党上院議員)の意思が強く働いたものと推察されます。にもかかわらず、ブッシュ政権は、当初のシナリオ通り軍事産業を潤し、期待以上の石油高騰を実現したので、デビッド一派にとって、ブッシュ政権支援の費用対効果は十分に採算がとれたわけです。彼らにとって原油高騰の短期的マイナスは、派生的に石油産出国ロシアにも恩恵のおこぼれが回ること、そして反米石油産出国イランにも同様の恩恵が回ることです。しかしながら中長期的には決してマイナスではありません。なぜなら石油で潤うロシア(仮想敵国)の軍事的脅威が再び高まり、また敵国イランの軍事的脅威もさらに高まるので、彼ら戦争屋にとって米国軍事産業強化の正当化に新たな口実ができるわけです。ちなみに民主主義国の戦争屋の戦略とは、敵をいかに攻略するかと同時に、敵の脅威をいかに高めるかという相矛盾する二律背反の側面を常にもっています。民主主義国では敵の脅威が下がれば、防衛予算が減額されるからです。

3.原油高騰の派生効果、人口削減計画の始動
 さてブッシュ政権を支配するデビッド一派のうれしい誤算、それは予定された120ドル/バレル(GBNのピーター・シュワルツの設定シナリオ)を大きく超える原油高騰(2008年7月140ドル突破)が実現したことです。デビッド一派にとってブッシュ政権操作はうまく行き過ぎたのです。ブッシュ政権のもたらした原油高騰の派生効果は計り知れません。原油高騰に伴って予定通り世界的に食糧高騰が発生し、世界的寡頭勢力が長期的視野で密かに企んでいる人口削減計画のアジェンダ始動が目前となっています。世界の貧困国から順番に食糧不足に陥って、人口減少が起きるでしょう。今、世界は彼らの本音の狙い通りに推移しています。その意味でキレイゴトに終始する偽善的G8洞爺湖サミットは、彼らの本音をカムフラージュするのにもってこいのイベント(目くらまし)に過ぎません。このミエミエの茶番劇も、世界規模での多様なネット情報の提供によって、世界のネットナビゲーターからは、当の昔に見透かされています。
G8洞爺湖サミットを得意気に報道する日本のマスコミが滑稽にみえます。だからこそ、ウラ事情を知る朝日新聞NY支局のマトモなジャーナリストが、あえてG8サミット前夜、米国の帝王ロックフェラー財閥の話題をさりげなく掲載したのでしょう。その狙いに読者のどれほどが感づくのでしょうか。
さて傲岸不遜の極致、デビッド一派の思わぬ誤算、それはイラン先制攻撃の遅れに加えて、ネット世論の強大化です。9.11事件が自作自演(Inside Job)ではないかという見方がネット世代を中心に米国民の常識(2006年のCNN調査によれば米国民の75%が9.11事件は政府の自作自演ではないかと疑っている)となっています。米国民はブッシュ政権になってガソリン価格が4倍に暴騰した根本原因に気づき始めています。寡頭勢力に牛耳られるマスコミや証券会社のエコノミストは石油高騰理由についていろいろ詭弁を弄していますが、賢明な米国民も少なくないのでもうだまされないでしょう。デビッド一派への恨み(「一将功成りて万骨枯る」に対する恨み)は日に日に募っています。デビッド一派(戦争屋)は大もうけできたものの、米国の国富が偏り過ぎて、結局、米国の国民経済がガタガタになってきたのです。「過ぎたるは及ばざるが如し」とはこのことです。それをみて、デビッド一派のおこぼれにすらあずかれない他のロックフェラー一族はとんだトッバチリだと怒ったのです。上記、エクソンモービルの株主総会の騒動の根本原因は、米国民の恨みがデビッドのみならず、ロックフェラー一族全体に向けられるのではないかという危機感の表れです。

4.米国民の9.11真実解明要求にこたえて、ブッシュを生け贄にする計画が進行か
9.11事件に関する多数のネット情報から推測して、2008年末、ブッシュ大統領の任期満了の引退とともに、ポスト・ブッシュの次期政権の下、米国民の9.11事件の真実解明の要求が爆発する可能性が高いと思います。9.11事件の直接の犠牲者が3千人、発ガン物質の被害による救助隊員など二次犠牲者が千人規模といわれており、ただでは済まされません。2007年秋、ブッシュ大統領の暗殺を
予告するような不気味で悪趣味の映画がすでに封切られています(注3)。ブッシュ大統領はデビッド一派の傀儡(パペット)に過ぎないわけですが、いざとなったら、彼に一切の罪を押し付けようとするシナリオが描かれているかもしれません。しかしマスメディアによるマインドコントロールという彼らのいつもの手口もすでに色あせています。現代のインターネット社会は60年代のケネディ暗殺時代とは違います。米国の知的ネット世代は今度こそはだまされないでしょう。
(やまもと・ひさとし)

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注1:拙著『日米技術覇権戦争』光文社、2003年
注2:ベンチャー革命No.200『北朝鮮ミサイル:日本国民をもてあそぶ玩具』2006年7月5日
  http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/mvr200.htm
注3:ベンチャー革命No.246『英国映画「大統領暗殺」の黙示』2007年10月17日
  http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-Oakland/1386/mvr246.htm

17 7月

こらむ「円・ドルの行方」

山本尚利

1.米国のドル売りは続くか
 
昨年末、デリバティブの違法簿外取引が発覚したエンロンの倒産に続き、ワールドコムやグローバル・クロッシングやタイコーインターナショナルなど、M&Aで急成長した米国大企業の会計不正事件が続出、米国企業への投資家の信用が低下、株価の値下がりとドル売りが止まりません。  円・ドル為替相場は今年春、135円/ドルの円安でしたが、現在116円台の円高となってしまいました。筆者は、長期的円安を予想し、円貯金を相当ドルに替えていました。この先の円動向が非常に気になります。金融アナリストの予想では、8月末には円安に振れるとのこと。その理由は、そのうち米国企業会計の規制強化が打ち出されて、米国証券市場に活気が戻ってくる。一方、日本政府の抱える対国民への累積債務700兆円が減る見込みが立たない、日本経済のファンダメンタルズは依然低調である、貿易黒字は減少しており円高要因は見出せない、などなどです。しかしながら、円・ドル為替相場は高度の国家間駆け引きの結果です。円・ドルの行方は、結局誰にも皆目わからないということです。  ところで、国際関係専門家は米国が近々イラク攻撃を開始すると予想しています。戦争が始まれば、ロッキード・マーチン、レイセオン、ノースロップなどの軍事産業が潤い、戦争特需が生まれます。共和党の強い米国中南部の軍需産業地帯を中心に景気が回復するでしょう。戦争特需でドル需要が生まれて、確かにドル売りは止まるでしょう。米国政府の対外債務累積は約1000兆円、ただし純債務(債権と債務の差)は約300兆円、少なくとも、その3分の一は対日債務です。累積300〜400兆円分の対米ドル債権が日本に存在すると思います。日本政府の対国民への借金700兆円のちょうど半分に相当するドルやドル債権が日本に存在する勘定です。  日本企業が輸出で得たドルを、日銀にて円と交換します。日銀はそのドルで米国債券を購入させられます。米国連邦政府の財政投融資は、日銀や都銀など海外金融機関が購入する米国債券の発行によるドル調達によって実行されています。米国財政赤字が増え続け、日本の対米ドル債権は増える一方です。米国には郵貯のような国営銀行はないので、米国政府は、米国民の預貯金をこっそり使う術がありません。そこで、日本国民など米国外の人々の預貯金を借りている構図です。米国民は、ローリスクの預貯金をあまり好まず、ドル資産をハイリスクの証券投資しています。そのため、米国企業は大小問わず、米国民から潤沢な資金が得られました。一方、日本国民の預貯金は、国債発行による公共投資や、特殊法人の維持費、赤字補填、米国債購入などに使われていますが、国内中小企業やベンチャーに対しては、悪評高い貸し渋りという構図です。

2.米国不景気が日本に及ぼす影響  
もし、米国民が、一連の企業会計不正に不信を抱き続け、証券投資に嫌気が刺し、米国の国民資産が証券から預貯金に回れば、米国の銀行は米国債の購入を増やす可能性があります。米国政府の公共投資は、道路やダムではなく、軍事力強化です。深刻な不景気に直面した米国連邦政府は景気再生の特効薬として戦争による国内景気刺激という危険な戦略を持っています。特に、現ブッシュ共和党政権はその傾向が強い。チェイニー副大統領や、ラムズフェルド国防長官などブッシュ政権の取り巻きは軍事産業と癒着している人が多いですから。米国政府は、日本を含む海外からの米国債購入と、米国国民の預 貯金からの米国債購入により、潤沢な軍事資金を調達できます。日本人が毎日満員電車に揺られて、こつこつ働き、稼いで貯めた虎の子預貯金は、日本の銀行を介して米国債購入に当てられる。 そして何時の間にかイラク攻撃ミサイルに化けるかもしれません。この際、米国は軍事支出増による財政赤字倍増には目をつぶるわけです。ドルが世界の基軸通貨であるかぎり、米国政府がどれほど財政赤字を増やそうと、ドルが崩壊することはありません。そのときは、世界の金融システムの崩壊です。それは米国のみならず、巨額のドルを保有する日本や欧州諸国にとっても大危機です。  米国政府は財政赤字が限界を超えると、ドル切り下げを行って対外借金の棒引きすることも可能です。これは1985年のプラザ合意で実際起きたことです。米ドルは250円/ドルから一挙に150円/ドルとなったのです。基軸通貨国、米国に限って、その気になれば何でもできるのです。日米政府レベルではドルも円も単なる紙のお札でしかないのです。使わなければただの紙くずです。米国政府は世界恐慌を回避するためには、何でも良いからドルという紙幣をぐるぐる回さなければならない、ということです。基軸通貨国はドルをひたすら使う。円など外国通貨との交換レートに歪が生じたら、その都度、調整・是正すればよいのです。  世界の基軸通貨ドルが通貨危機に見舞われても、ドルを守るため円は犠牲にされることがあるでしょうが、円を守るため、ドルが犠牲になることは決してないでしょう。米国は国益のためには極めて横暴となる国です。日米同時不況の悪環境では、いざと言うとき、何かにつけ日本が犠牲を強いられるのは目に見えています。その際、米国に抗議して済む問題ではありません。日米の軍事力格差は想像以上に大きい。軍事力の威圧の前に、非常時、日本は常に米国の犠牲にされる危険が高いといえます。  今後ドル切り下げは起きるでしょうか。1985年は確かに円が強すぎたのですが、2002年現在、円は決して強くない。ドル切り下げにより、実力不相応の円高は起き得ないのです。なぜなら日本の購買力が不当に上がるのは米国にとって脅威となるからです。日本はありあまるドルで世界中の資産をい占めるかもしれないからです。

3.日本はドル大国  
日本は3兆ドルのドル保有大国ということができます。しかも日本の財布のポケットは郵貯を介して政府と民間がつながっています。米国では民間に巨額のドルはあれども、政府の財布はカラッポ。日本や欧州に大借金している構図です。 もしも米国政府が大増税して、ドルで日本に対する借金を返済しても、日本はそれを円に変えない限り国内でドルの使い道はない。日本国民1億2600万人が消費する石油や食糧をドルで購入しても、なお、おつりがくるからドルが3兆ドルも溜まるのです。要は、日本はドルを持て余しているのです。もてあ ましたドルの究極の有効活用とは、ドルで米国の不動産を購入、日本人がそこに移住し、そこでドルを使うことです。3兆ドルでカリフォルニアを買収することもあながち夢ではない。1980年代後半、強い円と大量のドルを保有する日本の米国買占めの動きが表面化しました。米国人は日本人の米国乗っ取り行動に震撼したのです。 そこで、あらゆる手段で、日本の米国乗っ取り阻止戦略が取られ、そして金満日本経済はバブル発生に見舞われました。90年バブルが崩壊した後も、米国から日本へのドル流入は止まらない。米国の潜在的悪夢のシナリオとは、日本が米国にドルを武器に侵略してくることです。日本国民がドルを武器に できることを絶対に気付かせないようにするのが米国の対日攻略の要諦なのです。今ところ、イラクが米国本土に軍事的侵略するシナリオは考えられません。米国にとってイラクは実はそれほど怖くない。真に怖いのは巨額のドル債権大国日本なのです。日本のもつ巨大ドル債権をいかに合法的にディスカウントするかが米国の対日戦略です。そのために米国は手段を選ばないでしょう。 
(やまもと・ひさとし)
11 6月

こらむ「日本転落の歴史」

山本尚利

1.日本経済崩壊とは?
 元東大教授の経済学者、公文俊平氏は2005年日本経済崩壊を予言しています。(公文俊平「文明の進化と情報化」2002年1月25日、Glocom)(末尾)
日本経済の栄枯盛衰の歴史は、世界史の歴史的転回に深く影響されていると言えます。日本経済の崩壊が、次世代への創造的破壊とみなせるならば、2005年の崩壊は、「日本の夜明け」と言いかえることができます。ところで日本経済が崩壊するということは具体的に何を意味するのでしょうか。1991年、旧ソ連の崩壊を思い出してみると、ソ連共産党政府が求心力を失って空中分解し、いくつかの独立国が新たに生まれました。当時国営銀行の取りつけ騒ぎが起きていました。銀行が閉鎖されて預金者が大騒ぎしていたニュースシーンを思い出します。旧ソ連の公務員は給与が支払われなくなり、アングラ経済がはびこっていました。
 2002年5月30日、金融商品格付け機関のムーディーズは日本国債格付けを2段階引き下げ(ランクA2へ引き下げ)、先進7ヶ国の国債信用レベルからはるか下の単独最下位となりました。ムーディーズによると、日本は先進国としては「前人未踏」の領域に踏みこんでいるとのことです。「前人未踏」とは旧ソ連末期のような経済状態を意味しているのでしょうか。具体的には、多数の民間銀行が国有化され、国有化銀行や郵便貯金窓口がある日突然、閉鎖され、預金引出し不能といったシーンが連想されます。ソ連やアルゼンチンですでに起きている現実ですから十分想像できます。銀行機能麻痺により、企業間の決済が大混乱し、企業倒産が続出する。企業は社員に給与を支払えなくなる。個人預金はおろせない。遂にはスーパー襲撃、日用品の買占め・強奪、などの民衆暴動シーンが連想されます。日用品買占め現象は、70年代の石油危機のとき、日本でも発生しました。このようなパニックを防ごうとすれば、日本政府が円を増刷して、銀行に供給していけばよいのでしょうが、今度は物価が高騰するのでしょう。円は暴落、ドルを持っている人が得をする。そこで筆者はせっせとドル預金をやっています。このような自国通貨暴落現象は、つい最近も1998年東南アジア各国で実際に起きたことです。
日本政府が、日本国民の郵貯原資の財投や国債販売で抱えている対国民への国家債務は700兆円と言われていますが、見方を変えれば、過去に徴収しておくべき税金徴収の執行猶予とみなせます。(浦島太郎が玉手箱を開ける直前に相当、開けたとたんBack to the Future)これを徴収していたら、日本が世界一の高税天国(国民には地獄)となります。すなわち日本政府は他の先進国に比べて圧倒的に国家運営能力が劣っている事実が露呈することを意味します。
日本政府が過去に実施した公共投資が正鵠を射ていたならば、その投資リターンによって、他の先進国並にGDP成長率(2?3%)が達成されて、税の自然増収によって、700兆円の国家債務が減らせたはずでした。ところが現実には国家債務は減少するどころか、まだ増え続けています。
 また、国民の預金利子がほとんどゼロに押えられているのは、見方を変えれば増税と同じことです。増税をスローガンに掲げると、政治家は落選するので、あの手この手で、国民所得の実質国庫移転(悪く言えば国家による国民所得のスマートな収奪)が行われているのです。ところが、これほどまで、国民に痛みを押し付け、国家運営がぼろぼろに失敗していても、なお保守政権党を支持する人が存在し、政権交代を望まない国民が少なからず存在しています。この不思議さに欧米人は首をかしげています。日本人はなんてバカなのだろう。一体全体何を考えているのか、それとも思考停止状態(Apathy)か?

2.日本国民に危機感はないのか?

 日本通の欧米人知識層から見て、到底日本国民を理解できない疑問点があります。その枕詞は「日本人は世界第二位の経済先進国となる能力を有しているはずなのに・・・」です。
疑問1:これほど散々たる日本政権党の大失政が起きた。にもかかわらず、政権交代がなぜ起きないのか?日本は、隣の北朝鮮と違って立派な民主主義国(?)であり、国民には投票権があり、政権交代させる権利を有しているのに。日本人はなぜこれほど問題解決能力がないのか?しかるにGDP世界第二位とは。疑問2:700兆円もの天文学的国家債務を抱えた。にもかかわらず日本国債がなぜ、なお国内で売れるのか、また、特殊法人の膨大な不良債権を負わされている国営金融機関である郵便貯金になぜ、これほど人気があるのか。国民多数派はなぜ円を売らないのか、すなわち、円のキャピタルフライトはなぜ起きないのか。日本人はなぜこれほど経済音痴なのか?
 最近のスイス・ビジネススクールIMD国際競争力ランキングで日本が30位、ムーディーズの日本国債格付けが先進国最低などの評価は、その根底に、日本国民の価値観に対する深刻なる「懐疑」が存在すると筆者はみます。一方、西欧人の価値観が理解できない日本指導層は、西欧人は日本を不当に過少評価していると非難するでしょう。西欧人の対日本評価は、統計的数値評価の問題を超越しています。内外価値観差(ドル・円為替内外価格差のようなもの)の問題です。上記の西欧人の疑問の裏に潜むのは、日本人は何と言う経済音痴、何と言う愚民なのだろうかという侮蔑です。にもかかわらず、日本は世界第二位のGDPを誇る経済大国である、という現実とどうしても整合性がとれないのです。つまり西欧的合理性で説明がつかないのです。確かに海外旅行する日本人観光客の多くはどうみても賢そうに見えないのは否めませんが(笑)。

3.日本転落の歴史

 経済産業省の現役官僚、斎藤健著「転落の歴史に何を見るか」(ちくま新書)は90年代初頭におけるIMDランキング世界一から、2002年、30位まで転落した日本という国家の不可思議性解明に挑戦している力作です。著者の立場上、直近の日本国家転落現象への言及を避け、あえて奉天会戦(1905年)からノモンハン事件(1939年)までの34年間の転落の原因分析がなされています。もちろん、両者の転落原因における本質的アナロジーの存在を前提にして議論されています。最近の日本半導体産業転落の歴史にも、同根のアナロジーが潜むと筆者は見ています。ところで日本は世界経済の中で、孤立的に勝手に成長し、勝手に転落することはできません。かならず、競争相手国が存在し、日本の転落はそれらの国々との国際競争の相対世界での出来事です。司馬遼太郎も山本七平も野中郁次郎も斎藤健氏も日本の度重なる転落問題の原因分析(失敗の本質)に四苦八苦されているようですが、日本企業在籍16年、米国企業在籍16年の異文化経験を有する筆者からみると、この手の原因分析にはそれほど難儀しません。「日本人とは何か」を知るには、一言「敵を知る」ことです。そのためには敵の懐に深く入ること、そして敵側から日本をながめること、これがベスト・プラクティスです。筆者の故郷、長州藩フューチャリスト、吉田松陰が、切腹覚悟で黒船乗船、渡米決行に挑んだのはそのためです。筆者は彼の怨念を晴
らすため、外資系に雇われ、この16年間に渡米を70回決行しました。(お金を出してくれたお客さまにひたすら感謝です。1回出張平均100万円、都合7000万円の自己投資に相当します。)
 さて、日本人は平均的にみて潜在能力も知能も高いからこそ、現在世界第二位のGDPを達成しています。従ってけっして愚民ではありません。この問題は親日的米国人事業家のビル・トッテン氏のHPでご覧ください。(彼は在日米国人でありながら日本に同化するよう努力しています。また独特の米国観の持ち主です。)しかし、日本人は国際競合分析(ベンチマーキング)能力に弱いという遺伝的欠陥を有するのです。島国のためかどうかはわかりませんが、西欧人の価値観が十分に理解できないのです。西欧人価値観を知るには、その異文化を肌で経験するしかない。(ただし在外日本拠点に勤務しても効果のないことは外務省官僚が証明済み) 筆者からみると日本人は見えざる敵(Predator)の攻略に全く無防備なことが多い。相手を自分と同じお人好しと見てしまう。
「日本人=底抜けのお人好し=外敵に攻略される=転落させられる運命」という転落パターンが描けます。直近の日本転落原因は米国にあります。お人好し日本人は見えざるPredator(外敵)のスマートな攻略によって、戦略的にかつスマートに転落させられたにもかかわらず、全く被害者意識に乏しく、なぜ転落したのだと真剣に悩んでしまう。また前述の、西欧人の根本的疑問(日本人は愚民に見えるのになぜ経済大国となれたのか)に対する答えは、日本国民は、底抜けにお人好しで、外敵を疑う能力はおろか国家を疑う能力にも欠けるから愚民にみえるが、元来知能は高いのです。また、底抜けのお人好し日本国民は、一見危機感が薄弱(脳天気)に見えるため、やたら啓蒙的箴言する人も多い昨今です。確かにぬるま湯天国に浸っている人も少なからず存在します(笑)。
それもこれも一切含めて筆者は、日本国民の多くは運命受容型国民(閉鎖的極楽浄土を夢見る究極の楽観主義者、浦島太郎)とみています。この点は西欧人とも一部のアジア人とも決定的に異なります。だから日本人は外敵攻略による被害も、政治家や官僚の人為的大失敗による被害も、地震などの自然災害による被害もすべて同列に東洋的諦念(Resignation)で処理するという驚くべき稀有の能力を有しているのです。全ての運命を「しかたがない」(Uncontrollable)で乗り切るのです。(ただし、この特性は時に、焼け跡からでも芽吹く雑草のような底無しの「強さ」に転化します。)西欧人には到底理解できないし、不気味な異星人、すなわち「攻略の対象」に映ることでしょう。
 日本人はまたシナリオ戦略発想が欠落しています。運命(自然の摂理)に逆らってもしかたがないと心の片隅で信じています。明日死ぬかもしれないが、それは「しかたない」ことという運命論者(Kamikaze玉砕美学に通じる)です。

ところが西欧人は、運命は自分で切り開くのことを美学(ベンチャーの原点でもある)としています。明日殺されるかもしれないのなら、それに備えて万全の準備をしておこうと考えるようです。(ゴルバチョフやビン・ラディンの遺言ビデオなど)さて筆者が16年間追求している「企業の経営戦略論・技術戦略論」とは西欧人のシナリオ戦略発想を基本としています。企業競争の勝敗運命はリーダー采配によりControllable(制御可能)であることを前提としています。そこで西欧の運命開拓型指導層あるいは、欧米価値観信者の日本人からみると、知能は高いが故の運命平伏型日本人の指導層が途轍もなく無知無能に見えてしまいます。(みずほ銀行システム障害事件を連想)事実、攻略に弱いのでアッサリ転落させられてしまうのでしょう。筆者はCATVのアニマルチャネルをよく見ます。ライオンに狙われるような、おいしそうなシカは、まず首を噛まれて窒息死させられますが、その昇天した表情は不思議と実に穏やかなのです。
(やまもと・ひさとし)
30 6月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(7)』

谷川 徹


第七回 日米地域情報化考

 世の中「情報化」流行りである。先日来日本との間を何度か往復しているが、10年以上も不振が続く日本経済を活性化する特効薬はITだということで、日本のあちこちで「情報化」という言葉を聞くことが多い。情報システムやネットワーク技術を積極的に導入・駆使して経営や経済を効率化しようということなのだが、企業や政府の業務はもちろん一定の地域全体の情報化レベルを上げる「地域情報化」という概念も最近は一般的になりつつある。ただこの「情報化」の進め方については、日米で認識、アプローチの相違を感ずることが多い。今回は最近経験したことを題材にこの点を論じてみたい。

 最近久しぶりに訪れた大阪で面白い話を聞く機会があった。曰く、最近関西経済の地盤沈下が著しく同地域経済の復権が関西経済界の悲願なのだが、そのためもあって関西の産官学のメンバーを集め委員会が組織されているとのこと。そして関西の今後21世紀に向かって取るべき戦略が議論されたとのことで、わたしの記憶によれば結論の要点は、「今後の関西は“消費者資本主義”を目指すべきこと、またITを積極的に導入し地域の情報化に努めるべきこと」だったそうだ。
 前段の“消費者資本主義”とはおそらく、今後は供給者の論理でなく需要家たる生活者、消費者のニーズ中心の経済運営がなされるべきこと、言い換えれば市場主義、マーケットメカニズムを重視しなければいけないということと私は理解し、至極当然のことであると思ったのだが、噂によれば関西財界の方々はなかなか理解されなかったそうだ。電力やガス、鉄鋼など伝統的な企業が中心の現在の財界ではこういう発想は理解されにくいのだろう。またそれに加えて私が違和感を覚えたのは、委員会が情報化の必要性を提言した時の財界の反応が、「具体的にどういうプロジェクトを推進すればよいのか、○○地区光ファイバー網敷設事業等の推進か、××地区全学校PC配布事業か...」といったような大規模プロジェクトの提案だったと聞いたことである。
「情報化...」といった政策が提唱される時に出る反応が、日本の場合殆どこういった(大規模な)公的プロジェクトの連想であるが本当にこれでよいのだろうか。こういう事業を進めることそのものが悪いとは思わないが、本当に情報化の実は挙がるのだろうか、効率的に地域情報化は進むのだろうかというのがその時感じた疑問なのである。アメリカにいて、日本とは違う政策遂行の考え方やコミュニティの行動規範に慣れてきた私としては、供給サイドの自治体などが金をかけて、「情報化」という名の投資事業を安易に進める発想に違和感を抱かざるを得なかったのである。

 「情報化」本家のアメリカでは早くから国レベルで情報化の必要性が叫ばれており、古くはゴア前副大統領の提唱した情報スーパーハイウェイ構想など、競争力強化のための手段としてIT普及の必要性の認識が浸透している。そのような状況下今年の年初に日本のさるところからの依頼で米国における地域情報化の状況を調査する機会があった。すなわち米国の幾つかの地域で、CSPP*というNPOが策定した地域情報化レベル自己評価シートに基づき、地域コミュニティが一体となって地域の情報化レベルを自己評価、その評価の過程で自分達の地域情報化レベルの現実を認識し、問題意識を共有しつつ改善の歩みを始めている、との情報を得たのを契機に、日本の大学教授の方達と3人でこの取り組みを行った地域のケーススタディを行ったのである。
*Computer Systems Policy Project(1989年に創立されたIBM,HP,SUN,DELL他IT著名企業のCEOメンバーで構成される政策提言組織。ネットワーク社会の構築で米国の競争力を高める旨の過去の提言は情報スーパーハイウェイ構想に結びついたとされる。
 調査は米国内の3ヶ所を選び実際に現地に赴いて関係者の方々にインタビューを行ったが、調査のポイントは、米国の一般的な普通の地域コミュニティがどういう目的に基づきどういう方法で地域の情報化を進めているのか、また地方政府の役割は何かということであった。この経験を前提に、わが国とアメリカの「地域情報化」という事に関する考え方進め方の違いを私なりに整理し、このとき感じたことを述べてみたい。

 この調査結果のポイントをまとめれば以下のとおり。
1) ケーススタディ地区における地域情報化の目的は、a.地域の競争力強化、b.生活利便・環境の改善、c.地域経済活性化で、情報化時代を迎える中、ITというツールを用いて他地域との地域間競争に堪える環境を整えようということ、より快適な生活環境を実現しようということである。
2) 具体的な情報化手順は以下のとおり。
a. 地域コミュニティを構成する各要素の代表、例えば自治体、企業、大学など教育関係、商工会議所、住民、病院、それに通信業者等のトップクラスの人々が、個人の資格でボランティアとして参加、対等の立場で委員会を構成、幾つかの分科会を更に組織して多くの住民も参加させ、地域の情報化の現状を自らの手で調査評価した。
b. この過程で地域住民は自らの地域の情報化レベルの現況を再認識し、情報化レベル向上の意欲に燃え、構成員全員がそれぞれの出来る貢献を工夫して行い*、結果として情報化レベルの向上を実現している。
*カリフォルニア州サンタクラリタ市(人口約16万人)での一例が面白い。すなわち地域に所在する大小約10000の企業にWebサイト保有を普及させるべくアイデアが出され(それまでは約300社のみ保有)、Webサイトデザインコンテストが実施された。コンテストに応募するチーム(地域の学生・生徒)には地元カレッジのコンピュータ学科学生がサポーターとして応援、企業とチームは情報交換しつつWebサイトを作成し、コンテストの賞品には地元大企業などからパソコン1000台が寄付された。このイベントの結果、賞品を獲得したチームや組織にPCの導入が図られると同時にIT能力も向上、更に地域の多くの企業が外部への情報発信手段としてのWebサイトを所有することになった。またイベントの過程で多くの地域住民が関与、情報化の意義の認識を深めるとともに意欲も向上、このような共同作業を地域コミュニティの各員が自ら行うことで、コミュニティ意識が高まるという副次的効果も得ることとなった。
3) 地方自治体はこの作業の調整役、コーディネーター役という黒子に徹し、進行促進の役割をになうに留まった。変わりに地域の代表たちで構成される委員会が主導した。

 すなわちこの米国調査の各地域では「地域の情報化」を、自治体などが一方的に大規模に情報通信設備設置事業を実施することではなく、地域コミュニティの構成員全体が地域の情報化の現況を認識、かつ情報化を自己の問題として捉える意識をもつよう努力を重ね、結果として情報技術の重要性認識、利用環境の改善そして利用スキルの向上を実現すること、としている。「情報化」といえば光ファイバー網の敷設など大規模なプロジェクトを想像し、国から資金援助を受けた役所主導供給サイド主導の事業...と捉らえる傾向が強いわが国とは大きく違う印象を強くしたのである。
 確かにいくらIT設備投資が行われ利用環境が改善しようとも、利用者の意識や利用能力が変わらなくては宝の持ち腐れであって情報化が進んだとはいえまい。またそもそも地域情報化の意義や目的をよく認識していないまま地域に情報投資を進めても、地域の競争力強化、生活利便の向上、地域経済活性化などの目的は達せられないし効率がいいはずは無い。まして自分達の納めた税金からでなく中央から与えられた資金主体で行われるのならば一層当事者意識は薄くなる。
 一方元来自治意識、住民の自立意識の強いアメリカでは、連邦政府からの支援は少なく(もっとも自主財源のウェイトは大きいが)、また地方自治体の財政規模は日本と違いさして大きくなく、自治体政府の規模も小さい(小さな政府指向)。大規模事業も自主財源が大きくなければ出来ないので、住民たちが自分達の手で出来る限りの工夫を凝らして地域の生活環境改善を図ろうとする傾向が強い。NPOやボランティアが活躍する文化がそこにある。 
 それゆえアメリカでの「地域情報化」は、自らの地域コミュニティの快適さを守るため、および地域経済の維持発展を確保するためには地域間競争が不可避との認識のもと、「地域の構成員全員が最少の費用で最大の効果を発揮すべく自らが参加して知恵と汗を出すこと、そうすることで結果として情報技術への認識、能力も高まり地域情報化の実が挙がる」ということになるのである。

 日米どちらの地域情報化の取り組みが望ましいのかは人により考えが違うかもしれない。文化、社会風土の相違から、日本ではなかなかアメリカ方式が実現するのは困難であろう。しかしながら、こういった地域住民全員参加型の取り組みを楽しみながら進めている様子を見ると、どうしてもこういったアメリカのやり方が日本で出来ないものかと思ってしまう。私がアメリカに感化されてしまった訳ではないと信じているのだが...。(続く)
15 11月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(6)』

谷川 徹


第六回『米国大学の現状 パートIII』-スタンフォード大学からの報告

この8月からシリコンバレーに来ている。思うところがあって27年間お世話になった会社を退職、シリコンバレーにあるスタンフォード大学アジア太平洋研究センターの客員研究員として約1年間この地で過ごすことになった。企業という大きな傘から離れて自由を謳歌しているが、日本の外から、また組織の外から日本や日本の企業を見ると気がつくことが一層多くなる。このコラムは約1年ぶりだがしばらくはこの地から感じたことを綴ってみたい。
当地での私の研究テーマは「ベンチャービジネス振興と地域情報化による地域開発モデルの研究」であり、多くの時間をベンチャー企業、NPO、ベンチャーキャピタル、自治体等へのインタビューと資料調べなどに費やしているが、“客員研究員”という肩書きを利用していくつかの学内講義の聴講を許可してもらっている。そこで感じたことからいくつかを報告する。

●尊敬される米国の大学

 まず当地に来て最初に痛切に感じたことは、米国の大学が、産業界はもちろんのこと一般社会から本当の意味で“尊敬”されていることである。大学及び大学人が、中立ではあるものの“尊敬”というよりは世間から隔絶された特殊な存在として認識されがちな日本の事情とは大分違いがある。大学の機能はもちろんのこと、教授陣、学生それぞれがアメリカでは一目置かれている。研究型大学としてランキングに登場するような大学は特にそうである。以前のこのマガジンでも書いたが、それは米国の大学の研究・教育の中身が社会のニーズにマッチし、かつ一般社会ではなかなか得られないレベルを実現しているからだろう。米国の国家的基礎科学技術研究の多くが大学をベースに進められている上に、現実の社会に応用される研究もまた大学から続々と出ていることは以前にも書いた。しかしそれに加えてビジネスの分野でも大学の存在感はきわめて高い。
例えば米国で活躍する大小の企業やNPOの経営陣、主要メンバーの経歴を見ると、修士号、博士号を持っているケースが非常に多い。無論立志伝中の人物もいるが、少なくともハイテク企業は大半そうで、これは別に技術系の経営陣に限らず、マーケティングや財務関係の経営陣でもそうである。ビジネスや経営工学の分野で博士号を持っているのは珍しくない。これに比べて日本の大企業の経営陣においては、業種を問わずまた技術系、事務系を問わず、博士号を持っている人など私の長い銀行生活においてもほとんど見たことがない(無論子細に調べればいるではあろうが)。事務系はそもそも修士号すら持っているケースは皆無に近い。トップエリートと言われる日本のキャリア役人の世界でも同じである。
ここで私が言いたいのは、そういう資格をもっていない日本の経営者の良否を云々することではない。事実、過去の日本の企業はそれなりに成功を収め、世界から日本式経営に学べと言われたこともあるし、今も「KAIZEN」や「KANBAN」などの日本語は生きている。
そうではなく、私の言いたいのはアメリカの場合、大学で学んだ学問が実際の社会やビジネスに役立ち、ゆえに多くの人が更に上のレベルの教育を受けようとしていることなのだ。

●実践的かつ科学的教育
ビジネススクールや経営工学部(School of Management & Science) の授業を例にとってみよう。
この秋学期、私は両学部の講座をいくつか聴講しているが、その中で経営工学部のMs. K. M. Eisenhardt教授のクラス(Strategy In Technology Based Companies)は特に面白い。講義はHarvard Business Reviewを中心素材として毎回ケーススタディ形式で進められる。中身はコカコーラ対ペプシコーラ、アップルコンピュータ、Yahoo等IT企業やEli Lilly他ヘルスケア産業等を素材にし、その戦略の歴史的変化を分析、評価した上で企業が採るべき戦略を科学的、かつ理論的に整理するものである。無論ケースが毎年最新のものに更新されるのは言うまでもない。Eisenhardt教授はインテル、ヒューレット・パッカード等の現役のコンサルタントでもあって、現実のビジネスの最前線に関与、彼女の講義には現実のビジネスのパックボーンがあり迫力満点である。ただし一方的に自分の理論を押し付けるのでなく、生徒に何度も意見を求め議論をしつつ汎用的理論(ゲーム理論や複雑系理論)に収束させてゆくといった手法をとっている。ケースは分かりやすいし、生徒も絶えず自分ならばどうするかということを考えつつ授業に参加することになるので、生徒は数多くの企業戦略を疑似体験することになる。
この他ビジネススクールでは、あの有名なインテルの会長アンドリュー・グローブ氏が1991年以来毎年教鞭をとっており、私も見かけたことがある。従って現実のビジネスに精通したレベルの高い教授の指導の下、実践的な授業を参加型で体験してゆくアメリカの大学生と、知識のみの一方通行的講義中心の日本の大学で教育を受ける日本の大学生とでは、差が出て当然という気がしている。よってこういった実践的かつ汎用的学問を修士課程、博士課程と重ねてゆくことは、より幅広くて深い戦略理論を持ち、企業が遭遇するであろうあらゆる事象への対応能力ありとみなされるのだ。これらが米国で大学の存在が一目置かれることの要因の一つであろう。
無論経営などというものは学問だけで会得できるものでなく、現実の経験の中で培われてゆくものであることに異論はない。特に日本の企業は多くの場合、大学の教育などは現実を知らぬ机上の空論としてさして興味を持たず、大学もそれを跳ね返すような対応はしてこなかった。しかしながら日本のそれは一つの企業での中で長く勤めることによって得るものであって、いわば“丁稚奉公”的体験から得るものである。従って科学的なものというよりは経験的なものであり、一つの業種、一つの企業にのみしか有効でない場合も多いと思う(本当に優秀な人はそれを総合化できるかもしれないが・・・)。
それに比べ以前から人材の流動性が高く専門性を重んじる米国では、経営もまたアウトソース可能な科学的分野として捉え、汎用的経営理論を大学で習得し、かつ現実の経験を積み重ねてきた人間を重視するといったアプローチをとる。よって変化の少ない時代には日米企業戦略の差はあまり出なかったが、ネット時代を迎えた現在、企業環境の変化が極めて早くまた企業の枠組みが一つの業種で定義出来なくなってきたため、経営を汎用理論で解き明かす米国流経営科学教育が脚光を浴びているのだと思う。
最近日本の多くの大学でビジネススクールを設立する動きがあるが、こういった点を踏まえ日本の大学教育が見直されるようになって欲しいものと思うものである。

●豊かな多様性、開かれた大学
もう一つこのEisenhardt教授のクラスに出ていて気づくのは受講する生徒のバラエティ豊かなこと、国際的なことである。すなわち66人という正規のクラスの生徒構成をみると、年齢的には20歳前半の若者から40歳を越す社会人経験者と思われる人がいるし、女性は30%前後いて明日のカーリー・フィオリーナ(ヒューレット・パッカードの女性CEO)を目指している。また人種的にはアジア系が3分の1以上、黒人は2、3人、白人は残りであるが、国籍はスエーデン、デンマーク、ドイツ、スイス、フランス、南ア、インド、台湾、中国、香港、韓国、シンガポール・・・と分かっただけでも相当数に上る。わが日本人も1、2人いるようだが存在感は薄い。スタンフォード大学などカリフォルニアの大学におけるアジア系の学生が多いのは一般的傾向だが、それにしてもこの国際性は本当にすごいと思う。
感じることは、こういった多様な人間構成の中で英語と言う共通語を使いつつ、幅広い議論をしている学生たちは本当にタフになってゆくだろう、またそういった学生たちを受け入れる大学、そしてこの国アメリカもまた一層強くなってゆくだろう、ということである。幾つになっても自分の知識を整理向上させるため学ぼうと社会人に思わせる大学、世界中から学生が学びたいと思ってやってくる大学、そして本当に多様な年齢、性、人種、国籍の学生同士が活発に意見交換、切磋琢磨できる環境を提供しているアメリカの大学は、尊敬されて当然であるし、またそういった活力を自己のエネルギーにして教育や研究のレベルを上げているのである(教授陣自体もアメリカ人のみでなく世界から集まっているし、人種的にも多様である)。日本の大学も外国人に決して門戸を閉ざしてはいないのだが、残念ながら日本語という国際的にはローカルな言語の障壁はあるし、教育・研究の内容にも国際性・汎用性のあるものは多くなく、結果として大学の国際化はほとんど進んでいないのが現実のようである。
たまに日本に戻ると日本は本当に同質社会だと思う。顔は皆同じで話す言葉も皆同じ、しばらくは心地よい感じがするのは同じ日本人だからなのだが、その内に息苦しくなってくる。日本人として暗黙のうちに了解すべき共通のルールに従う必要があると感じるからだろう。純血主義などという日本の某トップ大学はもっと息苦しいし、アメリカの大学のこういった行き方との懸隔は大きい。本当の意味で社会から尊敬される大学になるために、もっともっと広い議論を受け入れて開かれた大学になって欲しいと思うのは私だけであろうか。(続く)

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