小野 正人
第3回 (VCが機能するアメリカ)
(1)莫大な富の創出
米国ベンチャーキャピタルは、1991年を底に停滞期を脱し93年から再び大きな投資ブームが到来した。第一次(1967〜69年)、第二次(1978〜87年)に次ぐ3回目のブームである。
今回のブームは、米国のハイテク好況、とりわけエレクトロニクス、情報通信関連の先端産業の成長が背景にある。マイクロソフト、インテル、サンマイクロシステムズに代表される、かつてのベンチャー企業の活躍が、NASDAQ銘柄を中心に証券市場を牽引している。NASDAQのIPOは、1995年が476件(発行額167億ドル)、96年には680件(同245億ドル)と2年連続で史上最高の発行額を記録し、97年は少し落ち着き494件(同194億ドル)となったが、それでも高水準である。
こうした中で、米国ベンチャーキャピタルの投資企業でIPOを実施した企業は、1995年は183件(発行額67億ドル)、96年は276件(同121億ドル)、97年は134件(同50億ドル)となった。VC投資が停滞していた90年前後の時期には、VCの投資した企業のIPOは40件前後、調達額は10億ドル前後であったから、96年の調達額は当時の10倍以上に増えたことになる。
VCの投資額も、1995年は71億ドル(前年比36%増)、96年は94億ドル(同32%増)と急増した(図6−3)。また、VCの資金調達もきわめて活発で、96年の資金調達額は90億ドルと資金調達額、投資額ともに過去最高を突破している。この2、3年の間に米国の年金基金、金融機関などの機関投資家がVCファンドに対する投資ウェイトを高めたことが第一の理由である。例えば、世界最大の年金基金であるカルパース(California Public Employees' Retirement System、CALPERS)は、1997年時点で84の未公開株式ファンドに54億ドルのコミットメント(投資する契約)を行っている 。
収益面でも、VCファンドは莫大な利益を計上している。全米のベンチャーキャピタルが新規投資する企業は年間320社程度(1991〜95年の平均)であるが、これが95年には183件、96年には276件がIPOを行っているわけであり、この2年間は極めて高いヒット率であることが容易に推定できる。こうしたIPOにまで達した投資先企業の株価上昇によって、VCは多額のキャピタルゲインを得ており、VCの収益率は1980年代末の停滞期に比べて格段に向上している。1995年の調査によると、VCファンドにおける95年の収益率(ネットIRRベース)は、ファンド全体の平均値が年率53.3%と、93年(19.1%)、94年(16.7%)をはるかに上回っている(前掲・図6−2)。なお、この53%という数値は一部の優良ファンドではなく、全米539本のVCファンドの平均値である。
歴史的にみても、ファンドの投資収益率は好不況に大きく左右されるが、1995年の高収益は80年代初頭のベンチャーブームに匹敵する。ベンチャーは創業直後の段階でVCから資金調達するが、その際の取得価格は大半が一株数十セントから1ドルであり、VCはこうした株を十万株単位で取得しており、投資したベンチャーが公開まで漕ぎつけた段階でVCが得るキャピタルゲインは推して知るべしである。かくして成功企業に投資できたVCは、含み資産が大きい分だけ高リスクの投資案件にも積極姿勢がとれる。このようなVCは、懐の余裕が深いという意味から「ディープ・ポケット」(Deep Pocket)と呼ばれている。
今回のブームにより、ベンチャーキャピタルは次のような莫大な利益を得ている。
●IPOによるキャピタルゲイン
IPOに到達したベンチャーの株式は、その半分以上がVCにより所得されていることが多く、VCは今回のブームによって巨額のキャピタルゲインを得て、前述のような驚異的な収益率を実現している。VCがベンチャーから取得する株式の価格は、アーリーステージで2ドル未満、レイターステージで2〜5ドルが一般的である。米国ではIPO時点の公開株価は大体7ドルから20ドルの範囲内であるから、ベンチャーが公開まで漕ぎつけた段階でVCが得るキャピタルゲインはざっと数倍から30倍という計算になる。
●アフターマーケット
加えて、IPO後の株式市場(アフター・マーケットと呼ばれる)でも株価が上昇する会社が続出した。例えば1995年のNASDAQでは、ネットスケープ、ベリティ、スパイグラスのように株式を公開した後の数ケ月で株価が200%以上も上昇した企業が9社もあった。この結果、ベンチャーキャピタルのキャピタルゲインは公開時点よりさらに膨らんだ。
●管理手数料収入
ベンチャーキャピタルには3年連続で前年比30〜40%増の資金が流入している。VCが投資家から得る管理手数料は通常運用資産の2〜3%であり、これだけだけで莫大な収入が計算できる。1997年にVCは米国全体で90億ドルの資金を調達したが、この調達資金の管理手数料だけでVCの収入が2億ドルも増加した計算になる。
ごく単純に図式化すると、ベンチャーの成長→IPO市場の活況→VCファンド利益率の上昇→VCファンドへの資金流入→VCのベンチャー投資の加速→ベンチャーの成功件数が増加、という理想的なサイクルが回っている。かくして成功の循環を実現できたベンチャーキャピタリストの報酬はうなぎ登りとなっている。最近の調査 によると、1996年のベンチャーキャピタリストの年収は、大手VC6社平均で前年比31%増、ジェネラル・パートナー(シニアクラスの地位)で平均227万ドルと2億円を超え、ジュニア・パートナーの年収でも平均58万ドルであるという。ちなみに、97年冬にシリコンバレーのあるVCから送られてきたクリスマスカードの文章をみて頂きたい(下図)。これは多少揶揄したものであるにせよ、彼らの謳歌が伝わるであろうか?。
ただし、現状の米国ベンチャー経済は、多くの面で高株価を前提とした仕組みで動いており、かなりの歪みがあると筆者は考えている。VCが大量の資金をベンチャーに投資するのも、優秀層がベンチャーに集まるのも、各種のビジネスインフラが積極的にベンチャーを支援するのも、すべて現状の株価水準であれば「うまく儲ける」からこそである。
ただし、現状の米国ベンチャー経済は、多くの面で高株価を前提とした仕組みで動いており、かなりの歪みがあると筆者は考えている。VCが大量の資金をベンチャーに投資するのも、優秀層がベンチャーに集まるのも、各種のビジネスインフラが積極的にベンチャーを支援するのも、すべて現状の株価水準であれば「うまく儲ける」からこそである。
すべて現在の高株価を暗黙の前提にして過大な期待収益率を持った資金が株式市場に流入し、大幅赤字のハイテクベンチャーでもIPOが実現するから、それを前提にVC等の投資家は高い株価のベンチャーにも多額の出資を行っている。
一例を挙げれば、ベンチャーがIPOした時点のPBR(株価純資産倍率 )が数十倍の企業が少なくない。あるいは、ベンチャーが外部から雇ってきたCEOの年収が30万ドル、もらうストックオプションの将来価値が数百万ドルもあるという。これはどこかおかしいと思わざるをえない。1998年から米国株式市場がベアマーケット(弱気相場)に入りつつある中、米国VC産業は大きな調整局面を迎えている。これまでのような理想的サイクルが一変しかねないと思うのは筆者だけではなかろう。
(2)VC的ベンチャー育成法
・Full Service
米国のベンチャーキャピタルは、金融業であって金融業でない。VCを形式的に言えば未公開会社投資業であるが、中身は金融機関と全く異なる。米国のVCは、投資の段階でリスク、リターンの高低を判断するよりも(もちろん考慮しないわけではない)、ベンチャーのハイリスクを投資後に「リスクを低く仕上げる」ことを指向する。すなわち、VCが自分の経験・能力・ノウハウや人脈を使ってベンチャーを株式公開が出来るまで成長させる機能である。ベンチャーキャピタリストの多くはベンチャーの経営陣出身、ある意味で業界の顔役であり、投資したベンチャーを自分のネットワークと影響力によって支援する。
言い換えれば米国ではベンチャーの経営者の上にVCという「みかじめ役」がいる。シニア・プレーヤーたるベンチャーキャピタリストが、ルーキー(すなわちベンチャー経営者)をあらゆる面の指導(フル・サ―ビスとか、モア・ザン・マネーと呼ばれる)に努めているのである。
米国のベンチャーキャピタリスト達は、仕事の半分を投資先の支援に費やしている。VCのパートナーであれば、実動時間の50%を投資先を育成するための諸活動に当て、30%が案件発掘や初回投資の決定までの仕事、残り10%が産業企業情報の収集、10%が社内の管理作業という 。対する日本のベンチャーキャピタリストはどうであろうか。筆者の推測だが、案件発掘に当てる時間は全体の50%、社内会議、内部管理資料作成、その他雑務に40%、投資先の支援は10%以下が平均であろう。
・Stay Close
・Stay Close
VCは時間と労力の要る商売であり、費用がかかる分ハイリターンに仕上げなければ元が取れない。ベンチャーの経営指導は一筋縄ではないけれども、VCはリード・インベスターであれば、ベンチャーを実務まで指導するのが普通である。他の投資家とは違って、業界の親玉クラスのベンチャーキャピタリストが日常の業務にまで入り込んで(Stay close)問題点をつかみ指導する。
通常のベンチャーでは、社外の投資家にボードメンバー(社外取締役)の枠が1〜2名用意される。リード・インベスターとなったVCは、担当のパートナーが社外取締役に就任し、最低2ケ月に1回は開催される取締役会に出席する他、要所要所の経営に嘴を入れる。実際、ベンチャー経営者にとって、「VCは強烈な注文をつけてくる恐い兄貴達」というような表現を良く耳にする。
したがって、VCは投資先の経営状態を常に把握している。仮に経営が悪化しても破綻に至るプロセスは(手の打ちようがなくとも)わかっている。日本では、投資先の月次収益や資金繰りをきっちりつかんでいるベンチャーキャピタリストはそれほど多くない。ある日突然投資先の経営が悪化してあわてるケースがある程である。
・Super Dealを探せ
・Super Dealを探せ
VCの収益は、投資案件を高い投資倍率で回収することに尽きる。ことにスーパー・ディールと呼ばれる高成長企業を生み出すとVCファンドは大成功が約束されるから、ベンチャーキャピタリストはスーパー・ディール候補を懸命に発掘する。過去に一流と目されるVCは、すべてこのスーパーディールを実現した実績があるからである。1980年代では、サンマイクロシステムズ、オラクル、コンパック、デル、シスコシステムズがスーパーディールの代表例であり、95年以降では、ネットスケープ、ヤフー、アマゾンドットコムがあげられよう。
例えば、セコイア・キャピタルは、1995年にヤフーのSeries A 、Series Bに出資しているが、Series Aにおいて1株0.2ドルで487万株、Series Bでは1株1.97ドルで51万株を取得している 。セコイアは合計200万ドルをヤフーに投資した訳だが、1996年4月のIPO時点で株価は24.5ドルの初値をつけた。この初値で計算すると、セコイアの投資は1億2,600万ドルの価値を生み、倍率63倍の投資となった。さらに97年以降もヤフーの株価は上昇し、98年6月には1株100ドルを突破した。IPO後もセコイアはヤフーの株式を保有しており、その投資倍率は上記の63倍をはるかに上回るものと思われる。
このセコイア・キャピタルの例でいえば、ヤフーへの投資だけで大型VCファンド1本分の出資額が軽く回収できる計算になる。このように、スーパー・ディールを生めるが否かでVCとしての成功が決まる。ベンチャーキャピタリストが懸命になるのは当然である。
・"Vulture" Capital
それだけ手塩にかけるのがVCたるゆえんであり、実際VCは数年内にIPOの可能性がないベンチャーには見向きもしない。VCにとってベンチャーの企業価値が数倍以上にならなければ投資する意味はなく、ベンチャーを実際にそれだけ高成長させるためにプレッシャーをかける。問題企業に対して、経営者のすげ替えや会社売却もいとわない姿勢はバルチャー・キャピタル(Vulture Capital、ハゲワシのように強欲という意味)と批判される。
・Keiretsu
もう一つ、米国のベンチャーキャピタルは、アライアンス(Alliance、提携)という言葉を良く使う。ベンチャーは、ライセンス契約や販売など他企業と提携なくして急拡大することは難しい。VCは、親玉たる自分のネットワークを提携に活かしており、VCがベンチャーに投資する以前にベンチャーと組む企業を決めているケースも少なくない。
最近では「ケイレツ」という日本語がVC業界に登場している。これを使っているのは、シリコンバレーに本拠を置くトップVCのクライナー・パーキンス(Kleiner Perkins Caufield & Byers、KPCB)である。クライナー・パーキンスは現在まで投資してきた200社近い企業との互恵関係を自分達の持ち味と誇り、自社のホームページで「ケイレツ」ビジネスを数頁にわたって解説している 。同社は、1996年夏に総額1億ドルのJAVAファンドを設立した。文字どおりJAVAの商品化によって生まれるベンチャーへの投資を目的としたファンドであるが、多数の機関投資家向けに広く募集する通常のVCファンドとは違う仕組みである。これは、もともとJAVAの開発部隊が属していたサン・マイクロシステムズと、ネットスケープ、オラクル、コンパックなどJAVA関連のベンチャーと提携を考える元ベンチャー企業(これらの大部分は過去にKPCBが投資した企業である)とKPCB自身、合計11社が資金を拠出したファンドである。ファンドの目的は投資収益だけではない。11社が共同でベンチャーを見つけ、開発や提携を検討し、あわせて自社にも活かそうとする資金のプールがJAVAファンドである。
現在の米国では、過去につながりのない投資家がVCに出資を申し出ても全く相手にされない。言い値で投資家が集まる猛烈なベンチャーブームのせいでもあるが、VC自体が投資家に期待するものが単なる資金だけではなくなっている。VCは先のような「ケイレツ」をベンチャーや大企業だけでなく、VCファンドへの投資家にまで期待している。例えば、VCは有名大学のファンド出資を重要視するが、これは大学のファンド出資者としての魅力もさることながら、大学とのネットワークがベンチャー投資に欠かせないと考えているからである。
(3)シリコンバレーの強み
シリコンバレーは、投資を行うベンチャーキャピタルにとっても世界最高の環境である。次から次へと生まれ出る起業家、エレクトロニクス・通信では世界最高水準の大学・研究所・企業の集積、濃密な人的ネットワーク、車で1時間以内でほとんどのベンチャー・コミュニティにアクセスできる密集地帯、都会へもリゾート地にも近い温暖な郊外が広がる。世界中のベンチャーキャピタルにとって垂涎の地といえるのではなかろうか。
少し具体的にみてみよう。シリコンバレーのVCは、大きく2ケ所に集まっている。一つは、サンフランシスコ市内のフィナンシャル・ディストリクト。もう一ケ所がサンドヒルロード、名にし負う「VCの聖地」である。フィナンシャル・ディストリクトは、かつてはウオールストリートと並び称された伝統的な金融街であり、銀行、証券会社、インベストメントバンクが密集している地域であり、投資家たるVCが集まるのは自然な成り行きである。
・インフラの密集地帯
しかし、シリコンバレーの北部、メンローパーク市の高速道路(280号線)のインター横にあるわずか数百メートルのサンドヒルロード一帯にトップクラスのVCが数十社も軒を連ねているのは、何とも不思議な光景である。
ベンチャーを支えるインフラが、集団毎に隣接し、コンプレックスを形成しているのが、シリコンバレーの特徴である。VCはサンドヒルロード、法律事務所はページミルロードに集まっている。シリコンバレーは、車ですぐ行き来できるだけに、お互いの訪問・接触がきわめて楽で、常時集まってコンタクトを取っている。この密集と人間関係は、生態系(Habitat)と良く言われるように、世界に比肩するものがないシリコンバレーの強みである。
・VCコミュニティ
我々からみてさらに奇妙に思えるのは、彼らVCが同じグループ会社にいるように、一つのビルや隣のビルに同居し、ビルの中のカフェテラスで昼食を取る。テラスで会えばお互い声をかけ合い、世間話から投資案件のシリアスな話までつながっていく。とても競争相手のように見えないのである。日本の会社なら同業のVCと同じビルには入らないし、話をするにも探りを入れたり鎌をかけたりが普通である。
・クラブ的コミュニティ
一言でいえば、厳しい競争を行いつつも、フランクな人間関係に支えられた「VCコミュニティ」である。ベンチャーキャピタリストの商売は、個人の実力と人脈がものをいう。肩書ではまっとうに勝負できないのがこの地の常識であり、彼らも肩書に寄りかかろうとは思っていない。
・実力別の階層がVCに存在
腕の立つベンチャーキャピタリストは実力のある者同士で仕事をしたいと思っている。実力に裏付けられた評判がモノをいうのがアメリカのビジネス社会である。VCの投資は、トップクラスのVC同士で取引が行われるケースが多い。それは、トップクラスVCの成功確率が高いというコンセンサスがあるからである。トップクラスは実力を認め合うVCと一緒に投資を行いたい。その成功確率が高い実績が既に存在するから、優良な投資案件もトップクラスVCに集まる。自然、それ以下の実力のVCは一流の案件には入りにくく、二流以下のVC同士でのディールが増えざるをえない。
(4) 米国型VCは日本にとって「遠い憧れ」か
こう述べてみると、日米VCの彼我の差異はあまりにも大きすぎて、どうも近づくのは相当難しいそうに感じるのは筆者だけではなかろう。
もちろん米国型が絶対正とはいえないが、リスクマネーを組織的に供給し利益を得ていくビジネスの観点から、日本のベンチャーキャピタル産業の課題について少し問題を提起してみたい。
・ 日本のVC投資手法がハイリスク投資に向いていないのではないか。
前述のように、米国のVCファンドは個人の集まりであり、責任、権限、報酬が個人に直結している。その単純・直接的なVCのスキームがしっかり行われていることによってエージェンシー機能がうまく働いていると考えられる。
パートナーシップは、運営するジェネラルパートナー(GP)が個人であり、GPの投資行動が直接GP個人のリスクとリワードにつながる。日本のVCは、リミテッド・パートナーシップは擬似的に導入したが 、GPが個人でなく会社である。意思決定から成功果実の分配まで社内の合議で決められており、その分担分配がきわめて不明確であり弊害が広く実務に及んでいるのではなかろうか。
また、VC会社の多くが金融機関の関連会社であり、意志決定は親会社の経営政策に影響される部分が大きい。現状では、彼らVCの資金の源泉たる株主や保険契約者の意向をきちんと反映しているとは断言しにくい。
以上の複雑な構造がVC産業のベースにあるために、「投資家から預かった資金をベンチャー投資によって有利に運用する」という使命を、日本のVCは充分に果たしていない可能性がある。
・規律の弱い資金がVCに流れたのではないか。
VCは、投資家から委任された資金を運用するエージェントであり、VCは投資先を投資家に代わって代理監視すべき存在である。しかし、第三次ベンチャーブームでは、銀行、証券、保険等の金融機関がこぞってベンチャー企業向けの投資融資を急拡大させた。VCと競合したのは他のVCだけではなく、保険会社の出資や都銀・地銀の融資であった。これらの会社はベンチャーに資金を提供したのは良いが、その後にベンチャーの経営を適切にモニターしているとはいえず、実力不足のベンチャーを水脹れさせた投融資もかなり散見された。
・日本のベンチャーは間接金融に支えられているのではないか。
日本ではVCの他にも豊富な資金がこれまでは存在した。すなわち銀行貸付と手形等の企業間金融である。しかし、1997年以降の間接金融の激震がベンチャーの経営を揺るがしている。頼むべき銀行や取引先大企業が引き上げ始めたら、ベンチャーはひとたまりもない。
・ 企業育成は、VCよりも他の関与者の方が優れているのではないか。
日本の場合は、大企業や商社、銀行の企業育成能力が高い。いささか揶揄した言い方であるが、日本のVC投資は"Piggy-back Investment" 、つまり、他の企業や銀行をアテにした追随投資が多かった。
ファイナンスはビジネスと一体であり、ベンチャーキャピタルだけが変われば世の中が発展するものではない。ベンチャー企業、ビジネスインフラの進歩と並行してVCも発展していく。今後、日本のVCが一皮剥けた存在になるためのキーポイントは、実力のある個人が集まり、独立した米国型ベンチャーキャピタルを組成し、充分な投資収益をあげて成功できるかどうかが重要ではなかろうか。独立型VCが今後の日本で発展し、彼らが日本のVC産業構造を米国型に近づけるという仮説を、期待を込めて予想したい。
(おわり)
(おわり)