安藤 茂彌
1.技術主導の世界
スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校がシリコンバレーの今日の発展に大いに貢献した事は、日本では良く知られているが、意外と知られていないのがシリコンバレーにある夜学ではないだろうか。
日本の大学では法律を、米国の大学院では経営学を勉強した後、銀行員生活を20数年送った純粋文系の私が、50歳を過ぎてシリコンバレーにやって来て最も困ったのが技術の知識であった。シリコンバレーのベンチャー企業は、新しい技術の開発にしのぎを削っており、現在知られている技術の「その次」を開発しているのである。今ある技術を知っていることが、当然の前提になっているこの世界に文系の私が飛び込んだのだから、無茶と言えば無茶なことであったと、今思い出しては苦笑する。
仕事をするかたわらで、技術を勉強する機会を探し始めたころ、防衛産業の大手ロッキード・マーチン社の研究所に勤めるアメリカ人の友人から、カリフォルニア大学(州立)の運営する夜学が近隣にあることを聞かされた。彼は、工学部の博士号(Ph.D.)を持っているソフトウェアの専門家だが、以前この夜学でコンピューターの講座を教えていたと言う。こうして私のシリコンバレーの夜学での勉学生活が始まった。
2.カリフォルニア大学の夜学
サンフランシスコ及びベイエリア(サンフランシスコ湾を囲む地域)で夜学を開講している大学は、バークレー校とサンタクルーズ校の2校である。バークレー校は6つのキャンパスで開講しているが、地理的に見ると本拠地バークレー、サンフランシスコ市内、メンロパーク、オークランド、サンラモン、フリーモントと、湾の北部と東側に展開している。
サンタクルーズ校も同じく6つのキャンパスで開講しているが、本拠地サンタクルーズとモントレー(この2つは、太平洋岸にある)にある他は、シリコンバレーの中心部、クパティーノ、サニーベール、サンタクララ、ミリピータスの各市に校舎がある。キャンパスと言っても、本拠地を除くと、ひとつの建物の周りに駐車場があるだけのもので、場所によってはカレッジの一部を夜間だけ借りていたり、市のセンターの一部を使ったりしている。
両校とも、一学期三ヶ月で大半のコースは週一回三時間(6:30−9:30PM)で10週から12週で終了する。授業料は1科目当り500−700ドルで入学試験はないが、中間試験、期末試験はちゃんとあり、成績も厳しく付けられる。これらの講座をとっても、学位はとれない。単に修了証が出るだけである。しかし、どこの講座も50人から100人の受講者で混み合っており、遅く申し込むと満員で断られる。それなのに何故多数の人が殺到するのであろうか?
3.実務に重点を置いた講義内容
講義内容と教授陣の顔ぶれを見ると良く理解できる。ジャバが広まりホットになるとジャバの講座を一斉に開かれる。Linux(無料で公開されているオープンソース・ソフトウェア)が重要になると、早速その講座が開かれるのである。シリコンバレーならではのハヤワザである。
ウェブに関する講座は、関連技術も含めて70コースも開かれている。電子商取引に関する講座で6講座、IPネットワークと通信技術に関するもので27講座、ウェブサイトの設計で7講座、ウェブシステムと他のシステムとの統合技術等で30講座といった具合である。
教授も、「象牙の塔」の人間ではない。半導体の製造工程の講座は、インテルの課長が教えている。ウェブの講座のひとつはネットスケープの課長が教えている。通信技術は、ルーセント・テクノロジーや、シーメンスの専門家が教えている。彼らは、個人の責任でアルバイト教授をやっており、会社側から派遣された人ではない。
生徒が昼間働いているなら、教授も昼間働いているのである。教授陣の中には、嘗ては企業のサラリーマンをやっていたがその後独立して自分のコンサルタント会社を持っている人や、驚いたことに、ベンチャー企業の現職の社長も含まれている。教授陣に共通して言えることは、自分が教えている技術を昼間は自分の商売として使っている事である。教えることだけで飯を食っている人はほとんどいない。
半導体の講座では、シリコン・インゴット、ウェハー、フォトマスクの現物を持ってきて生徒に回してくれる。通信技術の講座では、複雑なチップ・ボードを持ってきて、個々の部分の機能を懇切丁寧に説明してくれる。しかし、自分の勤務している会社の企業秘密に絡む部分は、開示すると会社側に訴えられる可能性があるので教えられないと正直に言う。
4.受講者たち
年齢的には20代後半から50代までと幅広いが、主力は20代、30代である。皆自分の意思で来ているが、授業料は会社が援助してくれるケースが多いという。学歴も大学院卒と大学卒がほぼ半々である。学位にはならないものの修了証をもらって更に高い給料のジョブに転職しようとしている人や、会社ではマーケティング部門に携わっているが技術の知識を広げたいと思っている人など様々である。
人種的にもバラエティーに富んでいる。平均すると、白人半分、アジア人半分(中国人・インド人・ベトナム人が大半)である。黒人は殆どいない。
日本人もいない。シリコンバレーにいる日本人の99%は日本企業の派遣社員である。私のように、自由にうろうろしている人はほとんどいない。派遣社員の多くは本社からの出張者の対応と、日々の本社との意思疎通に多大な時間を費やしているようである。日本企業の派遣社員に、夜学の話をすると「自分も行きたいが日々の仕事が忙しいし、出張者があった場合には夜の予定から自分だけ抜け出すわけにはいかない」とのことだ。
しかし、日本企業は、新しい技術をどのようにして吸収しているのであろうか。社内の研修がこの役割を担っているのは良くわかる。しかし、そのスピードはシリコンバレーと変わらないといえる企業が何社あるだろうか。最新技術を学んだ人をローカル・スタッフとして雇えば良いと言う人もいる。確かにその通りだろうが、部下の知識の方が進んでいる場合、彼らの向上心を殺さないで上手く使いこなせるのであろうか。経営判断に間違いは起きないだろうか。
同じシリコンバレーにいながら、日本人の「シリコンバレーの生態系」に距離を置いた日本企業の行き方に、危惧を感じざるを得ないのである。中国人、インド人の真剣な受講姿勢と裏腹に、その時間、出張者を食事とカラオケバーに連れて行って歌いつづけるしかない日本人サラリーマンの生き方に一抹の寂しさを感じるのである。
ロッキード・マーチン社の友人から電話が掛かってきた。ウェブの講座を申し込んで、一旦満員で断られたが、大学側が広い教室に変えてくれたので受講できるようになったとの事。彼は「教授」から今度は「生徒」に変わる。彼は今年58歳になる、先週サン・マイクロシステム社の就職面接を受けたと言っていた。シリコンバレーの人間はどこまでも貪欲なのである。
99年5月
カリフォルニア州メンロパーク市にて
安藤 茂彌
ベンチャーアクセス社 社長 (www.ventureaccess.com)