谷川 徹
第七回 日米地域情報化考
世の中「情報化」流行りである。先日来日本との間を何度か往復しているが、10年以上も不振が続く日本経済を活性化する特効薬はITだということで、日本のあちこちで「情報化」という言葉を聞くことが多い。情報システムやネットワーク技術を積極的に導入・駆使して経営や経済を効率化しようということなのだが、企業や政府の業務はもちろん一定の地域全体の情報化レベルを上げる「地域情報化」という概念も最近は一般的になりつつある。ただこの「情報化」の進め方については、日米で認識、アプローチの相違を感ずることが多い。今回は最近経験したことを題材にこの点を論じてみたい。
最近久しぶりに訪れた大阪で面白い話を聞く機会があった。曰く、最近関西経済の地盤沈下が著しく同地域経済の復権が関西経済界の悲願なのだが、そのためもあって関西の産官学のメンバーを集め委員会が組織されているとのこと。そして関西の今後21世紀に向かって取るべき戦略が議論されたとのことで、わたしの記憶によれば結論の要点は、「今後の関西は“消費者資本主義”を目指すべきこと、またITを積極的に導入し地域の情報化に努めるべきこと」だったそうだ。
前段の“消費者資本主義”とはおそらく、今後は供給者の論理でなく需要家たる生活者、消費者のニーズ中心の経済運営がなされるべきこと、言い換えれば市場主義、マーケットメカニズムを重視しなければいけないということと私は理解し、至極当然のことであると思ったのだが、噂によれば関西財界の方々はなかなか理解されなかったそうだ。電力やガス、鉄鋼など伝統的な企業が中心の現在の財界ではこういう発想は理解されにくいのだろう。またそれに加えて私が違和感を覚えたのは、委員会が情報化の必要性を提言した時の財界の反応が、「具体的にどういうプロジェクトを推進すればよいのか、○○地区光ファイバー網敷設事業等の推進か、××地区全学校PC配布事業か...」といったような大規模プロジェクトの提案だったと聞いたことである。
「情報化...」といった政策が提唱される時に出る反応が、日本の場合殆どこういった(大規模な)公的プロジェクトの連想であるが本当にこれでよいのだろうか。こういう事業を進めることそのものが悪いとは思わないが、本当に情報化の実は挙がるのだろうか、効率的に地域情報化は進むのだろうかというのがその時感じた疑問なのである。アメリカにいて、日本とは違う政策遂行の考え方やコミュニティの行動規範に慣れてきた私としては、供給サイドの自治体などが金をかけて、「情報化」という名の投資事業を安易に進める発想に違和感を抱かざるを得なかったのである。
「情報化」本家のアメリカでは早くから国レベルで情報化の必要性が叫ばれており、古くはゴア前副大統領の提唱した情報スーパーハイウェイ構想など、競争力強化のための手段としてIT普及の必要性の認識が浸透している。そのような状況下今年の年初に日本のさるところからの依頼で米国における地域情報化の状況を調査する機会があった。すなわち米国の幾つかの地域で、CSPP*というNPOが策定した地域情報化レベル自己評価シートに基づき、地域コミュニティが一体となって地域の情報化レベルを自己評価、その評価の過程で自分達の地域情報化レベルの現実を認識し、問題意識を共有しつつ改善の歩みを始めている、との情報を得たのを契機に、日本の大学教授の方達と3人でこの取り組みを行った地域のケーススタディを行ったのである。
*Computer Systems Policy Project(1989年に創立されたIBM,HP,SUN,DELL他IT著名企業のCEOメンバーで構成される政策提言組織。ネットワーク社会の構築で米国の競争力を高める旨の過去の提言は情報スーパーハイウェイ構想に結びついたとされる。
調査は米国内の3ヶ所を選び実際に現地に赴いて関係者の方々にインタビューを行ったが、調査のポイントは、米国の一般的な普通の地域コミュニティがどういう目的に基づきどういう方法で地域の情報化を進めているのか、また地方政府の役割は何かということであった。この経験を前提に、わが国とアメリカの「地域情報化」という事に関する考え方進め方の違いを私なりに整理し、このとき感じたことを述べてみたい。
この調査結果のポイントをまとめれば以下のとおり。
1) ケーススタディ地区における地域情報化の目的は、a.地域の競争力強化、b.生活利便・環境の改善、c.地域経済活性化で、情報化時代を迎える中、ITというツールを用いて他地域との地域間競争に堪える環境を整えようということ、より快適な生活環境を実現しようということである。
2) 具体的な情報化手順は以下のとおり。
a. 地域コミュニティを構成する各要素の代表、例えば自治体、企業、大学など教育関係、商工会議所、住民、病院、それに通信業者等のトップクラスの人々が、個人の資格でボランティアとして参加、対等の立場で委員会を構成、幾つかの分科会を更に組織して多くの住民も参加させ、地域の情報化の現状を自らの手で調査評価した。
b. この過程で地域住民は自らの地域の情報化レベルの現況を再認識し、情報化レベル向上の意欲に燃え、構成員全員がそれぞれの出来る貢献を工夫して行い*、結果として情報化レベルの向上を実現している。
*カリフォルニア州サンタクラリタ市(人口約16万人)での一例が面白い。すなわち地域に所在する大小約10000の企業にWebサイト保有を普及させるべくアイデアが出され(それまでは約300社のみ保有)、Webサイトデザインコンテストが実施された。コンテストに応募するチーム(地域の学生・生徒)には地元カレッジのコンピュータ学科学生がサポーターとして応援、企業とチームは情報交換しつつWebサイトを作成し、コンテストの賞品には地元大企業などからパソコン1000台が寄付された。このイベントの結果、賞品を獲得したチームや組織にPCの導入が図られると同時にIT能力も向上、更に地域の多くの企業が外部への情報発信手段としてのWebサイトを所有することになった。またイベントの過程で多くの地域住民が関与、情報化の意義の認識を深めるとともに意欲も向上、このような共同作業を地域コミュニティの各員が自ら行うことで、コミュニティ意識が高まるという副次的効果も得ることとなった。
3) 地方自治体はこの作業の調整役、コーディネーター役という黒子に徹し、進行促進の役割をになうに留まった。変わりに地域の代表たちで構成される委員会が主導した。
すなわちこの米国調査の各地域では「地域の情報化」を、自治体などが一方的に大規模に情報通信設備設置事業を実施することではなく、地域コミュニティの構成員全体が地域の情報化の現況を認識、かつ情報化を自己の問題として捉える意識をもつよう努力を重ね、結果として情報技術の重要性認識、利用環境の改善そして利用スキルの向上を実現すること、としている。「情報化」といえば光ファイバー網の敷設など大規模なプロジェクトを想像し、国から資金援助を受けた役所主導供給サイド主導の事業...と捉らえる傾向が強いわが国とは大きく違う印象を強くしたのである。
確かにいくらIT設備投資が行われ利用環境が改善しようとも、利用者の意識や利用能力が変わらなくては宝の持ち腐れであって情報化が進んだとはいえまい。またそもそも地域情報化の意義や目的をよく認識していないまま地域に情報投資を進めても、地域の競争力強化、生活利便の向上、地域経済活性化などの目的は達せられないし効率がいいはずは無い。まして自分達の納めた税金からでなく中央から与えられた資金主体で行われるのならば一層当事者意識は薄くなる。
一方元来自治意識、住民の自立意識の強いアメリカでは、連邦政府からの支援は少なく(もっとも自主財源のウェイトは大きいが)、また地方自治体の財政規模は日本と違いさして大きくなく、自治体政府の規模も小さい(小さな政府指向)。大規模事業も自主財源が大きくなければ出来ないので、住民たちが自分達の手で出来る限りの工夫を凝らして地域の生活環境改善を図ろうとする傾向が強い。NPOやボランティアが活躍する文化がそこにある。
それゆえアメリカでの「地域情報化」は、自らの地域コミュニティの快適さを守るため、および地域経済の維持発展を確保するためには地域間競争が不可避との認識のもと、「地域の構成員全員が最少の費用で最大の効果を発揮すべく自らが参加して知恵と汗を出すこと、そうすることで結果として情報技術への認識、能力も高まり地域情報化の実が挙がる」ということになるのである。
日米どちらの地域情報化の取り組みが望ましいのかは人により考えが違うかもしれない。文化、社会風土の相違から、日本ではなかなかアメリカ方式が実現するのは困難であろう。しかしながら、こういった地域住民全員参加型の取り組みを楽しみながら進めている様子を見ると、どうしてもこういったアメリカのやり方が日本で出来ないものかと思ってしまう。私がアメリカに感化されてしまった訳ではないと信じているのだが...。(続く)