4.Know your Country ! 〜よくわかる日本とするために 〜
“Know your Customer”、15年前、私が米国ワシントン州シアトルで、当地の地域密着型銀行に22年勤める日本人の方から聞いた言葉である。「自分の顧客を徹底的に理解しよう」ということであろう。同じく、自国日本の現状をつぶさに観察することで、思い込み、幻想と現実の相違点を検証してみたい。(1)ただしい現状を認識するために
わかりやすい例で検証してみる。前に述べた「戦後日本の復興と高度成長、工業立国、技術大国、工業技術は世界一・・・」という思い込みは皆持っているのではないか。私自身、米国で勤務している時に、「日本車や日本のテレビなど、日本製品は素晴らしい!」と米国の知人から言われた時は、我が事の様にうれしかった。しかし冷静に考えてみると、別にトヨタ自動車や松下電器産業の関係者でも株主でもないのに、変なことである。
2年に1度、国際職業訓練機構(International Vocational Training Organization)というところが主催者となり「技能五輪」というのが開かれている。ちなみに今年は第36回大会が9月から韓国である。日本はこの大会に、1962年の第11回大会から参加し1988年の第29回大会までほぼ1位か2位であった。ところがそれ以降は最高でも3位止まりで1位は韓国と台湾など近隣アジア諸国に占められている。この大会は参加資格が大会開催年に22歳以下なので、中卒と高校卒では特に技能工の場合キャリアに差が出てしまう。ドイツなど16歳くらいから技能工プロとして修行を積んだ人が参加しているのに対し、日本の場合、高校進学率が90%以上になったのも若年の優秀な技能工の原因の一つとも考えられるが、1997年の第34回大会では8位という史上最低の結果となった。1999年の第35回大会では3位と団体銅メダルまで盛り返したが、またも韓国、台湾の後塵を拝した。
台湾を例に取ると、やや古い統計であるが1995年の台湾から米国への輸出は264億ドルで主に工業製品と繊維。同じ年の日本から米国への輸出は1,208億ドルで乗用車及びその部品、IC関連。日本の5分の1程度まで追い上げている。しかも、関税協会の資料によると日本の全体の輸出で、自動車や家電などの耐久消費財の輸出は、1991年末をピークに下落し輸出全体の20%強まで落ちている。やはり、工業立国日本は落日の大国だったのか・・・。自信は揺らぎ、共同幻想は崩れつつある。かと言って新しい価値観もおいそれと受け入れられず、ゲイツ君を過剰に攻撃してしまう・・・。
しかし、今一度統計を良く見てみると、1991年末から逆に部品、材料、生産設備等の資本財は伸びつづけており、全体の7割に達している。その資本財の中身はアメリカの自動車メーカービッグスリーの車体プレス金型(日本製シェア100%)、シリコンバレーの名前の由来の半導体を生産するシリコンウエハーの日本製シェアは70%、携帯電話などに使われる小型リチウムイオン電池の日本製シェアは100%などなど、輸出品目の中身が変わった、というのが正しい解釈のようである。
また、「日本は生産、技術の根幹は海外からの輸入(モノマネがうまい)」というのも、なんとなく信じられている幻想であると思うが総務庁の統計によると、「技術輸出」は1992年半ばに「技術輸入」を逆転し、1999年には技術輸出9,161億円、技術輸入4,301億円と2倍強になり、その輸出先の第1位は米国である。また、1998年にアメリカで取得した特許件数の企業リスト上位10社のうち7社が日本企業(韓国が1社、米国が2社)であり、「技術大国日本」はゆらぐどころか、米国市場を握っているといってよい。
どうも、かつての「工業立国」のイメージだと、自動車、テレビ等の完成品がどんどん売れていることが技術大国だと思い込んでしまうようであるが、今の日本は部品と技術そのものを輸出している国なのである。したがって、第三次ベンチャーブームも「失われた10年で苦しんでいる日本からの出口を探すため」ではなく、「このところ得意な資本財、技術の分野でのサポートをいっそう厚くするためのもの」と、ポジティブなスローガンに置き換えるべきものだろう。
この輸出品目の中身の分析については、東海大学の唐津一教授などがよく発言したり、文章にしたりしている。しかしながら、そのような情報発信はあまり通説とならない。「単発的」なためであろうか、実感との乖離のためであろうか。さらに、繰り返しとなるが、ベンチャーに関する研究も蓄積が少なく、専門家、専門家に近い立場の人間も井戸端会議的な伝聞情報を、“権威つけて”発信してしまっている。
また、2.―(1)で述べたように「工業立国」と自画自賛していた日本にはTechnical Japaneseという科目がなく、米国では学位を出している大学まである、という事実をいかに捉えるか。ベンチャーに関する研究も蓄積が少なく、日本の得意とする分野においても、海外のほうが研究が進んでいるという事実を認識し、日本の社会科学研究のあり方にも再考が必要であろう。
この問題を解決するためには信頼にたる、政府への政策を提言する権威あるシンクタンクの設立の必要性もあろう。米国ではブルッキンズ研究所、ランド・コーポレーション、ハドソン研究所、英国のチャタムハウスなどが、さまざまな財源で支えられ、中立的立場で政策を提言している。そして、さまざまな事態に対応し、体系的な準備がなされているため議論のスタートポイントからレベルの高い論議が可能である。(注5※)
日本にある各種のシンクタンクは、官公庁傘下の公益法人と、銀行・証券・生損保や事業会社の調査部が独立した民間企業であり、いずれも中立とはいいがたい。また、日本の方向を決めるような研究の委託の企画も少ない。
また、冒頭ご紹介したF先生のように日本の大学でもベンチャーに関する諸問題について、きまじめに研究している先生が増えてきている。ただし、「一研究者の学会発表」に留まっており、世論を動かすような情報発信にはなりえていない。日本の大学内部の旧弊した実態は、いろいろなリポートで報告されているが、ひとつの解決方法として大学側の最近の急激な変化、大学間競争の激化が追い風になるのではと筆者は期待している。引用した米国のBabsonカレッジは大学間の競争(学生獲得競争)を勝ち抜くためにベンチャー研究で有名な、J.A.ティモンズ、W.D.バイグレイブ両教授を招聘し、“ベンチャー研究の最先端大学”として打って出た。この大学としての「経営戦略は見事に成功し、今では全世界から留学生、研究者を引きつけている。
日本でも18歳人口の減少に伴い、大学間競争が本格化してきた。一部、宮城県立大学、法政大学、などでベンチャー研究に力を入れているところが増え出したが、今後も一層特化した大学が研究機関として質の高い分析・研究し、前述の政策シンクタンクと成果を競うようになれば、現状分析のための質量ともに豊富な情報が政府、産業界,マスメディアなどへ行き渡ると思われる。
(2)資本市場としての練度
3.で「日本のベンチャー起業家は、レベルが低い」という声が多いという話を書いた。過激な表現であるが、私も実は賛同する時がある・・・。法政大学の清成忠男教授(現総長)も「ベンチャーであるとないとにかかわらず企業は公器である」と常々発言している。(※6)このところ、従来の反省からか「企業とは株主のため」といわれているが、この点だけにフォーカスされすぎだと思う。コーポレートガバナンスの対象は、株主以外にも、顧客、従業員、債権者、地域など企業を取り巻く
いわゆるステークホルダーすべてである。会社の経営が悪化すると従業員の首をすぐ切る(レイオフ)といわれている米国でも、IBM、GEなどの大企業では、慎重に行われている。すぐに首になる、ということでは従業員が会社に忠誠心を持たなくなり、モチベーションも上がらないからである。
ベンチャー企業は、いろいろな面でリソースが不足していることは間違いない。しかしながら、ベンチャー企業であるからこそ、その存在意義を外に対してアピールして説明しておくべきであろう。「日本の産業界に革命を起こし、当社の技術を広めることで社会に貢献したい」と、「社会貢献」を社是にうたっているベンチャー企業が、その「社会」に対して情報を開示せず、脱税や公私混同等の反社会的行動をしている例も残念ながら少なからずある。まったくの矛盾である。
社会風土か、ビジネス風土なのか、20歳代の若手の経営者でも、かつての「中小企業のオーナー」のようなマインドの経営者が少なくない。苦労して創業したためであろうか、会社のものはすべて自分のもの、「カマドの灰まで自分のもの」というタイプの経営者である。しかし、もはや企業の大小にかかわらず、「企業は公器」という考え方を誰もが持たなくてはならない時代である。企業の私物化は、結局はその企業の成長を阻害する。企業の存在意義、ビジョンを明確にし社会と上手に付き合えば、信用も深まり、支援者も増えビジネスチャンスは広がるはずである。企業の発展、存続のためには未公開企業と言えどもコーポレートガバンスに配慮しなくてはならない。
まして、ベンチャーキャピタルなど外部資本、外部投資家が入った時点で、すでに「私物」ではない。「情報公開」を「自社技術を使った未来像」みたいな「大きな夢を語る」のと取り違えている起業家も多い。会社がスタートして間もない時には、「夢」も大事であるが、創業したからには、会計情報、顧客との契約情報、マーケッティングなどの存続と成長のために重要な情報の開示に力点を置くべきであり、夢を語る段階ではないと思う。
「良いものは作った、売れないのは買わない奴に見る目がないからだ」と考えるのが起業家の常である。「会社が伸びるのはまず、起業家、社長が一流であること」、「社長が一流なら技術は二流でも会社が伸びる」という使い古された格言があるが、いまでもその通りであると思う。ピーター・ドラッカー氏は「米国が生み世界に誇れる技術は、“会社を経営する技術”である」と言っている。
今後は、大学など若年のころからの起業家への教育、また、ベンチャーキャピタルを中心とする起業家を支援サイドも、企業へのモニタリングを「性悪説」の立場から厳しくすべきであろう。私などもそうであるが、ある期間付き合い、信頼関係のできた社長にあらためて、会計情報を問いただすというのは、疑っているようで気が引けるものである。しかしながら、このようなことを聞き出せないこと自体不自然なことと考え、また情報開示を求めたら怒り出すような起業家には支援を打ち切るなどの厳しい態度も必要なのであろう。
情報開示を求めたくらいで、関係がおかしくなるようでは、そのベンチャー企業とベンチャーキャピタル(などの支援側)との間はそんな程度のものと低く評価される時代となることを望みたい。創業後、外部資本に第三者割当をするなど直接金融にかかわりを持った時点から、コーポレートガバンスの問題につきあたると起業家も周囲も当然に考えるような「練度の高い資本市場」を形成すべく、関係当事者すべてが努力すべきだろう。
(3)政策と商売の混同
冒頭引用した、日本興業銀行、千葉氏の「第三次ベンチャーブームの目ざすところは新規産業の創出・育成と成長企業の輩出であったが、(中略)いつのまにかベンチャー・ビジネスに関する議論だけが一人歩きし、既存企業が新規産業の創出・育成に果たす役割や既存企業の成長戦略についての議論は軽視されてきた・・・」の文が物語るように、第三次ベンチャーブームの目指すところは、平成不況後、21世紀のあらたなる日本の経済基盤を磐石にするべく次代を担う産業の創出であると思われる。言ってみれば、明治維新、第二次大戦後につぐ、第三の革命的な創業の波が押し寄せている時期である(※7)。
そこで、新規産業の創出・育成と成長企業の輩出には資金が必要 → ベンチャーキャピタル頑張れ、日本のベンチャーキャピタルはレイターステージ(仕上がった企業、上場真近な企業)しか投資せずけしからん!という議論が出てきている。(実際には、1998年頃から大手のベンチャーキャピタルでも、売上「0」円という会社に投資をし始めている。これもデータより、雰囲気で話をする)。
しかしながら、北大の浜田康行教授が再三指摘しているように「ベンチャーキャピタルは投資家から資金を預かり、増やしてお返しすることを目的としたビジネス。その国の将来のための新産業を創造するのは、政府の仕事(政策)の範疇ではないか?」という意見も多く、私も賛成である。
明治維新の頃は、明日の日本のために「富国強兵」政策のもと、政府は官営八幡製鉄所、富岡製糸工場などを作った。第二次世界大戦後は「経済復興」をスローガンに、石炭など重要産業に傾斜的に資源を集中させ重化学工業、鉄鋼、造船業を支援し、産業界に資金を供給する銀行にも手厚い保護を与えた。この第二次大戦後の官主導の「日本株式会社」方式は大きな成功を収め、GDP世界第二位の経済大国を作り上げたという実績を持っている。言うなれば、経済成長の背景に立派な政策、国家的マクロ戦略が存在したということであろう。
さて、第三次ベンチャーブーム、21世紀の日本を担う新産業創出のために必要な国家的マクロ戦略は何であろうか?国家の役割、それは、国防・外交・教育であるといわれる。米国においては、国防総省が軍事目的のために科学技術の発展を支援し、冷戦後に軍事技術が民生化され、それが新産業創出に大きな役割を果たしている。ただ、本稿では国防・外交には触れないこととする。
やはり、新規産業創出において教育の果たす役割は大きいと思う。子供の頃からの独立志向を養うこと、前述したように起業家予備軍のための起業家教育などである。それらは、何十年も根気よく続けて効果の出るものであろう。何十年ではなく、数年根気良く続ければ成果が上がると思われるものに、TLOがあると私は考えている。日本のTLOについては、懐疑的な意見が多いが、Tech-Ventureの80号で山本氏もしているように遠山文部科学大臣が全国の国立大学の削減と、各大学の研究競争を促進して最終的には国公私トップ30校くらいに集中投資すると発表したことにより、今後各大学は研究成果の質の向上にかなり本腰で取り組むものを思われる。また、前述のように少子化による大学間競争が激化してきたことを考えても、日本の大学発ベンチャーについては期待できると思われる。ここでは、国家的マクロ戦略の一例としてTLOを取上げてみたい。(※8)
米国の大学は、米国自身が新しい国であるという背景もあり、知識・技能を教える機能主義にかなり偏っている。英国のように、伝統や歴史、貴族としての振る舞い、礼儀作法を「学校で習う」という習慣もない。日本でも学校というと、機能ももちろんだが「道徳」的なものを学ぶところという感覚がある。
従って、昔から大学間競争は激しく、「国や企業から研究費を集められる教授、また講義を商品」として学生を集められる教授を多く集め、学生の多い大学が生き残る、という様相を呈している。一方、州立大学などは地域社会、つまりその大学がある州が繁栄しないと大学の経営に響くためもあり、「州立大学は州経済に責任を負っている」という信念を持っている。
日本では、まだ「講義は商品ではない」という考えの大学が強いといわれている。しかしながら、各大学が「上位30大学」に入るべく、中央の大学は国全体、地方の大学は地方の活性化に寄与するような活動を始めるのではないかと期待している。そして、重要なことは、失敗が続いても根気強く「継続」することである。また、米国では「実用化されてこそ、研究費(国費、州費、大学、企業からの研究費)が生きる」という考え方が根強く、私立大学へのTLOへも巨額の助成金が出ている。(注8)。
TLOに限っても、まだまだ政策的にできることがたくさんあると思われる。自分自身も、「『ベンチャーコメンテーター』のコメンテーター」とか陰口を言われないように、微力ながらも今後も、実績を伴う活動、提言、研究、情報発信を続けて行きたいと思う。(おわり)
注5※ 寺島実郎『新経済主義宣言』(新潮社,1997)
注6※ 平成13年6月28日付「日本経済新聞」第二部A3面
注7※ 松田修一『ベンチャー企業』(1998、日本経済新聞社)
注8※ 日本政策投資銀行HP(http://www.hokkaido.dbj.go.jp/)インターネット講演会 インターネットプレゼンテーション(2001/6) 米国のハイテク産業創設システム〜活発化する大学のベンチャー育成、日本政策投資銀行ニューヨーク駐在員・半田容章 より