masaono777

Tech Venture/テックベンチャー

起業家、エンジニア、投資家、支援者が、ハイテク・アントレプレナーシップを考える情報ネットワーク。

こらむ(小野正人)

4 9月

「さらば工学部 ―理系離れは続く―」

小野 正人
 
またか、と言いたくなるフレーズである。1990年代のバブル経済以来20年近くの間、この理系離れ現象はなんだかんだと続いてきたが、ここに来て理系 出身者と文系との間の生涯賃金格差が5000万円と分析されるとなると(日経ビジネス2008年8月18日号、「さらば工学部」)、高校生であれ、その親であれ、工学部や理学部への進学に躊躇するようになるのも無理はあるまい。
かくいう筆者は、「高3文転」した文科系学部卒業である。今のご時勢は知らないが、筆者の高校では(約30年前)、高校2年4月の文・理のコース選択の際には6割が理科系を選択した。その頃に文科系を選ぶのは、「数学・理科が苦手な連中か女子生徒」というイメージで、普通は当然のように理系を選ぶムードだった。そうして、受験準備モードが本格化する高校3年に、一旦はあまり考えずに理系を選択した生徒が「やっぱり文科系のほうが楽」というような気持ちで文転し(生徒の約1割だったかと思う)、大学入試時点では文・理が半々になっていたようだ。
筆者の場合、結果として文転は悪い選択ではなかったように思う。理系では大したものでなかった数学は、文系入試では稼ぎ頭の科目となったし、大学時代は工学部連中は週2日を夜まで実験に費やしてアルバイトの時間もなかなか取れない一方で、代返とノート借りで十分対応可能なお気楽文系学生となって大学に行くのは週2回ペースで済んだ。就職も文系が有利だった。というか、文系の場合就職の選択肢が広い分、自由な就職活動ができた。工学部は当然、専攻や研究室の制約から入れる会社は限られるけれども、文系は広い意味選び放題(というか自分の実力次第)。もっとも、卒業後の人生が文系だから良かったかどうか・・・。
文系出身者の賃金優位の理由は、文系の就職先である金融・商社・マスコミといった業種の給料が他業種より高いこと、開発・研究といった理系職種 が高度な専門性を要する割に営業・事務といった文系職種より優遇されていないこと、および理系出身者の管理職・経営職への登用割合が低いこと、といった要因がトップ3を占めるであろう。とはいえ、これらの要因は高度成長期から一貫して続いている現象で目新しくもない。 
rikei-banare-20101015
理工系が敬遠されるようになったのは、かくいう賃金格差だけで説明するのは無理があると思う。どだい、高校生が生涯賃金の発想で学部選択すると は思いにくい。むしろ、エンジニアや理工系研究者に対するネガティブ・イメージの拡がりではなかろうか。かつて高度成長期には、湯川秀樹、朝永振一郎のような「理系のヒーロー」が高校生の頭の中に存在したが、今はあのお二方のようなロールモデルを見出しにくい。特に、科学技術のような学術的趣味・興味を持っている 若者まで「おたく」呼ばわりされるようになった社会現象は、理系人間に対するネガティブ・イメージを決定づけている。日本社会が高度で複雑な科学技術に対して、純粋な評価よりも「ダサい」(少なくともカッコよくない)と考える割合が高くなっているのが原因では、というのが筆者の考えである。
日本経済が成熟化し大企業も高齢化していく中で、新技術・新商品の開発よりも、ヒト・モノ・カネ経営資源の社内統制が経営として優先され、フロンティアを拓くエンジニアより管理のうまい社内官僚が出世する構造になっている。ジェネラリストである文系集団が有利な状況であることは明白だ。しかし、それは理屈ではわかっても、どうして日本企業の中に文理(事務系・技術系)の二系統が形成されて作ってキャリアを分けてしまったのだろうか?。確実な証拠はないが、おそらく戦前の官吏制度に由来するものだろう。すなわち、中央官庁の官僚を事務官(文官)と技師・技手(技官)に分けて採用 し、その後の人事配置も文官・技官別に配置して厳然たるキャリア体系を形成させた文・理別人事制度慣例が、戦前戦後の日本企業に浸透していったというわけだ。この制度では、入社時につけられた文・理の背番号をリタイアするまで負わされていき、社内のポストも文・理の色ではっきり分けられ、技術系がつける役職かどうかが明白になっている。このような官吏制度のなかった欧米と現在の日本が違うのは当然であり、こういう歴史によって作られているものだけに、日本企業にある文・理の壁は厚い。
では、理系エンジニアは、経営のできない、指導者になれない、戦前型の「技術吏員」なのだろうか?。そんな発想、ナンセンスと皆思うにもかかわらず、いわく言いがたい制度慣行が改革の邪魔をしている。こと大企業や伝統企業になると、役員登用・幹部登用は人物本位が建前とはいえ、どうしても過去の 慣例や人間関係がモノを言う。結果として、福田首相のような文系にありがちな調整型人材が多用されてしまう訳だ。
結局、理系エンジニアが経営で活躍する独壇場はベンチャーなのではないか。テクノロジー系の中小企業やベンチャーは、欧米のみならず日本でもエンジニア出身社長が大半だ(六本木ヒルズ族のベンチャー経営者はほとんど文系だったけれども)。世界のどこをみても、技術革新のフロンティアは技術者が切り開いている。高校の授業で一度はプロジェクトXのDVDを見せてほしいものだが、バラエティ番組には勝てない。せめて「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)に頑張ってもらいたいが、お笑いだけでは是非もない。こういうときはノーベル賞かもしれないが。
3 4月

スローンとドラッカー

小野 正人
 
ご存知のとおり、ゼネラル・モータースが苦境に陥っています。
GMといえば、今はガソリンを食うばかりでアメリカン・フードみたいな味気の無い車ばかりどんどん作る巨大自動車メーカーという印象で語られますが、昔は凄い会社でした。 ウィリアム・デュラント(彼も馬車製造会社を一代で築いて20世紀初頭に国内のトップメーカーにまで押し上げ、その後1904年に倒産の淵にあったビュイック・モーター・カンパニーの経営権を掌握して4年後にはアメリカを代表する自動車メーカーに再生した偉人。今ならカルロス・ゴーンか。)によって組織され、後にアルフレッド・スローンによって経営基盤が確立され、フォードを抜いて世界最大のメーカーとなりました。

GM経営方針は「どんな予算でも、どんな目的でも」。GMは複数のブランドを所有し、北米では最下段にシボレー(1990年にはサターンも登場)、最上段にキャディラックを置いて、巧妙なマーケティングと、それに直結したスタイリング戦略で衆目を引き続け、業界シェアナンバー・ワンであり続けました。まさに「デトロイトの巨人」、アメ車といえばGMでした。
しかし、創成期のGMには苦難がありました。創業者のデュラントは私財を投入して事業拡大に邁進しすぎていた。そこに来て、アメリカが不況に突入すると、デュラントの個人資産の方が持たなくなってきた。デュポンが救済に乗り出すとともに、起業家デュラントは社長退任へと追い込まれたのです。

アルフレッド・スローンの名著「GMとともに」を読むと、以下がポイントだったと思われます。
・デュラントは多品種量産型の自動車会社を考えていた。
・デュラントは技術革新で経営権を持った。
・しかし、会社は大きくなっても、経営や管理については何もなかった。
・結局、景気の変動に左右されて、会社が危機に陥った。

そして、この危機を克服する運命的な場面に、スローンが経営者として登場し、今では世界経営史上一番のコンサルタントといわれるピーター・ドラッカーが助言するという(諸葛孔明のような軍師だったようです)コンビを組み、その後GMの経営技術は非常に進歩していったわけです。 起業家の退場、そしてその後は実務家の登場です。現代であれば先端ベンチャー企業が課題を乗り越えて大発展する姿を見るようです。
 
9 11月

『ベンチャーを手助けすること』

小野 正人
●やっと動きはじめたベンチャーズ・インフラ?
ここ2、3年の間、日本のベンチャーに関する構造問題は、多くの場でいろいろな観点から議論されてきました。何とか米国のようなハイテクベンチャーを沢山勃興させよう、ベンチャーやマイクロビジネスを日本中に起こして雇用を創出していこう、日本が乗り遅れたインターネットやバイオ技術分野をベンチャーによって活性化させようなどと、あっちでもこっちでも百家争鳴のように喧伝されました。しかし、日本のベンチャーズインフラについてはほとんど批判が多く、ベンチャーが出てこない原因とされてきました。
しかしながら、今年はベンチャー運動にとっては発射台のような年だったと感じています。まず挙げられるのはご存知のナスダック・ジャパンが発足したことです。ナスダック・ジャパンはまだ企画会社であり事業はスタートしていませんが、ナスダックが日本に進出するというインパクトは相当大きかったと感じています。ナスダック・ジャパンのインパクトは二つあります。まず、株式公開市場が店頭市場の独占から市場間競争に入り、店頭市場(日本証券業協会)、東京証券取引所、大阪証券取引所、そして来るナスダック・ジャパンの新市場が、相次いで公開基準を引き下げ、これまでは公開できなかったような業容のベンチャーにも積極的に公開を促すようになりました。この市場運営者の変化によって、来年はかなり多くのベンチャーが株式公開を実現するでしょう。また、ナスダック・ジャパン進出は、ベンチャー経営者に(漠然かつ感覚的なイメージではありながらも)ナスダック公開という夢の可能性を身近に感じさせるようになり、結果として経営者の動きが積極的になっています。実はユーフォリアなのかもしれませんが。しかし、やはり景気が底離れしてベンチャーの受注や売上が回復してきたこと、インターネット・コマースやネット広告の拡大、2000年問題、アウトソーシングなどの流れが明確になってきて、企業がベンチャーとの取引を本格化していることが根底にあるのでしょう。

もう一つは、株式市場、とりわけ新規株式公開市場の隆盛です。今年の新規公開は、インターネット関連ベンチャーを中心に投資家の関心が高く、公開直後にかなり高い株価がつきました。99年1月から11月までの新規公開企業では、初値対公募価格(公開後最初の取引価格と公募時価格の倍率)は平均2.2倍で、5倍を超える会社も10社近くありました。また、新規公開企業の初値における予想PER(時価総額と予想当期利益の倍率)は、97年は平均14倍だったものが、99年は40倍を超えています。
このような新規公開市場の好調は、ベンチャーファイナンスの好調にもつながっています。新規公開時の株価が高い分、ベンチャーキャピタル等の投資家がベンチャーに出資する際の株価も、競争激化もあって高くなっており、ベンチャーにとっても資金が有利に集まりなっています。
おおざっぱにいえば、日本で株式公開ができる財務的な基準は既に米国本家のナスダック市場より低くなっており、募集、審査、社内体制整備に関する費用も米国より安くできると思います。また、ベンチャーファイナンスも、ベンチャーキャピタルがスタートアップやアーリーステージの投資を積極的に行なっており、日本では創業期ベンチャーの資金調達はあながち困難とはいえないような状態になっています。もちろん、マーケットの活性化がこれらを引き起こした面もありますから、これが今後も続くとは一概にいえませんが、これまで問題視されていた日本も案外捨てたものではない、というところにまで来たのではないでしょうか。

●ストックオプションの意味
10月末から始まっている臨時国会は、「中小企業・ベンチャー国会」だそうですが、政府案にはなかなか面白いベンチャー振興策があるように思います。以下でちょっと解説してみましょう。

(1)中小企業創造法の改正
・認定企業(これまで全国で約5000社が認定済)について、ストックオプションの付与限度を拡大する。商法上では発行済株式総数の10分の1が上限だったものを、認定企業は5分の1まで拡大。)また、認定企業に貢献する支援人材(コンサルタント、弁理士等)に対しても付与可能とする。

(2)新事業創出促進法の改正
・支援対象企業を拡大し、従来は設立後5年以内、通産省所管の業種、中小企業等が対象だったものを、通産省以外の業種にも拡大する。・対象企業に対するストックオプションの特例:付与限度を拡大し、従来の認定企業は発行済株式総数の5分の1だったものを3分の1まで拡大する。また、認定企業に貢献する支援人材(コンサルタント、弁理士等)に対しても付与可能とする。

法改正の施行細則がどうなるかわかりませんが、これでいくと、ベンチャーを手伝うメリットが大きそうです。特にスタートアップしたばかりのベンチャーをサポートしているプレーヤーには朗報です。手伝っているベンチャーから、額面5万円や10万円以下の行使価格のオプションを労働対価でもらうことも(一般的にいえば)可能です。
スタートアップ・ベンチャーが最も支援を求めています。たとえば、授権資本を理解していなかったり、株主総会の議事録が残っていない(!)ベンチャーも少なくありません。しかし、外部から出資を受けているレイターステージの企業になると、株式が希薄化しますので上記のようにオプションをど〜んと発行する訳には簡単にいきませんし、行使価格も高くなり、また変な話ですが株主総会で付与者の名前や付与株数は決議事項ですので個人情報が外部に伝わる範囲も広がるでしょう。
行使価格5万円のオプションは、もしその企業が成功してIPOするとなれば、本当に化けます。最近は、ネット関連の公開企業では、初値で軽く数百万円を超えています。創業初期に手伝って、行使価格5万円のオプションを20株でも付与されたコンサルタントは、キャピタルゲイン1億円となる可能性もあります。…あくまでも取らぬ狸の皮算用ですが。
こう考えると、創業したばっかりの未来の宝石をしっかり助けてあげることの算段は、あながち報われないことでもないように思います。大企業の方でも、そのような場は決して稀ではないでしょう。

ともすれば、将来の利得を考えてベンチャーを支援することを否定視する層がミドル以上の世代に多いでしょうし、一部の大企業の職制ではこういった行為を兼業禁止の就業規定によって公式に認めません。しかし、このような組織に属していても、それぞれの能力を持った「個」が、ある分野だけについてベンチャーを手弁当でサポートし、その対価をオプションで受け取る、という仕組みは、「出世払い」の現代的なスキームとして論理的効率的な仕組みではないかと思います。来年のオプション緩和策の施行が待たれますが、身近で考えてみてはいかがでしょう。

1 9月

『インディーズは増加するか』

●Finished at Forty
Fortuneの99年2月1日号に「Finished at Forty」(注)というカバーストーリーが載っていました。私が40才ということもあるが、「アメリカの企業は、もはや社員の可能性をもとに給料を決める。40才はRetireする年齢の始まり。」という見出しは何とも刺激的でした。油が乗った働き盛りと言われた40才が、今やアメリカの普通の企業において企業が手放したいグループになっており、年齢を理由に退職を余儀なくされた数々のケースをあげて、経験だけによって企業に居残ることがいかに難しくなったかを論じていました。
知力体力柔軟性と将来の可能性を持った「若い世代だけ」が猛烈に競争する企業社会になってきたのでしょうか。確かに、アメリカ西海岸のソフトウェア会社に行くと、カフェテリアで休憩している社員はほとんど20代です。30代後半ともなれば、役員や部長となって残る一握りを除けば多くは退職して社外へ出ているようです。あの光景をみると、これまで感じることになかった自分の老いなるものが思わず頭に浮かんできます。
想像するまでもなく、人生設計において40代から50代前半が最も支出の多い世代であり、子供の進学や親の介護等の問題が出てきて家計の柔軟性も一番低くなる時期です。この時期に雇用を失った人の苦悩は推して知るべしでしょう。
このFinished at Fortyが日本で当てはまるとは思いませんが、ミドルの独立はだんだんと避けられない流れになってきました。最近送られてくる挨拶状の中も、40代の知人から転職とか独立するという挨拶が増えています(テックベンチャー執筆者の挨拶状もいくつかありました)。最も多いパターンは、コンサルティング会社の開業や独立系のコンサルタント集団への転職で、ベンチャーを創業したケースは私の周囲ではあまり見られません。この世代の民間サラリーマンの多くは、何かしないといけないと思いつつも、「自分がベンチャーの世界に飛び込むなど空想の範囲内」という評価であり、双方のジレンマがこの2、3年続いているのだと思います。

●そろそろと増加している
ポイントはこのジレンマにあるのでしょう。失敗できない家庭を抱えた人間にとって、大企業よりはるかにリスクの高いベンチャーに飛び込むことはまず出来ません。これが基本構図です。40代の世代にとっては、具体的にベンチャーアクションよりも、そういった自分自身の行動ではなくベンチャーについて考えたり何らかで関わるローリスク形態でのアクションがはるかに多いのでしょう。
自分でベンチャーや中小企業に飛び込むような40代アントレプレナーは、これからも大多数にはならないとみた方が良いとみています。しかし一見矛盾する言い方ですが、これからも更に多くの人々が各種各様の独立開業やベンチャーに関心を持つようになるでしょう。
こういう不作為の人々をインディーズと言ったらどうでしょうか。Indees(Independents)、日本語でいえば独立系とでも訳すのですが、自営やベンチャーに属している人々だけではなく組織への帰属心は低く将来は独立したいと思っている企業のサラリーマンも含めた言葉と私は思っています。テックベンチャーの標榜する「良い個を持った人々」と同じ意味で使っています。
インディーズは大企業にも沢山存在しています。自分をそういう人間だと公言しないから、外から見えないだけです。隠れインディーズと呼ぶべきでしょうか。何かやってみたいという願望はその人なりに深いけれども、自分の能力経験やそのチャンスのような現実、そして自分のまわりの係累を考える限り、今の状況から抜け出せない、そう思っている人々が大多数なのでしょう。
とはいえ、インディーズによる独立は少しづつ着実に増加していくでしょう。彼らは、IPOを目指したベンチャーの設立や参画もさることながら、インディペンデント・コントラクター(独立的請負業者)になる人達が多くなる。つまり、技術指導、戦略、人事、販売提携等を指導する「コンサルタント」とか、短期間だけ中小企業に入って暫定的に役員のようなポジションについて会社を引っ張っていく「暫定幹部(立ち上げ屋)」、あるいは人材派遣会社に登録された「ミドル派遣社員」がインディペンデント・コントラクターの姿です。
アメリカでも、1980年代からインディペンデント・コントラクターが増えています。特に、90年前後の不況期にホワイトカラーがレイオフされ、自称コンサルタント、実態は2年間求職中の失業者、という中年が各地で増加しました。最近でも、ビジネス関係のセミナーやカンファレンスで40代以上のアメリカ人と名刺交換をすると、3人に1人位の割合でインディペンデント・コントラクターに該当するような仕事をしている人々に出会うことになります。

●「属世間」の漬物石
このような個を持った社会人のアクションは、目にみえて多数輩出するようになるのでしょうか。この点、私は日本全体としては悲観的に考えています。自立的社会人が増えていったとしても、全体の数%程度の能力経験が優れたグループだろうと思います。
普通の社会人は自分でコトを決められません。社内の行動決定系統や社内の人間関係のように個人が形式的実質的にコミットせざるをえない集団、この「属世間」に自分の言動を裏書きしてもらわないと万事がうまく前に進まないからです。
日本の企業では、抽象的総論的な事に関してはシロクロがはっきりしており主張も明確な感じがします。しかし、個別具体的な話になるとそうは簡単に決まらない。自分の意見は決して結論ではなく、常に公式非公式の諮りごとが必要なシステムに各人が置かれているからです。テックベンチャーのNo.29で山本さんが主張されていたビロンガーの典型は、属世間という漬物石に長年漬けられている人のことを言うのでしょう。
自立した人間が多いはずのVC業界でも五十歩百歩のように思います。ベンチャーキャピタルの多くは、自社だけが出資をすることに臆病であり、また案件の審査には参加者の実質的合意にこだわる傾向があります。その行動はリスクマネジメントとか組織的規範という美しい言葉で理由付けされていますけれども、属世間による集団的意志決定(本来の意味である談合)の一形態ではないでしょうか。

こういった日本の根っこを語ることは私にはとても荷が重過ぎるので、これ
くらいにしましょう。12世紀にインディビデュアルの観念が誕生して以来、個人と集団の相克が流血を伴った歴史となった西欧に対し、日本の個人はまだ生まれてから1世紀しか経っていないのですから。
ビジネスの表層は、アメリカを追いかけて少しづつ変わっています。しかし、どうも我々の根っこはかなり深いようです。コンセンサスの常識に乗っかって行動する方が楽です。「サラリーマンは気楽な稼業と来たモンだあ」というビロンガーは、年功序列、終身雇用に任せていけば、「マクロ経済が成長している限り」自分個人が解決すべき大問題は起こらないのです。いくら「ベンチャーを語るより行動せよ」と蛮声を振るっても、数年ではとても歴史までは変えられないと思います。
インディーズの数十倍以上の規模で、市場主義に基づく雇用の流動化に対してネガティブな人々が日本に存在するでしょう。彼らは外に向かって主張することはほとんどありません。論壇に主張がはっきり現れる市場主義と、何だか論旨がはっきりしない日本的集団主義のメンタリズム、という価値観の対立が、少なくとも21世紀の半ばまでは続いていくと考えたようが良さそうに思いますが、皆さんはどうお考えでしょうか。

(注)"Finished At Forty"、 Fortune、 02/01/1999を参照。
http://library.northernlight.com/SG19990714140000126.html
15 7月

『アントレプレナーシップは傍らにいる』

小野 正人
この春から大学で週1回「ベンチャー経営論」という授業をやっています。今日ようやく最終回が終わって一息ついておりますが、こちらがいろいろと教えられました。
学生のものの考え方はシンプルで論理的で、人間的だなあと感じること数少なからずでした。要は経験知と人脈と自信が足りないだけで、それさえ得られれば充分にビジネスで活躍できるのではと思います。

【最近の学生】
授業で、ベンチャーについてアンケートを取ってみました。質問項目50種類、回答者200名の割ときっちりしたアンケートをやってみたので、一部を紹介します。

*******************************
1.ベンチャー経営論を受講した理由
(1)ベンチャーへの就職や起業を考えているから。
そう思った 少し思った そう思わなかった
28.6% 44.7% 26.6%
(2)世の中でベンチャーへの関心が高まっており、知識を身につけたいから。
そう思った 少し思った そう思わなかった
72.8% 20.6% 6.6%

2.ベンチャーとの関わり
(1)ベンチャーの経営陣(役員)に入りたいか。
そう思う 少し思う どちらともいえない そう思わない
28.6% 32.7% 27.6% 11.1%
(2)卒業後はベンチャー以外に就職するが、10年以内にベンチャーのような事業に関係したい。
そう思う 少し思う どちらともいえない そう思わない
29.1% 36.2% 24.6% 10.1%
(3)セカンドキャリアを今どのように考えているか。
まじめに考えている 少し考えている 考えていない
48.7% 38.7% 10.0%

3.印象深い企業家
ビル・ゲイツ(Microsoft) 43名
孫正義 (ソフトバンク) 20名
本田宗一郎 (本田技研) 10名
スティーブ・ジョブズ (Apple) 10名
澤田秀雄 (HIS) 6名
ジェリー・ヤン (Yahoo!) 6名
松下幸之助 (松下電器) 5名
岩崎弥太郎 (三菱グループ) 4名
南部靖之 (パソナ) 3名
三木谷浩史 (楽天) 3名
中内功 (ダイエー) 3名
井深大 (ソニー) 3名

4.卒業後に小さなベンチャーに就職した場合、あなたの周りではどのような反応をすると思うか。
(1)父親
チャレンジを積極的にすすめる 21.1%
少し好印象を持つ 10.0%
どちらでも構わないという 30.2%
できれば大企業に就職して欲しいという 24.6%
大企業に入れと注文をつける 7.5%
絶対にベンチャーに入るのを止めようとする 1.5%

(2)母親
チャレンジを積極的にすすめる 11.6%
少し好印象を持つ 3.5%
どちらでも構わないという 35.7%
できれば大企業に就職して欲しいという 32.7%
大企業に入れと注文をつける 12.1%
絶対にベンチャーに入るのを止めようとする 3.5%


どう思われたでしょうか?
私にとっては考えさせる結果でした。ベンチャー論の授業を選択しているので、平均的な学生よりはベンチャーにポジティブな態度だろうと予想していましたが、その予想を越えていました。
セカンドキャリアを多少なりとも考えている学生が87%もいるという結果はすごいことですね。大企業に入ってもずっと勤めるつもりはないと・・。大企業の人事部も若手を留学や派遣に行かせられない時代、ということです。
親の意識も変わっているようです。私の親の世代が昭和50年代に卒業した我々にどう言ったかに思いをはせれば、「ベンチャーに行く」といえば9割方は反対したのではないでしょうか。知らないうちに「土台」が動き始めました。
アメリカの大学はもっと変わっています。今、アメリカのビジネススクールでEntreprenurshipを専攻する学生は全体の3割にまで増えているそうです。B-Schoolといえば、マーケティングとファイナンスが定番の軸で、この2つを専攻する学生が8割を占め、Entreは数%というのが5年前までの姿だったと思います。これが5年で様変りでEntreの授業は受講希望者が定員の1.5倍になる大学が続出しており、各B-Schoolは急造のEntre講座を設置している状況だそうです。日本の大学もそんな状況になるでしょうか。

【ベンチャーは、日常生活の傍らに存在する】
かように、学生がベンチャーを身近に感じ、何かあればベンチャーに入ってみたいと思うようになったのは、単なる時世や物の考え方の変化だけではないと思います。学生であってもそれなりにビジネスらしい仕組みが作れる世の中になっているからだと思います。インターネットのコミュニティ・サイトや携帯電話のWAP(NTTドコモのiモードが代表的な商品ですね)に関する技術インフラとか、人材派遣のようなビジネスに、結構いろいろな学生が入ってきています。
やはり、ベンチャーは日常生活の傍らに存在するようになってきました。「技術屋は経営を知らない(知らなくて良い)」、というストラクチャーがこれまでの日本企業でしたが、テクノロジーの変化と無言の反乱が着実に起こっています。

この変化を宗教に(強引に?)たとえてみましょう。ローマン・カソリックは、Cathedral Moduleでした。簡単にいえば、「神は、教会(神父)によって民に伝達するもの」でした。技術面からいえば仕方ありません。民衆は文字が読めないどころか、文字を書いた本(=聖書)は中産階級の所得の10年分だったのですから。
それが、ご存知のようにグーテンベルグによって、中産階級の所得の半年分以下で手に入るようになりました。聖書を読むことで神を民衆の傍らに引き寄せるという考え方が可能になったと(も)いえるのです。

同じような技術革新が、この10年間で起こったようです。これまでの大企業時代においては、「経営(エンジニアリング)は、経営陣によって社員(エンジニア)に一方的に伝達し、彼らを統制するもの」でした。平社員やエンジニアは、経営を知らない(知らなくて良い)ということが暗黙のコンセンサスの時代だったと思います。それが、コンピュータ、Database、ネットワークの超低価格化によって、ビジネスのためのリソースが極めて安価に利用できるようになりました。これは古き産業革命の話ではなく、この10年間のことを言っています。これによって、次第に企業の現場層の人々や、学生のような徒手空拳の人々の目の前に、新しいビジネスが手の届くようになってきたのではないでしょうか。

アメリカでは、真のイノベーションは、既存の大企業には担えないという見方が強まっています。COE(Center of Excellence)と呼ばれる公的研究所や企業研究所、大学は、大企業的なCathedral Moduleによる組織運営ではイノベーションを生み出せない、COEは多種多様な人材が競争主義によって入れ替わり立ち代わるBazaarのような場にしなければならない、という意見が強くなっています。また、大企業の「中央研究所無用論」は、もう実際に実行されています。もはや企業研究所によってR&Dを行わない大企業が増えています。ResearchよりもSearchであり、Search→Catch→Hold→Own→Commercialize、という図式のように、大企業がベンチャーの知識生産力を活用するケースが増大しています。例えば、MicrosoftやCiscoのベンチャーの買収であり、これらは、Acquisition and Development(A&D)と呼ばれています。

時代は、上っ面だけでなく、根っこの部分も変わっているように私は感じていますが、いかがでしょうか。日本でも今春からインターネットとElectric Commerceで山が動き出したようです。学生や若手も渋谷周辺で面白いベンチャー・コミュニティを作っています。そのせいではないでしょうが、ヤフージャパンも表参道に引っ越しするそうです。
あと3年経ってみると、多くの人が見習いたいと思うようなロール・モデルが日本にも出てくるかもしれません。それは運次第でしょうが。


月別アーカイブ
記事検索
 
Visiters
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Profile

管理人

  • ライブドアブログ