小野 正人
またか、と言いたくなるフレーズである。1990年代のバブル経済以来20年近くの間、この理系離れ現象はなんだかんだと続いてきたが、ここに来て理系 出身者と文系との間の生涯賃金格差が5000万円と分析されるとなると(日経ビジネス2008年8月18日号、「さらば工学部」)、高校生であれ、その親であれ、工学部や理学部への進学に躊躇するようになるのも無理はあるまい。
かくいう筆者は、「高3文転」した文科系学部卒業である。今のご時勢は知らないが、筆者の高校では(約30年前)、高校2年4月の文・理のコース選択の際には6割が理科系を選択した。その頃に文科系を選ぶのは、「数学・理科が苦手な連中か女子生徒」というイメージで、普通は当然のように理系を選ぶムードだった。そうして、受験準備モードが本格化する高校3年に、一旦はあまり考えずに理系を選択した生徒が「やっぱり文科系のほうが楽」というような気持ちで文転し(生徒の約1割だったかと思う)、大学入試時点では文・理が半々になっていたようだ。
筆者の場合、結果として文転は悪い選択ではなかったように思う。理系では大したものでなかった数学は、文系入試では稼ぎ頭の科目となったし、大学時代は工学部連中は週2日を夜まで実験に費やしてアルバイトの時間もなかなか取れない一方で、代返とノート借りで十分対応可能なお気楽文系学生となって大学に行くのは週2回ペースで済んだ。就職も文系が有利だった。というか、文系の場合就職の選択肢が広い分、自由な就職活動ができた。工学部は当然、専攻や研究室の制約から入れる会社は限られるけれども、文系は広い意味選び放題(というか自分の実力次第)。もっとも、卒業後の人生が文系だから良かったかどうか・・・。
文系出身者の賃金優位の理由は、文系の就職先である金融・商社・マスコミといった業種の給料が他業種より高いこと、開発・研究といった理系職種 が高度な専門性を要する割に営業・事務といった文系職種より優遇されていないこと、および理系出身者の管理職・経営職への登用割合が低いこと、といった要因がトップ3を占めるであろう。とはいえ、これらの要因は高度成長期から一貫して続いている現象で目新しくもない。
理工系が敬遠されるようになったのは、かくいう賃金格差だけで説明するのは無理があると思う。どだい、高校生が生涯賃金の発想で学部選択すると は思いにくい。むしろ、エンジニアや理工系研究者に対するネガティブ・イメージの拡がりではなかろうか。かつて高度成長期には、湯川秀樹、朝永振一郎のような「理系のヒーロー」が高校生の頭の中に存在したが、今はあのお二方のようなロールモデルを見出しにくい。特に、科学技術のような学術的趣味・興味を持っている 若者まで「おたく」呼ばわりされるようになった社会現象は、理系人間に対するネガティブ・イメージを決定づけている。日本社会が高度で複雑な科学技術に対して、純粋な評価よりも「ダサい」(少なくともカッコよくない)と考える割合が高くなっているのが原因では、というのが筆者の考えである。
日本経済が成熟化し大企業も高齢化していく中で、新技術・新商品の開発よりも、ヒト・モノ・カネ経営資源の社内統制が経営として優先され、フロンティアを拓くエンジニアより管理のうまい社内官僚が出世する構造になっている。ジェネラリストである文系集団が有利な状況であることは明白だ。しかし、それは理屈ではわかっても、どうして日本企業の中に文理(事務系・技術系)の二系統が形成されて作ってキャリアを分けてしまったのだろうか?。確実な証拠はないが、おそらく戦前の官吏制度に由来するものだろう。すなわち、中央官庁の官僚を事務官(文官)と技師・技手(技官)に分けて採用 し、その後の人事配置も文官・技官別に配置して厳然たるキャリア体系を形成させた文・理別人事制度慣例が、戦前戦後の日本企業に浸透していったというわけだ。この制度では、入社時につけられた文・理の背番号をリタイアするまで負わされていき、社内のポストも文・理の色ではっきり分けられ、技術系がつける役職かどうかが明白になっている。このような官吏制度のなかった欧米と現在の日本が違うのは当然であり、こういう歴史によって作られているものだけに、日本企業にある文・理の壁は厚い。
では、理系エンジニアは、経営のできない、指導者になれない、戦前型の「技術吏員」なのだろうか?。そんな発想、ナンセンスと皆思うにもかかわらず、いわく言いがたい制度慣行が改革の邪魔をしている。こと大企業や伝統企業になると、役員登用・幹部登用は人物本位が建前とはいえ、どうしても過去の 慣例や人間関係がモノを言う。結果として、福田首相のような文系にありがちな調整型人材が多用されてしまう訳だ。
結局、理系エンジニアが経営で活躍する独壇場はベンチャーなのではないか。テクノロジー系の中小企業やベンチャーは、欧米のみならず日本でもエンジニア出身社長が大半だ(六本木ヒルズ族のベンチャー経営者はほとんど文系だったけれども)。世界のどこをみても、技術革新のフロンティアは技術者が切り開いている。高校の授業で一度はプロジェクトXのDVDを見せてほしいものだが、バラエティ番組には勝てない。せめて「爆笑問題のニッポンの教養」(NHK)に頑張ってもらいたいが、お笑いだけでは是非もない。こういうときはノーベル賞かもしれないが。