山本尚利

1.日本経済崩壊とは?
 元東大教授の経済学者、公文俊平氏は2005年日本経済崩壊を予言しています。(公文俊平「文明の進化と情報化」2002年1月25日、Glocom)(末尾)
日本経済の栄枯盛衰の歴史は、世界史の歴史的転回に深く影響されていると言えます。日本経済の崩壊が、次世代への創造的破壊とみなせるならば、2005年の崩壊は、「日本の夜明け」と言いかえることができます。ところで日本経済が崩壊するということは具体的に何を意味するのでしょうか。1991年、旧ソ連の崩壊を思い出してみると、ソ連共産党政府が求心力を失って空中分解し、いくつかの独立国が新たに生まれました。当時国営銀行の取りつけ騒ぎが起きていました。銀行が閉鎖されて預金者が大騒ぎしていたニュースシーンを思い出します。旧ソ連の公務員は給与が支払われなくなり、アングラ経済がはびこっていました。
 2002年5月30日、金融商品格付け機関のムーディーズは日本国債格付けを2段階引き下げ(ランクA2へ引き下げ)、先進7ヶ国の国債信用レベルからはるか下の単独最下位となりました。ムーディーズによると、日本は先進国としては「前人未踏」の領域に踏みこんでいるとのことです。「前人未踏」とは旧ソ連末期のような経済状態を意味しているのでしょうか。具体的には、多数の民間銀行が国有化され、国有化銀行や郵便貯金窓口がある日突然、閉鎖され、預金引出し不能といったシーンが連想されます。ソ連やアルゼンチンですでに起きている現実ですから十分想像できます。銀行機能麻痺により、企業間の決済が大混乱し、企業倒産が続出する。企業は社員に給与を支払えなくなる。個人預金はおろせない。遂にはスーパー襲撃、日用品の買占め・強奪、などの民衆暴動シーンが連想されます。日用品買占め現象は、70年代の石油危機のとき、日本でも発生しました。このようなパニックを防ごうとすれば、日本政府が円を増刷して、銀行に供給していけばよいのでしょうが、今度は物価が高騰するのでしょう。円は暴落、ドルを持っている人が得をする。そこで筆者はせっせとドル預金をやっています。このような自国通貨暴落現象は、つい最近も1998年東南アジア各国で実際に起きたことです。
日本政府が、日本国民の郵貯原資の財投や国債販売で抱えている対国民への国家債務は700兆円と言われていますが、見方を変えれば、過去に徴収しておくべき税金徴収の執行猶予とみなせます。(浦島太郎が玉手箱を開ける直前に相当、開けたとたんBack to the Future)これを徴収していたら、日本が世界一の高税天国(国民には地獄)となります。すなわち日本政府は他の先進国に比べて圧倒的に国家運営能力が劣っている事実が露呈することを意味します。
日本政府が過去に実施した公共投資が正鵠を射ていたならば、その投資リターンによって、他の先進国並にGDP成長率(2?3%)が達成されて、税の自然増収によって、700兆円の国家債務が減らせたはずでした。ところが現実には国家債務は減少するどころか、まだ増え続けています。
 また、国民の預金利子がほとんどゼロに押えられているのは、見方を変えれば増税と同じことです。増税をスローガンに掲げると、政治家は落選するので、あの手この手で、国民所得の実質国庫移転(悪く言えば国家による国民所得のスマートな収奪)が行われているのです。ところが、これほどまで、国民に痛みを押し付け、国家運営がぼろぼろに失敗していても、なお保守政権党を支持する人が存在し、政権交代を望まない国民が少なからず存在しています。この不思議さに欧米人は首をかしげています。日本人はなんてバカなのだろう。一体全体何を考えているのか、それとも思考停止状態(Apathy)か?

2.日本国民に危機感はないのか?

 日本通の欧米人知識層から見て、到底日本国民を理解できない疑問点があります。その枕詞は「日本人は世界第二位の経済先進国となる能力を有しているはずなのに・・・」です。
疑問1:これほど散々たる日本政権党の大失政が起きた。にもかかわらず、政権交代がなぜ起きないのか?日本は、隣の北朝鮮と違って立派な民主主義国(?)であり、国民には投票権があり、政権交代させる権利を有しているのに。日本人はなぜこれほど問題解決能力がないのか?しかるにGDP世界第二位とは。疑問2:700兆円もの天文学的国家債務を抱えた。にもかかわらず日本国債がなぜ、なお国内で売れるのか、また、特殊法人の膨大な不良債権を負わされている国営金融機関である郵便貯金になぜ、これほど人気があるのか。国民多数派はなぜ円を売らないのか、すなわち、円のキャピタルフライトはなぜ起きないのか。日本人はなぜこれほど経済音痴なのか?
 最近のスイス・ビジネススクールIMD国際競争力ランキングで日本が30位、ムーディーズの日本国債格付けが先進国最低などの評価は、その根底に、日本国民の価値観に対する深刻なる「懐疑」が存在すると筆者はみます。一方、西欧人の価値観が理解できない日本指導層は、西欧人は日本を不当に過少評価していると非難するでしょう。西欧人の対日本評価は、統計的数値評価の問題を超越しています。内外価値観差(ドル・円為替内外価格差のようなもの)の問題です。上記の西欧人の疑問の裏に潜むのは、日本人は何と言う経済音痴、何と言う愚民なのだろうかという侮蔑です。にもかかわらず、日本は世界第二位のGDPを誇る経済大国である、という現実とどうしても整合性がとれないのです。つまり西欧的合理性で説明がつかないのです。確かに海外旅行する日本人観光客の多くはどうみても賢そうに見えないのは否めませんが(笑)。

3.日本転落の歴史

 経済産業省の現役官僚、斎藤健著「転落の歴史に何を見るか」(ちくま新書)は90年代初頭におけるIMDランキング世界一から、2002年、30位まで転落した日本という国家の不可思議性解明に挑戦している力作です。著者の立場上、直近の日本国家転落現象への言及を避け、あえて奉天会戦(1905年)からノモンハン事件(1939年)までの34年間の転落の原因分析がなされています。もちろん、両者の転落原因における本質的アナロジーの存在を前提にして議論されています。最近の日本半導体産業転落の歴史にも、同根のアナロジーが潜むと筆者は見ています。ところで日本は世界経済の中で、孤立的に勝手に成長し、勝手に転落することはできません。かならず、競争相手国が存在し、日本の転落はそれらの国々との国際競争の相対世界での出来事です。司馬遼太郎も山本七平も野中郁次郎も斎藤健氏も日本の度重なる転落問題の原因分析(失敗の本質)に四苦八苦されているようですが、日本企業在籍16年、米国企業在籍16年の異文化経験を有する筆者からみると、この手の原因分析にはそれほど難儀しません。「日本人とは何か」を知るには、一言「敵を知る」ことです。そのためには敵の懐に深く入ること、そして敵側から日本をながめること、これがベスト・プラクティスです。筆者の故郷、長州藩フューチャリスト、吉田松陰が、切腹覚悟で黒船乗船、渡米決行に挑んだのはそのためです。筆者は彼の怨念を晴
らすため、外資系に雇われ、この16年間に渡米を70回決行しました。(お金を出してくれたお客さまにひたすら感謝です。1回出張平均100万円、都合7000万円の自己投資に相当します。)
 さて、日本人は平均的にみて潜在能力も知能も高いからこそ、現在世界第二位のGDPを達成しています。従ってけっして愚民ではありません。この問題は親日的米国人事業家のビル・トッテン氏のHPでご覧ください。(彼は在日米国人でありながら日本に同化するよう努力しています。また独特の米国観の持ち主です。)しかし、日本人は国際競合分析(ベンチマーキング)能力に弱いという遺伝的欠陥を有するのです。島国のためかどうかはわかりませんが、西欧人の価値観が十分に理解できないのです。西欧人価値観を知るには、その異文化を肌で経験するしかない。(ただし在外日本拠点に勤務しても効果のないことは外務省官僚が証明済み) 筆者からみると日本人は見えざる敵(Predator)の攻略に全く無防備なことが多い。相手を自分と同じお人好しと見てしまう。
「日本人=底抜けのお人好し=外敵に攻略される=転落させられる運命」という転落パターンが描けます。直近の日本転落原因は米国にあります。お人好し日本人は見えざるPredator(外敵)のスマートな攻略によって、戦略的にかつスマートに転落させられたにもかかわらず、全く被害者意識に乏しく、なぜ転落したのだと真剣に悩んでしまう。また前述の、西欧人の根本的疑問(日本人は愚民に見えるのになぜ経済大国となれたのか)に対する答えは、日本国民は、底抜けにお人好しで、外敵を疑う能力はおろか国家を疑う能力にも欠けるから愚民にみえるが、元来知能は高いのです。また、底抜けのお人好し日本国民は、一見危機感が薄弱(脳天気)に見えるため、やたら啓蒙的箴言する人も多い昨今です。確かにぬるま湯天国に浸っている人も少なからず存在します(笑)。
それもこれも一切含めて筆者は、日本国民の多くは運命受容型国民(閉鎖的極楽浄土を夢見る究極の楽観主義者、浦島太郎)とみています。この点は西欧人とも一部のアジア人とも決定的に異なります。だから日本人は外敵攻略による被害も、政治家や官僚の人為的大失敗による被害も、地震などの自然災害による被害もすべて同列に東洋的諦念(Resignation)で処理するという驚くべき稀有の能力を有しているのです。全ての運命を「しかたがない」(Uncontrollable)で乗り切るのです。(ただし、この特性は時に、焼け跡からでも芽吹く雑草のような底無しの「強さ」に転化します。)西欧人には到底理解できないし、不気味な異星人、すなわち「攻略の対象」に映ることでしょう。
 日本人はまたシナリオ戦略発想が欠落しています。運命(自然の摂理)に逆らってもしかたがないと心の片隅で信じています。明日死ぬかもしれないが、それは「しかたない」ことという運命論者(Kamikaze玉砕美学に通じる)です。

ところが西欧人は、運命は自分で切り開くのことを美学(ベンチャーの原点でもある)としています。明日殺されるかもしれないのなら、それに備えて万全の準備をしておこうと考えるようです。(ゴルバチョフやビン・ラディンの遺言ビデオなど)さて筆者が16年間追求している「企業の経営戦略論・技術戦略論」とは西欧人のシナリオ戦略発想を基本としています。企業競争の勝敗運命はリーダー采配によりControllable(制御可能)であることを前提としています。そこで西欧の運命開拓型指導層あるいは、欧米価値観信者の日本人からみると、知能は高いが故の運命平伏型日本人の指導層が途轍もなく無知無能に見えてしまいます。(みずほ銀行システム障害事件を連想)事実、攻略に弱いのでアッサリ転落させられてしまうのでしょう。筆者はCATVのアニマルチャネルをよく見ます。ライオンに狙われるような、おいしそうなシカは、まず首を噛まれて窒息死させられますが、その昇天した表情は不思議と実に穏やかなのです。
(やまもと・ひさとし)