masaono777

Tech Venture/テックベンチャー

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11 9月

「幻想のベンチャーキャピタル(3)」

〜ベンチャー論も唯幻論か?〜

太原 正裕

3.幻想のVCから現実のVC

1)共同幻想保守本流派の起こす混乱
ここに、手厳しい警句がある。「無教養な者の無作法は彼らの無知に比例する。自分に理解できないことすべてに対して軽蔑をもって報いるのである」〜ウィリアム・ハズリット〜
携帯メールを使っていな私も、本当は機種変更が面倒なだけで使いたいのが本音なのに、つい携帯メールを軽蔑することにより、携帯メールを学ぼうとしない自分を自己正当化してしまっている・・・。これも典型的な一例であろう。
また、旧来型の価値観である「共同幻想」のまっただなかにいるその派閥内のエリート(保守本流派?)には、〜過酷な難関をクリアしたことの誇りが、未経験な残りの人生すべての過信へと直結している〜(大沢在昌)。・・・・この言葉で説明できるような人が多い(もともとキャリア官僚の奢りを辛らつに戒めた文脈の中の言葉である)。これは、私にとっても耳の痛い話である。私はあまり過去に人に威張れるような難関を突破したことはないが、それでも議論などで相手を黙らせる時には、「実際にニューヨークで働いていた経験からすると」と(たいしたことしていたわけでもないのに)、ブラフ(はったり)を使うことがある。
このような旧来型の価値観、旧来型の「共同幻想」保守本流派の価値観が混乱を数多く引き起こしていると私は推測しているが、ここでは、わかりやすくするために具体例を上げながら、述べてみたい。
このところよく出会ってしまうケースがある。・・・学歴・経歴は素晴らしい。日本の超有名国営大学卒→米国の超有名大学MBA→米系投資銀行、コンサルティングファーム→ベンチャーキャピタル(VC)という方や、企業派遣で米国のMBAをとり、現在出向でVCに在籍しているような人。ベンチャー、ベンチャーキャピタルという言葉がこれだけ日経新聞を毎日賑わし、ベンチャーの本場、米国で生活した経験から「進学校→○○大学→××商亊→(出世)」でだけではなく「進学校→○○大学→××商亊(→海外留学)→VC→大成功」という経路も、エスタブリシュメントのキャリアパスとしておかしくない、「自分も良いと思うし、周囲も尊敬してくれるだろう」という「あらたなる共同幻想が浸透しつつある(新保守派?)」と思って、ベンチャーキャピタルやベンチャー企業支援の世界に飛び込んできた方々である。自身がベンチャー企業を興している例もあった。このようなベンチャーキャピタル、ベンチャー支援業に「New Comer」として現れた、新保守派の諸君は「ハンズオンでベンチャー企業をお手伝いしたい」という方が多い。米国VCの神話を聞きかじっているのだろう。

ベンチャー企業の仕事は、本来泥臭いものである。また、「企業は人なり」というが、ベンチャー企業はまさに「人」がナマでぶつかり合っている世界。毎日毎日、いろいろな“事件”が小さいことから大きなことまで発生している。例えて言えばイレギュラーバウンドのゴロしか来ない。しかし、この新保守派の方々はお育ちが良いためか「麻呂(まろ)は・・・」というような、お坊ちゃまが多い。世間の銃弾を浴びていないというか・・・。いわゆる「学校秀才」が多い。リポートなどを作らせたら日本一でも、実際、現業の分野に出てくるとおぼつかない。実務、現場は瞬間瞬間ジャッジしなくてはならず、勇気、決断力、行動力、度胸などがいる。ましてベンチャー企業の相手をしようと思ったら、個別の案件ごとにきめ細かい対応をせざるを得ず、しかも事情が当人しかわからないので誰かに手伝いを頼むわけにも行かない。
ベンチャー企業では、頼りにしていた経理部長や営業部長がある日突然来なくなる、などということは、よくある。大企業では、責任あるポストの人が病気でもないのに失踪することは精神的追い詰められた時以外はあまりないだろう。しかし、かなり順調で上場準備に入っているような、いわゆるレイターステージのベンチャー企業でも、人の入れ替わりは日常茶飯事である。創業社長との意見の相違、実は使い込みをしていた、自分でも創業したくなった、もともと(とくに神経系の)病気で大企業を辞めていた・・・などなど理由はさまざまである。
こういう例を目の当たりにすると、学校秀才たる新保守派クンは「まろは、(部長が突然来なくなるような)かようないいかげんな会社の相手はヤでありんす」(これでは花魁か?)とばかりに逃げ出してしまう。逃げ出すだけなら良い。エスタブリッシュメントの沽券にかかわると思うためか、猛烈なベンチャー批判、ベンチャー支援業批判、ベンチャーキャピタル批判を始める。自己正当化のためであろうか?

私が出会った例は、ある青年がVCに転職した時のこと。転職したては「私はこの仕事がやりたかったんです!」と目を輝かせていた優秀なる青年が半年後に会ったら「日本のベンチャー企業経営者なんて、バカばっかりです。あなたもこんな仕事辞めた方がいいですよ。僕も辞めるんです。友達にもVCに勤めているなんて恥ずかしくて言えないんです・・・」とまさに、豹変していたことがある。何しろ、輝かしい学歴・経歴の持ち主ですから「私の力不足でした」なんて殊勝なことは、口が裂けても言わない。自分の進路の選択ミスを認めると、自己否定になり、エスタブリッシュメントとしての自我が揺らいでしまう。そこで、「新保守派」から「旧来型の共同幻想保守本流派」へ逃げ込むのである。そして、ベンチャー界への報復としてハズリット先生の言ったように、「自分に理解できないことすべてに対して軽蔑をもって報いる」のである。
私としても、実はこの新保守派の方々が「旧来型の共同幻想」へ戻ってしまうのは残念でならない。彼らが勘違いしているのは、「自分は大企業にいた、コンサルティングファームで大企業の経営を指導してきた、だから(大企業より組織の小さい)ベンチャー企業の経営支援なんて簡単に出来る」ということではないのだろうか?と考えている。
学校の先生も、大学→高校→中学校→小学校→幼稚園(保育園)と下に行くほど難しい。当然である、小学生や幼稚園児などの“小さな猛獣”達を飴とムチでなだめたり、すかしたりしながら、教育するのは大変なことである。頭脳の明晰さも必要であるが、忍耐、愛情、人間性、全人格的なものなどなどが求められるであろう。
ベンチャー企業もこれと同じことが言える。ベンチャー企業であるから良い人材などなかなか集まらない。大企業と比べれば、雲泥の差であろう。この人材をなだめたりすかしたりしながら育て、なんとか自分の右腕にしようとしているのが起業家である。そのお手伝いをするのは大変なことである。人材だけでなく、あらゆる面をとってみても同じようなことがいえる。
ただ、「現実の銃弾」を浴びたことの無い学校秀才の方々が、寒風吹きすさぶ最前線に出ると、たいていはショックを受けて光より早く後方の司令部に逃げ込んでしまう。そして司令官(上司)には、担当起業家の悪口を、対外的には日本のベンチャー支援業、ベンチャーキャピタルそのもののあり方を非難(否定)するようになるのである。

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(補) 起業家側の問題
日本では、“ベンチャー性善説”のようなものがあり、ベンチャー支援側の問題点を指摘する論者は多いが、支援をされる側=ベンチャー起業家については、問題点を指摘することを遠慮しているような雰囲気がある。
例えば、自身がベンチャー企業を創業した新保守派の学校秀才を例にとれば、支援側と、同じような考え違いを起こしていることがある。ベンチャー企業の経営は一筋縄では行かない。右肩上がりに順調に業績が伸びるなんてことは無い。紆余曲折、行きつ戻りつ、深みにはまったり、袋小路に迷い込んだりしながらそれを糧として前進するのがベンチャー企業である。
ところが、少しつまずくと学校秀才は頭脳が変調をきたしてしまう。自分がやってうまくいかないはずは無い、と思っているためであろうか?ベンチャーキャピタルの担当者がアドバイスでもしようものなら、口論となってしまう。なにしろ、学歴・経歴は素晴らしいので弁は達つ。理論武装も完璧で、口喧嘩では負けない。そうすると、ただの「嫌なやつ」になってしまい、周囲から人が離れていってしまう・・・。起業家で、周囲に人が集まらないというのは致命的である。どんな秀才でも協力者、組織無しでは成功は無理である・・・。
また、起業家自身も「支援を待つ」というタイプの人が多い。売上が上がらない時に「いいモノは作った、買わない方が理解していない」というマーケッティングを無視した経営者はさすがに減少したようだが、「いい技術(アイデア、ビジネスモデル)である。投資しない方が間違っている」という主張する経営者は残念ながら多い。信用を得るためにはとりあえず、与えられた資金や環境の中でなんとか実績を積み上げてゆく、という行為も必要であろう。過剰な資金供給を受けたために失敗してしまう経営者は、相変わらず後を絶たない。
結局はこのような、「失敗した秀才経営者」は、自身が経営していたベンチャー企業を店閉いした後、「日本のベンチャー界」を非難するようになってしまう。悪かったのは自分ではなく、周囲であり、環境だ、ということであろうか?
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(2)第3次ベンチャーブームを幻としないために・・・
以上、旧来型の共同幻想保守本流派の具体例報告は非難めいてしまった。ただし新保守派に属するであろう(?)私も、前に述べた岸田幻想論、つまり「ありとあらゆる価値概念は、実際に存在するのではなく、何人かの共通の思いこみによってのみ成立している、実は何もないんだ、すべて幻なんだ・・・(=唯幻論)という極めてニヒリスティックな思想」からすれば、保守本流派と等価である。人のことは言えないのであろう。「○○部長が直々にお出ましになる」と恩着せがましく言うのと、私が例えば「わざわざ、私が直々に応援しているのだから」というのは、まったく等価である。
山本夏彦氏も「人皆飾って言う」と指摘しているとおり、人間はつい自己正当化し現在の自分を肯定せざるを得ない、はかない存在である。私とて、支援していたベンチャー企業から突如「顧問契約解除」を通告された時は、「起業家の問題はキャピタリスト自身の問題でもある」と自省して状況を甘受する・・・・・・、なんてことはできずに「あの社長はVCから投資してもらって、金が出来てから豹変した!」などと取り乱し、言い訳をし、自己正当化するのが常である・・・。
ただ、岸田幻想論にしたがい、「“共同幻想保守本流派”も“新保守派”も両方とも幻なのです、ではさようなら!」では、ここまで長々書いてきた意味がない。自我が揺らぐと、人間はあたふたする。今、日本全体が出口のなかなか見えない不況の中で、高度成長時代、工業立国の時代の自信が揺らぎはじめ、日本人全体の自我が混乱している状況に見える。冒頭に述べたように第三次ベンチャーブームの目ざすところは、この平成10年不況脱出のための一助とするべく、新規産業の創出・育成と成長企業の輩出である。
いろいろな研究家、もしくは行政担当者が方法論として、米国や欧州などの例を持ち出すのは当然のこと。中でも米国はベンチャー研究の歴史も古く、マサチューセッツ(ルート128、ケンブリッジなど)、カリフォルニア(シリコンバレー、他)、テキサス(オースチン)など地域別の研究も積み上げがある。また、工業立国で間接金融が強く個人投資家が少なかったドイツや、職人を大事にする北欧諸国の産業創出方法など大いに参考になる。
ただ、それらを参考にして、新規産業の創出・育成と成長企業の輩出のための「日本型モデル」をみんなで模索し考え、実行していこう!というのが、我々が行うべきことなのに、なぜか、海外モデルを(特にシリコンバレーモデル)直輸入したってだめだ、という議論になってしまっている気がする。当然、シリコンバレーモデルを全く日本流にいわば「カスタマイズ」せずに、そのまま移植してもうまく行きようがない。政治、経済、産業基盤、文化、民族性などが全く異なるからである。
起業家サイドにも問題があり、待っていれば「幻想(理想)のVC」があらわれて助けてくれる、と思っているのか「支援を待つ」というスタンスの起業家が多いやに見受けられる。つまりベンチャー企業側も、VCに対して幻想(過大な期待など)を抱き、ベンチャーキャピタルを始めとするベンチャー支援側もベンチャー企業に対して過大な幻想(すぐにマイクロソフトのような会社に成長するなど)を抱いているのである。
ベンチャーコメンテーターにコメントばかりするのをやめていただいて、アクションを起こすように、なんとか促さなくてはならない。この混乱を収束するのにまず必要なのは、やはり事実を冷静に見ることであろう。私は混乱の一つの原因として、井戸端会議的な未検証な伝聞推定情報ばかりが先に耳に入り、幻想のVC、幻想のベンチャー企業と現実を対比させて、勝手に絶望し、最初からあきらめていると推測している。理想像と現実を対比するなどというのは、冷静に考えれば、ばかげたことである。当然両者の乖離は大きい。
各自の頭の中にあるであろう、思い込み(幻想)を消さなくてはならない。そして、皆がほぼ共通に「そうだ」と思い込んでいるものが「共同幻想」であり、それを実在のものか検証する必要がある。実在しないことが明らかになれば、現実に目を向けるのではないか。ここで、役に立つのはやはり客観的データを用いた、分析であろう。
(その4へ続く)

30 8月

「幻想のベンチャーキャピタル(2)」

〜ベンチャー論も唯幻論か?〜
太原 正裕


2.神話、幻想、そして 共同幻想
ベンチャーコメンテータ―には、『(米国の)ベンチャー(ベンチャーキャピタル神話)神話擁護派』し、幻想のベンチャーキャピタル像を頭の中で作り上げてしまっている人が多いように感じる。(実際、米国においてもベンチャー企業が成功する道のりは楽なものではない。しいて言えば、スピンアウトや「会社を設立」は日本よりしやすいという面はある。米国のベンチャー企業事情についてはこのTech-Ventureなど他にも多くの報告があるのでここでは詳述しない)また後述するが、擁護したほうが自分にとって都合が良いのかもしれない。

(1)神話が広まる要因その1(日本のデータ、研究の不備)
手始めに、なぜ「神話」が伝わるのかを考察してみたい。
ベンチャー研究で有名な、J.A.ティモンズ、W.D.バイグレイブ両教授が著書『ベンチャーキャピタルの実態と戦略』(Venture Capital at the Crossroads)の中で「ベンチャーキャピタルに関する神話は、1980年以前のものである」と指摘したのは1993年のことである。偶然であるが、日本の第三次ベンチャーブームの1年前でほぼ10年経とうとしている。その後、まじめな研究者や論者が、いろいろなデータや証言を集めたところで、「ベンチャー神話」は一向に消えないように見える。
神話の代表的なものは、「ベンチャーキャピタル(VC)は10年以上かかる長期の回収リスクを前提に、創業期のベンチャー企業を公開企業へと育成するため、高度に洗練さたノウハウを持って、投資先を発掘・選別・投資・支援(経営関与もし)する、極めて特殊な投資機関」であるとし、「一流のベンチャーキャピタリストは神がかり的な人であり、大金持ちである。また、ベンチャーキャピタリストは、成功した起業家でなければならず、それ以外の人間は成功しない。」というものであろう。
ティモンズ博士らは上記の本の中で、「VCは今日変質し、神話になっているようなVC(本来のVC=クラシックベンチャーキャピタル)は1980年以前。それ以降はエンジェルが、その役割を果たし、VCは銀行に変わる金融仲介機能へと変わった(マーチャント・(ベンチャー)キャピタル)。」と指摘している。
先般、米国の有名なVC、DFJ(Draper Fisher Jurvetson、日本ではドレイパーフィッシャーと表記されることが多い)の方と話をする機会があったが、米国でもこうした神話は学生などの間ではよく話されているとのことであった。ただし、米国ではビジネス(学部レベルでも)経済学などのVCについての講義の中で、実態(真相)を精緻に研究するので、将来、ベンチャーキャピタリストになりたいという人間が、神話だけ信じることはない、とも言っていた。
私が、米国の例を引用するのも、出羽守流に、「米国では、シリコンバレーでは」と盲目的に引用しているのではなく、「データが豊富にあり、情報が簡単にとれるから」である。例えば、調査会社ベンチャーエコノミックスのホームページでは、http://www.ventureeconomics.com/ と書いてある。
2001年の1月半ばには2000年の第四四半期(10-12月)での米国のIPOなどのデータを見ることが出来た。VC側も積極的に情報開示、情報提供をしているとのことである。日本でも、VEC(ベンチャーエンタープライズセンター)が経済産業省の委託を受けて、かなりの労力を使って調査しているが、調査対象たる日本のVCが調査を協力することにより得られるメリットを感じていないためか、調査協力に消極的なVCもあり、データ収集に苦労しているようである。
ベンチャー企業研究に不可欠な要素,例えば、経営・技術革新・雇用・金融・地域経済などの側面からの実証的なアプローチでは、日本では残念ながら研究の蓄積が極めて乏しい。たとえばアメリカ、イギリスではベンチャ-企業、中小企業と雇用創出の関係は、1970年代から総論の枠を越えて、理論的・実証的調査、分析、研究がされているが、日本ではほとんどない。(注※2)
また、最近面白い論文を目にした。“English Affected by Social Changes”〜 Birth of Cyberlanguage 〜 という題名で、日本の言語学者で、米国英語の変化を研究した米国の研究を紹介しているものである(注※3)。「米国は徹底したプラグマティズム(pragmatism、実用主義、実践主義)の国であり、どんなことも学問的な研究対象となり、学ぶことによって得られるという信念のある国である」(マイケル・コーバー氏談、『プライベートエクィティ 価値創造投資手法』の著者)という言葉のとおり大変興味深い内容であった。
言語学の論文であるが、米国の産業の発展とともに英語(米語)にも当然変化があり、農業中心社会の時代は、Agricultural Writing が多くの大学で研究対象となり、医学の進歩の時代はMedical Writing、商業の時代となり Commercial English(現在ではBusiness English、Business Communicationという科目名)、さらに科学技術が進歩すると、Science and Technical Writing (のちTechnical Communication)が研究された。
やや古いデータであるが、1994年の調査ではTechnical Communicationを研究している大学は全世界で160ほどあるとされているが、「世界一の工業技術立国」と自画自賛している日本の大学名は記載されていないとしている。面白いことに、University of Washington(西海岸ワシントン州シアトル、日本経済の研究で有名)では、Technical Japaneseで学位も出している!。本家本元の日本では詳しい大学教授に聞いても、「工業技術における日本語」というような研究は気いたことがないとのことであった。この論文は、コンピューターと携帯電話の驚異的な発展により電子メールが生活の一部になるまでの時間を極端に短くさせたため、「電子メール用英語」は結果的に「会話体」をそのまま文章にしているという特異な形になった、としてその後分析を続けている。言語学の論文ではあるが、ITの影響を「言語(英語)」という側面から論理的に分析しているあたりにとても興味を引かれた。

以上のように、米国ではベンチャー、ベンチャーキャピタルについて多くの研究、データの積み重ねがあるのに対して、日本はまだまだそれらの蓄積が少ないということも、神話が流布されるひとつの理由であろう。「米国は・・・・・・である」という問いかけに対して「翻って日本は・・・・である」という対比をする時に、研究やデータが乏しく(もしくは日本のきちんとした研究書を読まず)、ついジャーナリズムに良く載るような、井戸端会議的議論を引用してしまうのではあるまいか。
ベンチャー研究も、社会科学の始祖、マックス・ヴェーバー(1864-1920)の立場から判断しなくてはならないのだろう。即ち経験科学の領域に価値判断あるいは目的(SOLLEN:(独))の設定が混入されはならないという主張である。つまり、希望的観測やデータを見た時に「こんなはずはない!」という主観が入ってはいけないという事である。科学とは経験的事実(SEIN:(独))の説明的秩序づけであり、余分な価値判断や希望やスローガンが入ってはいけない、というものである。
そういう点からは、希望的観測の多い私の意見も同罪である。今後に日本の研究も、論理的な議論の出来るような土台となる、データ収集、分析、研究をもっと推し進めなくてはならないのだろう。自戒の面を込めて、今後の課題である。データ分析がベンチャーキャピタルにメリットがあるということが明らかになれば、各ベンチャーキャピタルも研究機関へのデータの開示に積極的になるのではないかと思われる。日本ではアカデミックな研究と現場の意識の温度差がまだまだかなり存在すると思われる。

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(補)
一例を上げれば、このところ「IPO時にベンチャーキャピタルの持ち株比率が高いと証券会社が嫌がり、引受審査でもめる」という話を良く聞く。ベンチャーキャピタルを単なる「売り圧力」の元としか考えていないのである。米国の場合、前述のベンチャーエコノミックスの追跡調査によると、ベンチャーキャピタルが公開まで関与したベンチャー企業の方が(Venture-Backed IPO)、ベンチャーキャピタルが関与していない企業より、公開後5年、10年後の成長が大きいというデータがある。
つまり、ベンチャーキャピタルが企業行動、経営をモニタリングするなど、公開後も支援しつづけることにより、より大きな企業へと成長しているのである。今のところ、日本でも同様の調査をしている研究もあるが(注※4)、実証サンプルが少ない。
ベンチャーキャピタルが単に売り圧力、というのはベンチャーキャピタリストの末席を汚すものとしてもとても悲しいことである。ベンチャーキャピタルが関与したことにより公開後も成長性が高い、ということが立証されれば、ベンチャーキャピタルの持ち株比率が高いことがポジティブに評価されよう。そうなるように実務家としてベンチャーキャピタリストたちは努力して欲しいし、また一応実務家と分析者の両方である私自身も実績と研究を積み上げたいと思っている。
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(2)神話が広まる要因、その2(幻想と共同幻想)
Tech-Venture74号で山本尚利氏が健筆を奮い「ぬるま湯にどっぷりつかった、ゆでがえる(大組織に所属して安心しきっていて、知らぬ間に死に体となったひと)」というテーマでリスクテイクに踏み切れない人のことを考察している(この「ゆでがえる」という表現は中桐有道氏の著作で有名になったようである)。
日本は戦後の驚異的な復興から右肩上がりの経済成長につながり、私も含め「経済大国」という“幻想空間”にどっぷりつかっていたと考えられる。特に昭和35年頃以降の社会は、「国民の9割が中流意識を持つ」というまるで社会主義体制のような、貧富の差のない安定した社会となったといえよう。私はある雑誌に、戦後特に昭和35年以降は「良い高校・大学を出て、官公庁・大企業」というコースがいわば“一軍”でそうでないものは“二軍”だとするのがパラダイム(ある一定時期を支配する中心的な考えの枠組み)だった時期が長かった。しかし、今、パラダイムチェンジが起こりつつある、と書いた。
しかしながら、これはパラダイムというより「共同幻想」というべきだったのかもしれない。あるものの価値観は、皆が同じ幻想を抱いてくれなければ、存立し得ない。金でもダイヤモンドでも、世界中の人間が皆で一斉に「ただの金属だ、ただの鉱石だ」と思った瞬間、価格は暴落するはずである。皆が「価値がある」という幻想を同じように抱いているからこそ、価値が存在し得るのである。
同じように、「進学校→○○大学→××商亊」というコースを、××商亊が何をしているかを知らない小学生まで「凄いですねぇ」と言ってくれるからこそ、このコースをたどった人の自我は保たれる。この人の人生、××商亊に入社した時に7割方「終了して」いるのである。「自分は××商亊社員である」ということに、ウットリしているのである。また、周囲もほめそやしてくれるのである。
後、残されたのは出世競争などであろうが、そんなことは「進学校→○○大学→××商亊」という正規ルートを通ったことにより自己実現が達成された後なので、+αくらいのものであろう。もっとも、血眼になる+αでもあるが・・・。(まあ、「進学校→○○大学→××銀行」という経路の時に、「えっ?○大学を出ていたら、普通△△銀行あたりに最低でも行きませんか?」と言われてしまうことがある。共同幻想通りに行かなかった場合である。現実に、超有名大学の法学部を出ながら、××銀行に入ったばっかりに自分のプライドが満たされなかったためか、共同幻想から外れたという意識のためか、自我が混乱し、かなり出世したのにいつも文句ばっかり言っている人に出会うことがままある。今回はそれがテーマではないが。)
しかし、この共同幻想を維持するには、××物産なり△△銀行に居つづけなくてはならない。また、今の体制が温存されることも条件であり、××物産なり△銀行が倒産したり、二流企業に成り下がったりしては困るのである。
また、個人的にもゆでがえるを通すには、忍耐が必要である。上司が「白」と言ったら自分が黒だと思っても「白」といわなくてはならないことも多いだろうし、「お客さんのためではなく、私(=上司)のために働いてくれたまえ」というような理不尽な注文も受けなくてはならないだろう。部下からの突き上げもあろう、奥さんから、「同期で課長になってないの、貴方だけよ」と言われることもあろう・・・。
刻苦勉励して、「進学校→○○大学→××商亊」というルートに乗り、さらにストレスに耐える日々、職場の問題、子供の進学の問題などに耐えている・・・。そんな自分にある日、中学時代の同級生で秋葉原に入り浸っていた、出来ない坊主の典型で、ただのコンピューターオタクだった、ゲイツ君と同姓同名の人間が大金持ちになった、という話が飛び込んでくる・・・。「えっ、あの高校中退でオヤジの電気店で店番やっていたゲイツが?嘘だ、人違いだ!」。
旧制一高の寮歌の一節に「我が悲しみに友は泣き、わが喜びに友は舞う」というのがある。青春時代は真実でも、社会に出たら大嘘である。このゆでがえる君、とてもゲイツ君の成功を祝って舞を舞うどころではないだろう。ゲイツ君の人生を肯定することは、自分の人生を否定することになるのだから・・・。
「進学校→○○大学→××商亊」というルート以外の人間に成功者になられると困るのである。「進学校→○○大学→××商亊→(出世)」というのが人生最高の価値であるという共同幻想があればこそ、教育パパ・ママは教育に対する投資をいとわないし、自分自身もその「人生最高の価値」に邁進するため多くの犠牲を払ってきたのである・・・。
こうなると、相手を非難して自己のプライド、自我を保つしかないのだろう。また、相手が特定しない場合は、「米国と違い日本では無理だ!」と「ベンチャー神話擁護派」になり、「不特定多数」「未知なる人々」を否定するしかないのである。万一、パラダイムチェンジが起きたら、ゲイツ君が一軍だというのが「共同幻想」になってしまったら・・・。このゆでがえる君は想像するのも恐ろしいだろう。金だと思っていたのもが、ある日突然、ただの鉄くずになる・・・。
ただ、私自身もその旧来の価値観つまり「共同幻想」の真中にかつて存在したことは否定し得ない。また、「大企業でなくベンチャーに飛び込むことが一軍」と考える人がある人数揃えば、その派閥の中では「学校→ベンチャー」というルートが人生最高の価値であるということになり、「あらたなる共同幻想」を作り出すだけである。ただ、今のところ「進学校→○○大学→官公庁、大企業→(出世)」というルートを人生最高の価値だとする派閥の方がまだやや優勢であるというだけである。

2.で述べたように、私が大企業とのアライアンスでベンチャー企業に価値を付加しようとするこころみも、この「共同幻想」の持ち主の方にとって、大企業と連携ということには価値があることである、ということを知っての上であるので私も同じような価値観の座標軸の中にいることは否定できない。
先に紹介したJ.A.ティモンズ博士らが著作の中で「ベンチャーキャピタルに関する神話は、1980年以前のものである」と指摘したのは1993年のことである。偶然であるが、日本の第三次ベンチャーブームの1年前でほぼ10年経とうとしている。その後、まじめな研究者や論者が、いろいろなデータや証言を集めたところで、「ベンチャー神話」は一向に消えないのは、まだ、この派閥間で“政権交代”が行われていないためもあろう。やはり山本夏彦氏の言葉であるが、この世は「論より証拠」でなく「証拠より論」なのであろうか・・・。
(その3へ続く)


注2※忽那憲治他編著『日本のベンチャー企業』(1999,日本経済新聞社)より
注3※Yoshiaki Shinoda“English Affected by Social Changes”〜 Birth of Cyberlanguage 〜「早稲田商学384」(2000,早稲田商学同攻会)
注4※たとえば、忽那憲治「わが国新規公開の「低成長性」に関する一考察」『インベストメント』第50巻9号 など

21 8月

「幻想のベンチャーキャピタル(1)」

〜ベンチャー論も唯幻論か?〜
太原 正裕
 

序.よくわからない日本
最近、現在起業家教育で有名な米国マサチューセッツ州のバブソンカレッジに客員教授として籍を置かれているF先生と、親しくなることができた。と言っても、いわゆる「メル友」で一面識も無い。F先生がホームページで情報発信している内容に共鳴してからの、ネット上の付き合いである。学者としてのスタンスで、いわゆる「シリコンバレー神話」のような検証されていない情報は極力廃して、自身の意見を交えながらも、客観的に米国のベンチャーの実情を報告している。
このBabsonリポートの最初は「プロローグ:よくわからないアメリカ」というコラムで始まっている。F先生が、かつて1983年8月から1988年3月までインディアナ州のPurdue University(工学系で有名な大学)に留学していた頃と比べて、商店の接客態度や、一般市民の生活水準はどうみても進んでいない、いやむしろビジネス界の「商道徳」は大きく後退しているように見えるのにどうして、「ITによるニューテクノロジー関係企業を核とした未曾有の好景気、ニューエコノミー論」などはやし立てられているのか?という疑問から始まっている。詳しくはホームページを見ていただきたい。


昨年秋、つまり20世紀末に私は「ベンチャーキャピタリストとは、何だろうか?」という私の想いをこめた一文をこのTech-Ventureの書かせていただいた。おかげ様で各方面から反響あり、概ね好評だったのかな?とホッとしている。ただ、寄せられた反響の中にもいろいろあり、どうも先入観を持って読んでいるためか「太原の主張は米国モデル(そういうモデルがあるのかないのかも論証されていないが)、のように個人が積極的にリスクをとる直接金融と個人ベンチャーの組み合わせが一般的になるべきだが、道のりは遠い」ということだよね?というようなご意見も少なからずあった。

また、他にも「ベンチャーなんてどうせ全部ダメなんでしょ!」という破滅型意見や、「ベンチャー、産業創出ならすべて良い」という“ベンチャー性善説”をふりかざす人(身近な経験では、こういう人に限って、ある時期から豹変して「ベンチャーなら全部ダメ」論者になる場合が多い)。

蛇足になるが、私の大学の先輩で大企業に勤めている人は、私の顔を見るたびに「お前なにやって食ってんの?」、「ベンチャー企業って、どのくらいの成功確率なの?。だいたい倒産するのではないの?。」と言う。「俺は心配してやっているんだ!。」というが、大きなお世話である。だいたい、ベンチャー企業の成功確率(どうやって算出するのか知らないが)が1%だろうが100%だろうが、興味ないなら関係ないはずであるが・・・。また、主にシーズ段階のベンチャー企業を中心に応援している私を「慈悲深い人」みたいにおっしゃる人もいる。冗談ではない。私はビジネスとしてやっている。自転車はこぎ出しが一番転びやすいが、こぎ出しの部分をお手伝いすれば、後のお手伝いは大手VCにお任せすれば、シーズ段階から株主である私は儲けられる(かもしれない)からである。

さらに、嫉妬というかバッシングは相変わらずで、ある有名ビジネス雑誌は連載物で有名ベンチャー企業を叩いている。連載まですることなかろうに・・・・・・・。例を上げればきりがないが、どうしてこのようなことが起こり、変な意見が出たり、私に親切ごかしに小馬鹿したような言葉を投げたりする輩がいるのか?。しばし沈思黙考し、一時期は悩んでしまった。いろいろな本を読み、少し理由がわかってきたような気がする。
コラムニストの山本夏彦氏は「理解とは願望である」と言っている。聞きたくない意見は耳に入らないのである。また、私も含め人間は自分の「思い込み」や、いままでの価値観を捨てられず、自己を肯定せざるを得ない、はかない存在であろう。このような言葉を投げかける人の多くが、何か思想の底辺に共通項を持っているやに感じる。つまり、「米国(や欧州)のベンチャーキャピタルとはこういうものだ」という“幻想”を多くの人がもち(共同幻想)、仮想のそして理想のベンチャーキャピタル像を頭の中で作り上げ、その理想像である幻想のベンチャーキャピタルと、実態分析もせずなんとなく“巷の噂”として伝え知っている日本のベンチャーキャピタルの現状(だと自分が思っている幻想像)とを対比させて論じているように感じる。

そして、「アナタの意見は」と言っている人は、実は自分の意見なのではないか?。「アナタを心配している」という人は実は、「自分のこと」を心配しているのではないか?。「ベンチャー性善説」をふりかざす人も、なんかの拍子に具体的な事例がわが身に降りかかってくると「ベンチャー全面否定派」に宗旨替えするのではないか?。「ベンチャーなんて全部ダメ」と言っている人は、ベンチャー企業が次々と成功すると、経済的その他で困るのではなく、自我(注1※)が脅かされるからなのではないか・・・・?。また、それはかつての私自身の意見や考えでもあるのかもしれない。だからこそ、私にも気になるであろう。

なぜこのような「幻想のベンチャーキャピタル」像が人々の頭の中に発生し共同幻想のようになり、また、私自身の方にも「希望的観測による幻想のベンチャーキャピタル」という「個人的幻想」が発生しているらしいことを、今回は、『ものぐさ精神分析』の著者、岸田秀氏風に考察してこの私にとっての「よくわからない、日本」を再認識してみたい。

1.ベンチャーコメンテーターブーム?
現在は第三次ベンチャーブームであり、まだそれが続いているといわれている(ここでは1994年から現在まで継続中とする)。ここでは第三次ベンチャーブームについてのくわしい説明は省略する。マスメディアなどよく耳に入ってくる議論では、「新産業創出」と「中小企業支援」と「ベンチャー支援」が全く混同されている。この点、次の千葉氏の指摘は正鵠を得ているのではないかと思う。
「第三次ベンチャーブームの目ざすところは新規産業の創出・育成と成長企業の輩出であったが、(中略)いつのまにかベンチャー・ビジネスに関する議論だけが一人歩きし、既存企業が新規産業の創出・育成に果たす役割や既存企業の成長戦略についての議論は軽視されてきた。しかし、わが国の既存企業には人材、技術ノウハウ、資本などあらゆる点で厚い蓄積があるこれらを効率的に活用することは、産業構造の変革、付加価値の高い新規産業の創出・育成、成長企業の輩出のために、重要かつ必要である」<千葉浩一郎「第3次ベンチャー・ブームの行方」『IBJ経済・産業の動き』(1998年7月、日本興業銀行産業調査部)。>
つまり、資金供給側に立ってみればベンチャーキャピタルだけに注目して、個人が積極的にリスクをとる直接金融と個人ベンチャーの組み合わせを広めるだけでなく、M&AやMBOによる既存事業の独立、分社化、社内ベンチャー(これらも困難が多いが)なども担い手として議論されるべき、という指摘である(これには、急成長企業だけでなく、すでにある程度の規模の企業に出資するプライベート・エクィティ・ファンド等の金融手法が必要であるが、その議論はここではしない)。
私のスタンスを明らかにすれば、私もこれらの議論には共鳴する部分が多い。現在の日本の状況では、理想論はともかく現実問題として、信用力に劣るベンチャー企業単体では出資者を探すのも、商売相手も探すのも大変な困難をともなう。私は最近では、有望(と自分では思う)ベンチャー企業と大手企業との間でのアライアンスの締結や、大手企業に株主なってもらうことで信用を補完する、(米国ではDeal Makerと呼ぶ人もいる)という仕事の方が多い。大企業のブランド、人材、蓄積などをある意味有効に活用させていただくのである。

話がやや迂回してしまったが、私とて「無名の企業を発掘し、投資し大儲けする」という“ベンチャー神話”にはこだわらず、現実的対応をしている。私は「ベンチャー支援をするベンチャー」なので、行きつ戻りつ試行錯誤を繰り返している。現実的対応は、序の最後に述べた、「ある共通項を持った人」(共同幻想、後述)には有効でもある。これも理由は後述する。残念ながら、引用した千葉氏のようなきちんとした論者は少なく、「井戸端会議的」論増えたこと、つまり、第三次ベンチャーブームで私が最大の特徴だと思うのは、大量の「ベンチャーコメンテーター」が増殖されたことであろう。これは、独立系VCや外資VC、事業会社系VCなど、VCのプレーヤーが増えてきたこと、一般の企業も「新規事業部」などをつぎつぎに作り「ベンチャー企業と取引、商売をします」といい始めたことが関係しているように思う。また、今まで大企業の監査しか行っていない大手監査法人なども関連のコンサル会社などを通じて「ベンチャー支援業」に乗り出して来ている。ただし、ご存知のとおり、ベンチャー支援というのは簡単なことではなく多くのリスクや困難、無駄が伴う。そうして、本来「ベンチャー企業へ投資したい」、「ベンチャー企業となんらかの仕事を始め、将来は大きな仕事へ結び付けたい」という志で参加してきた人々が困難に直面した時に、問題解決になる行動をとらず、「そもそも日本のベンチャーなんて」と口先だけでいわゆる“ベンチャー界”(そんな“界”があるのかも不明)を論評したり、罵るようになる(ほめる例はまれ、というか聞いたこと無し)・・・。つまり、自分達の失敗を自己正当化したいのである。それがベンチャーコメンテーターの生成過程の一つ。

また、今までマスメディアでは「経済評論家で銀行不良債権問題に詳しい」という触れ込みで、ニュース番組に出ていたような「先生」がある日から忽然として「ベンチャー企業、ベンチャー支援に詳しい」という触れ込みの「先生」として登場する・・・。さらには、一つくらい成功体験のある元起業家が「ベンチャーを語らせたら俺だけ」と言って様々なメディアに登場し、「俺だけが正しい」と自慢話ばかりする、ナルシスト派・・・。そして最後は、普通の人たち。私を心配してくれている人のように、ロクに知識もないのに、批判する人々・・・。このように、ベンチャーコメンテーターには数派あるようである。一般の人の意見はマスメディアには載らないが、なぜか異口同音に同じトーンでベンチャーについてコメントする人が多い。
繰り返しになるがこれらのベンチャーコメンテーターさんたちは「(考え、思考過程が)何かの共通項で結ばれている」気がする人々でもある。岸田秀風にいうと、「共同幻想」を持つ人々のような気がしているのである・・・。(続く)


注1※自我・・・和英辞書ではego, selfとなっているが、岸田氏にならいここでは自分とは何か、「お前は何なのだ?」という問いかけに対する答え、と言う意味で使っている。「『これを持っていると周囲から尊敬される』というものを持っているぞ!という自尊心」と解釈していただきたい。なお、「共同幻想」という言葉自体は吉本隆明氏の造語であり、岸田秀氏はそれをベースに、ありとあらゆる価値概念は、実際に存在するのではなく、何人かの共通の思いこみによってのみ成立している、実は何もないんだ、すべて幻なんだ・・・(=唯幻論)という極めてニヒリスティックな思想として、岸田幻想論を展開している。



30 6月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(7)』

谷川 徹


第七回 日米地域情報化考

 世の中「情報化」流行りである。先日来日本との間を何度か往復しているが、10年以上も不振が続く日本経済を活性化する特効薬はITだということで、日本のあちこちで「情報化」という言葉を聞くことが多い。情報システムやネットワーク技術を積極的に導入・駆使して経営や経済を効率化しようということなのだが、企業や政府の業務はもちろん一定の地域全体の情報化レベルを上げる「地域情報化」という概念も最近は一般的になりつつある。ただこの「情報化」の進め方については、日米で認識、アプローチの相違を感ずることが多い。今回は最近経験したことを題材にこの点を論じてみたい。

 最近久しぶりに訪れた大阪で面白い話を聞く機会があった。曰く、最近関西経済の地盤沈下が著しく同地域経済の復権が関西経済界の悲願なのだが、そのためもあって関西の産官学のメンバーを集め委員会が組織されているとのこと。そして関西の今後21世紀に向かって取るべき戦略が議論されたとのことで、わたしの記憶によれば結論の要点は、「今後の関西は“消費者資本主義”を目指すべきこと、またITを積極的に導入し地域の情報化に努めるべきこと」だったそうだ。
 前段の“消費者資本主義”とはおそらく、今後は供給者の論理でなく需要家たる生活者、消費者のニーズ中心の経済運営がなされるべきこと、言い換えれば市場主義、マーケットメカニズムを重視しなければいけないということと私は理解し、至極当然のことであると思ったのだが、噂によれば関西財界の方々はなかなか理解されなかったそうだ。電力やガス、鉄鋼など伝統的な企業が中心の現在の財界ではこういう発想は理解されにくいのだろう。またそれに加えて私が違和感を覚えたのは、委員会が情報化の必要性を提言した時の財界の反応が、「具体的にどういうプロジェクトを推進すればよいのか、○○地区光ファイバー網敷設事業等の推進か、××地区全学校PC配布事業か...」といったような大規模プロジェクトの提案だったと聞いたことである。
「情報化...」といった政策が提唱される時に出る反応が、日本の場合殆どこういった(大規模な)公的プロジェクトの連想であるが本当にこれでよいのだろうか。こういう事業を進めることそのものが悪いとは思わないが、本当に情報化の実は挙がるのだろうか、効率的に地域情報化は進むのだろうかというのがその時感じた疑問なのである。アメリカにいて、日本とは違う政策遂行の考え方やコミュニティの行動規範に慣れてきた私としては、供給サイドの自治体などが金をかけて、「情報化」という名の投資事業を安易に進める発想に違和感を抱かざるを得なかったのである。

 「情報化」本家のアメリカでは早くから国レベルで情報化の必要性が叫ばれており、古くはゴア前副大統領の提唱した情報スーパーハイウェイ構想など、競争力強化のための手段としてIT普及の必要性の認識が浸透している。そのような状況下今年の年初に日本のさるところからの依頼で米国における地域情報化の状況を調査する機会があった。すなわち米国の幾つかの地域で、CSPP*というNPOが策定した地域情報化レベル自己評価シートに基づき、地域コミュニティが一体となって地域の情報化レベルを自己評価、その評価の過程で自分達の地域情報化レベルの現実を認識し、問題意識を共有しつつ改善の歩みを始めている、との情報を得たのを契機に、日本の大学教授の方達と3人でこの取り組みを行った地域のケーススタディを行ったのである。
*Computer Systems Policy Project(1989年に創立されたIBM,HP,SUN,DELL他IT著名企業のCEOメンバーで構成される政策提言組織。ネットワーク社会の構築で米国の競争力を高める旨の過去の提言は情報スーパーハイウェイ構想に結びついたとされる。
 調査は米国内の3ヶ所を選び実際に現地に赴いて関係者の方々にインタビューを行ったが、調査のポイントは、米国の一般的な普通の地域コミュニティがどういう目的に基づきどういう方法で地域の情報化を進めているのか、また地方政府の役割は何かということであった。この経験を前提に、わが国とアメリカの「地域情報化」という事に関する考え方進め方の違いを私なりに整理し、このとき感じたことを述べてみたい。

 この調査結果のポイントをまとめれば以下のとおり。
1) ケーススタディ地区における地域情報化の目的は、a.地域の競争力強化、b.生活利便・環境の改善、c.地域経済活性化で、情報化時代を迎える中、ITというツールを用いて他地域との地域間競争に堪える環境を整えようということ、より快適な生活環境を実現しようということである。
2) 具体的な情報化手順は以下のとおり。
a. 地域コミュニティを構成する各要素の代表、例えば自治体、企業、大学など教育関係、商工会議所、住民、病院、それに通信業者等のトップクラスの人々が、個人の資格でボランティアとして参加、対等の立場で委員会を構成、幾つかの分科会を更に組織して多くの住民も参加させ、地域の情報化の現状を自らの手で調査評価した。
b. この過程で地域住民は自らの地域の情報化レベルの現況を再認識し、情報化レベル向上の意欲に燃え、構成員全員がそれぞれの出来る貢献を工夫して行い*、結果として情報化レベルの向上を実現している。
*カリフォルニア州サンタクラリタ市(人口約16万人)での一例が面白い。すなわち地域に所在する大小約10000の企業にWebサイト保有を普及させるべくアイデアが出され(それまでは約300社のみ保有)、Webサイトデザインコンテストが実施された。コンテストに応募するチーム(地域の学生・生徒)には地元カレッジのコンピュータ学科学生がサポーターとして応援、企業とチームは情報交換しつつWebサイトを作成し、コンテストの賞品には地元大企業などからパソコン1000台が寄付された。このイベントの結果、賞品を獲得したチームや組織にPCの導入が図られると同時にIT能力も向上、更に地域の多くの企業が外部への情報発信手段としてのWebサイトを所有することになった。またイベントの過程で多くの地域住民が関与、情報化の意義の認識を深めるとともに意欲も向上、このような共同作業を地域コミュニティの各員が自ら行うことで、コミュニティ意識が高まるという副次的効果も得ることとなった。
3) 地方自治体はこの作業の調整役、コーディネーター役という黒子に徹し、進行促進の役割をになうに留まった。変わりに地域の代表たちで構成される委員会が主導した。

 すなわちこの米国調査の各地域では「地域の情報化」を、自治体などが一方的に大規模に情報通信設備設置事業を実施することではなく、地域コミュニティの構成員全体が地域の情報化の現況を認識、かつ情報化を自己の問題として捉える意識をもつよう努力を重ね、結果として情報技術の重要性認識、利用環境の改善そして利用スキルの向上を実現すること、としている。「情報化」といえば光ファイバー網の敷設など大規模なプロジェクトを想像し、国から資金援助を受けた役所主導供給サイド主導の事業...と捉らえる傾向が強いわが国とは大きく違う印象を強くしたのである。
 確かにいくらIT設備投資が行われ利用環境が改善しようとも、利用者の意識や利用能力が変わらなくては宝の持ち腐れであって情報化が進んだとはいえまい。またそもそも地域情報化の意義や目的をよく認識していないまま地域に情報投資を進めても、地域の競争力強化、生活利便の向上、地域経済活性化などの目的は達せられないし効率がいいはずは無い。まして自分達の納めた税金からでなく中央から与えられた資金主体で行われるのならば一層当事者意識は薄くなる。
 一方元来自治意識、住民の自立意識の強いアメリカでは、連邦政府からの支援は少なく(もっとも自主財源のウェイトは大きいが)、また地方自治体の財政規模は日本と違いさして大きくなく、自治体政府の規模も小さい(小さな政府指向)。大規模事業も自主財源が大きくなければ出来ないので、住民たちが自分達の手で出来る限りの工夫を凝らして地域の生活環境改善を図ろうとする傾向が強い。NPOやボランティアが活躍する文化がそこにある。 
 それゆえアメリカでの「地域情報化」は、自らの地域コミュニティの快適さを守るため、および地域経済の維持発展を確保するためには地域間競争が不可避との認識のもと、「地域の構成員全員が最少の費用で最大の効果を発揮すべく自らが参加して知恵と汗を出すこと、そうすることで結果として情報技術への認識、能力も高まり地域情報化の実が挙がる」ということになるのである。

 日米どちらの地域情報化の取り組みが望ましいのかは人により考えが違うかもしれない。文化、社会風土の相違から、日本ではなかなかアメリカ方式が実現するのは困難であろう。しかしながら、こういった地域住民全員参加型の取り組みを楽しみながら進めている様子を見ると、どうしてもこういったアメリカのやり方が日本で出来ないものかと思ってしまう。私がアメリカに感化されてしまった訳ではないと信じているのだが...。(続く)
15 11月

『米国ハイテクベンチャー成長のしくみを探る(6)』

谷川 徹


第六回『米国大学の現状 パートIII』-スタンフォード大学からの報告

この8月からシリコンバレーに来ている。思うところがあって27年間お世話になった会社を退職、シリコンバレーにあるスタンフォード大学アジア太平洋研究センターの客員研究員として約1年間この地で過ごすことになった。企業という大きな傘から離れて自由を謳歌しているが、日本の外から、また組織の外から日本や日本の企業を見ると気がつくことが一層多くなる。このコラムは約1年ぶりだがしばらくはこの地から感じたことを綴ってみたい。
当地での私の研究テーマは「ベンチャービジネス振興と地域情報化による地域開発モデルの研究」であり、多くの時間をベンチャー企業、NPO、ベンチャーキャピタル、自治体等へのインタビューと資料調べなどに費やしているが、“客員研究員”という肩書きを利用していくつかの学内講義の聴講を許可してもらっている。そこで感じたことからいくつかを報告する。

●尊敬される米国の大学

 まず当地に来て最初に痛切に感じたことは、米国の大学が、産業界はもちろんのこと一般社会から本当の意味で“尊敬”されていることである。大学及び大学人が、中立ではあるものの“尊敬”というよりは世間から隔絶された特殊な存在として認識されがちな日本の事情とは大分違いがある。大学の機能はもちろんのこと、教授陣、学生それぞれがアメリカでは一目置かれている。研究型大学としてランキングに登場するような大学は特にそうである。以前のこのマガジンでも書いたが、それは米国の大学の研究・教育の中身が社会のニーズにマッチし、かつ一般社会ではなかなか得られないレベルを実現しているからだろう。米国の国家的基礎科学技術研究の多くが大学をベースに進められている上に、現実の社会に応用される研究もまた大学から続々と出ていることは以前にも書いた。しかしそれに加えてビジネスの分野でも大学の存在感はきわめて高い。
例えば米国で活躍する大小の企業やNPOの経営陣、主要メンバーの経歴を見ると、修士号、博士号を持っているケースが非常に多い。無論立志伝中の人物もいるが、少なくともハイテク企業は大半そうで、これは別に技術系の経営陣に限らず、マーケティングや財務関係の経営陣でもそうである。ビジネスや経営工学の分野で博士号を持っているのは珍しくない。これに比べて日本の大企業の経営陣においては、業種を問わずまた技術系、事務系を問わず、博士号を持っている人など私の長い銀行生活においてもほとんど見たことがない(無論子細に調べればいるではあろうが)。事務系はそもそも修士号すら持っているケースは皆無に近い。トップエリートと言われる日本のキャリア役人の世界でも同じである。
ここで私が言いたいのは、そういう資格をもっていない日本の経営者の良否を云々することではない。事実、過去の日本の企業はそれなりに成功を収め、世界から日本式経営に学べと言われたこともあるし、今も「KAIZEN」や「KANBAN」などの日本語は生きている。
そうではなく、私の言いたいのはアメリカの場合、大学で学んだ学問が実際の社会やビジネスに役立ち、ゆえに多くの人が更に上のレベルの教育を受けようとしていることなのだ。

●実践的かつ科学的教育
ビジネススクールや経営工学部(School of Management & Science) の授業を例にとってみよう。
この秋学期、私は両学部の講座をいくつか聴講しているが、その中で経営工学部のMs. K. M. Eisenhardt教授のクラス(Strategy In Technology Based Companies)は特に面白い。講義はHarvard Business Reviewを中心素材として毎回ケーススタディ形式で進められる。中身はコカコーラ対ペプシコーラ、アップルコンピュータ、Yahoo等IT企業やEli Lilly他ヘルスケア産業等を素材にし、その戦略の歴史的変化を分析、評価した上で企業が採るべき戦略を科学的、かつ理論的に整理するものである。無論ケースが毎年最新のものに更新されるのは言うまでもない。Eisenhardt教授はインテル、ヒューレット・パッカード等の現役のコンサルタントでもあって、現実のビジネスの最前線に関与、彼女の講義には現実のビジネスのパックボーンがあり迫力満点である。ただし一方的に自分の理論を押し付けるのでなく、生徒に何度も意見を求め議論をしつつ汎用的理論(ゲーム理論や複雑系理論)に収束させてゆくといった手法をとっている。ケースは分かりやすいし、生徒も絶えず自分ならばどうするかということを考えつつ授業に参加することになるので、生徒は数多くの企業戦略を疑似体験することになる。
この他ビジネススクールでは、あの有名なインテルの会長アンドリュー・グローブ氏が1991年以来毎年教鞭をとっており、私も見かけたことがある。従って現実のビジネスに精通したレベルの高い教授の指導の下、実践的な授業を参加型で体験してゆくアメリカの大学生と、知識のみの一方通行的講義中心の日本の大学で教育を受ける日本の大学生とでは、差が出て当然という気がしている。よってこういった実践的かつ汎用的学問を修士課程、博士課程と重ねてゆくことは、より幅広くて深い戦略理論を持ち、企業が遭遇するであろうあらゆる事象への対応能力ありとみなされるのだ。これらが米国で大学の存在が一目置かれることの要因の一つであろう。
無論経営などというものは学問だけで会得できるものでなく、現実の経験の中で培われてゆくものであることに異論はない。特に日本の企業は多くの場合、大学の教育などは現実を知らぬ机上の空論としてさして興味を持たず、大学もそれを跳ね返すような対応はしてこなかった。しかしながら日本のそれは一つの企業での中で長く勤めることによって得るものであって、いわば“丁稚奉公”的体験から得るものである。従って科学的なものというよりは経験的なものであり、一つの業種、一つの企業にのみしか有効でない場合も多いと思う(本当に優秀な人はそれを総合化できるかもしれないが・・・)。
それに比べ以前から人材の流動性が高く専門性を重んじる米国では、経営もまたアウトソース可能な科学的分野として捉え、汎用的経営理論を大学で習得し、かつ現実の経験を積み重ねてきた人間を重視するといったアプローチをとる。よって変化の少ない時代には日米企業戦略の差はあまり出なかったが、ネット時代を迎えた現在、企業環境の変化が極めて早くまた企業の枠組みが一つの業種で定義出来なくなってきたため、経営を汎用理論で解き明かす米国流経営科学教育が脚光を浴びているのだと思う。
最近日本の多くの大学でビジネススクールを設立する動きがあるが、こういった点を踏まえ日本の大学教育が見直されるようになって欲しいものと思うものである。

●豊かな多様性、開かれた大学
もう一つこのEisenhardt教授のクラスに出ていて気づくのは受講する生徒のバラエティ豊かなこと、国際的なことである。すなわち66人という正規のクラスの生徒構成をみると、年齢的には20歳前半の若者から40歳を越す社会人経験者と思われる人がいるし、女性は30%前後いて明日のカーリー・フィオリーナ(ヒューレット・パッカードの女性CEO)を目指している。また人種的にはアジア系が3分の1以上、黒人は2、3人、白人は残りであるが、国籍はスエーデン、デンマーク、ドイツ、スイス、フランス、南ア、インド、台湾、中国、香港、韓国、シンガポール・・・と分かっただけでも相当数に上る。わが日本人も1、2人いるようだが存在感は薄い。スタンフォード大学などカリフォルニアの大学におけるアジア系の学生が多いのは一般的傾向だが、それにしてもこの国際性は本当にすごいと思う。
感じることは、こういった多様な人間構成の中で英語と言う共通語を使いつつ、幅広い議論をしている学生たちは本当にタフになってゆくだろう、またそういった学生たちを受け入れる大学、そしてこの国アメリカもまた一層強くなってゆくだろう、ということである。幾つになっても自分の知識を整理向上させるため学ぼうと社会人に思わせる大学、世界中から学生が学びたいと思ってやってくる大学、そして本当に多様な年齢、性、人種、国籍の学生同士が活発に意見交換、切磋琢磨できる環境を提供しているアメリカの大学は、尊敬されて当然であるし、またそういった活力を自己のエネルギーにして教育や研究のレベルを上げているのである(教授陣自体もアメリカ人のみでなく世界から集まっているし、人種的にも多様である)。日本の大学も外国人に決して門戸を閉ざしてはいないのだが、残念ながら日本語という国際的にはローカルな言語の障壁はあるし、教育・研究の内容にも国際性・汎用性のあるものは多くなく、結果として大学の国際化はほとんど進んでいないのが現実のようである。
たまに日本に戻ると日本は本当に同質社会だと思う。顔は皆同じで話す言葉も皆同じ、しばらくは心地よい感じがするのは同じ日本人だからなのだが、その内に息苦しくなってくる。日本人として暗黙のうちに了解すべき共通のルールに従う必要があると感じるからだろう。純血主義などという日本の某トップ大学はもっと息苦しいし、アメリカの大学のこういった行き方との懸隔は大きい。本当の意味で社会から尊敬される大学になるために、もっともっと広い議論を受け入れて開かれた大学になって欲しいと思うのは私だけであろうか。(続く)

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