伊藤 達哉

私とベンチャーとの関わりは94年3月にロスアンジェルス事務所に赴任したことから始まります。時あたかも、ベルリンの壁崩壊で軍需産業がダメージを受け、米国全体に比べ回復が遅れていたカリフォルニア州の景気が、シリコンバレーのベンチャー企業群の爆発的な開花でぐんぐん上向いてきた時期でした。ロスでの仕事の一つに、米国のビジネストレンドを情報発信するということがありました。94年の夏、当時の上司であった小門氏(現法政大学教授)と通産省出身の加藤サンフランシスコ領事の音頭取りで、表面的な「マルチメディア・ブーム」に踊らされていた日本に対し、活力あるシリコンバレーの実態と先行きの怪しい日本経済の処方箋?を情報発信しようという高い志で、シリコンバレー等の多種多様な分野の日本人ビジネスマン、研究者を中心に「シリコンバレー・マルチメディア・フォーラム」(略称SVMF)が結成されました。…と書くと非常に華々しいのですが、小門氏の下にいた私は、夏に皮切りにロスアンジェルスで盛大に行われたシンポジウムを見てこれから何が始まるのだろうかという期待と不安が入り交じった思いでした。この勉強会はその後精力的にシリコンバレーのNTTアメリカで開催され、紆余曲折を経て勉強成果は「シリコンバレーモデル」(NTT出版共著)という本にまとまりました。私のベンチャーとの関わりはもとよりリサーチという切り口ですが、このSVMFで得たものは非常に大きかった。メンバーが事務系・技術系、企業系列にとらわれない構成で皆さん熱心であったし、本の分筆に必要なシリコンバレーの米系ベンチャービジネスやベンチャーキャピタルのヒアリング等でもネットワークを活用させていただけたからです。
シリコンバレーの活力の秘訣は何かを勉強するうちに、今度は「ベンチャー・ブーム」、「シリコンバレー・ブーム」に湧く日本を見つつも、シリコンバレーモデルをそのまま日本のビジネス界に根付かせるのは困難であろうとの思いがつのり、SVMFの活動が小休止した95年後半以降、シリコンバレー以外の米国ハイテク地域の戦略を垣間見てみようという個人的な興味が首をもたげてきました。私の担当地域は米国西部地域でしたので、オレゴン州の「シリコン・フォレスト」、ユタ州の「ソフトウェア・バレー」、コロラド州の「シリコン・マウンテン」などの地域が調査の主要な対象となりましたが、それらの関係でテキサス州の「シリコン・ヒルズ」、アリゾナ州の「シリコン・デザート」、ノースカロライナ州の「リサーチトライアングル」などいろいろなハイテク地域を訪問できたのは、貴重な経験でした。これらの経験を基に業務としてレポートを書いていましたところ、3冊目が仕上がってまだもう少しやってみたいなと思うところで3年の年月が過ぎ、97年4月に帰国することとなりました。
帰国後2年間は、地域活性化のための情報発信が職務の一つの柱でした。最近の地域活性化の課題は、他の地域と同様に産業振興の分野がベンチャー振興や産学連携による新産業創出、街づくりの分野が中心市街地活性化でした。ベンチャー振興や産学連携については、ベンチャー企業の経営者の方々のみならず、自治体、大学、財界など様々な関係者と接することができました。

以上、長々とベンチャーとの関わりについて個人的な履歴を書きつづってきましたが、こうした経験の中でベンチャーを取り巻く日米の風土の違いについて感じてきたことをいくつか雑感として並べてみたいと思います。もちろん、日本でも例外があることは当然ですので、全般的な傾向としてご理解下さい。また、一概に米国の風土がよくて日本が駄目だということではないのですが、ベンチャー振興という観点に限れば、客観的に米国の風土がよりベンチャーになじむということです。

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第1に、会社に対する考え方の違いです。一言で言うと、米国のベンチャーの場合は「パートナーシップ」と「マネーゲーム」、日本のベンチャーの場合は「おらが会社」と「家族主義」とでもなりましょうか。米国のベンチャーの場合は、世の中が横の人的ネットワークで構成されていることもあり、ベンチャーキャピタル等が送り込む経営・財務・営業のプロと役割分担し、株式公開であろうと企業売却であろうと会社の業績をよくすることによってストックオプションの金銭的価値を最大限に具現化するという合理的目標がより明確です。優れた技術やノウハウを有する日本のベンチャー社長は、経営や営業・財務に疎い場合が少なくないのですが、米国と違って「これは俺の会社だからヒトの指図は受けたくない。まして株式公開や企業売却などしたくない。」という風潮が(特に地方では)より強いような気がします。このため、優れた技術やノウハウ・無形資産がありながら、経営が行き詰まる残念なケースがあり、私が相談を受けたある急成長中のベンチャー企業も営業が拡大しすぎて内部管理がずさんになり黒字倒産するという事態もありました。
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第2に、お上のお墨付きと官の施策への依存ということです。帰国してまず感じたのがこのギャップです。シリコンバレーなどを見ていると、シーズ段階など初期的なサポートは別として、そもそも株式公開ができそうなベンチャー企業の育成は民間活力を最大限利用すべき分野と思われるのです。しかし、日本の場合はお上のお墨付きと官の施策への依存が強すぎはしないかという気がします。ある時インターネットで地域のベンチャー企業を紹介しようとしていろいろな立場の人で議論したのですが、純粋に私的なホームページではなかったため、結局はお上がベンチャー企業と認定したものがベンチャー企業であるということに落ち着きました。また、ベンチャーの支援についても地域の特性を打ち出した独自の施策が必要ではないかと提案したことがあったのですが、国の施策に乗っかったものでないと議会が通らない雰囲気があるそうです。最初は非常に違和感があったものの、日本の風土になじむうちに、私も理想はともかくやはりお上に頑張ってもらうことが必要かなと思うようになりました。ただ、おカミの支援に頼らず成長を遂げるベンチャー企業もあるわけで、そうした企業が増えることが日本のベンチャー企業振興の一つの鍵かもしれません。これに関連して公的なベンチャー支援施策を見ると、第1点で指摘した風土とあいまって、対象となるベンチャー企業に新分野に進出する中小企業が含まれているため、従来型の中小企業施策とベンチャー施策が実際の運用では混然としているような感じがしています。
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第3に、ハイテクベンチャーの状況です。ベンチャー企業と言っても、すべてがハイテクであるわけではありませんし、ハイテク以外のベンチャーの重要性を否定するつもりもありません。但し、日本では米国のシリコンバレーなどに比べ、ハイテクベンチャーのウェイトが小さいということは確かで少し気がかりです。なぜかと言うとハイテクベンチャーの特徴として絶えず新たな技術革新の波に洗われることが挙げられます。これは当のベンチャー企業にとってはとても大変ですが、全体として見れば常に新たなベンチャー企業が生まれてくるという活気と緊張が張りつめているということを意味します。これに対してハイテク以外のベンチャー、特に非製造業の場合は、日本の規制が広範にかかっていることも手伝ってニッチ的な業態で成長してもそれがいずれは既成勢力として後続のベンチャー企業にとって反動的な存在になりやすいからです。シリコンバレーのエンジェルの多くが技術に造詣が深く後進の起業家の新たな技術やノウハウに個人的に投資するという好循環が見られるのに対し、日本の新興企業ではオーナーは会社が成長してくると不動産や株に走り、後任社長は当然自分の息子という至極従来型古典的な経営行動に執着するのも、技術革新の荒波がハイテク以外の分野で少ないからかもしれません。
ここで、カリフォルニア州で見聞したことを2つ。シリコンバレーのある米国人ベンチャー起業家にヒアリングしていた時に、「日本人でもエンジェルはいます。30分話したらおもしろい技術だから(個人的に)お金を出そうという経営者がいました。」とのこと。そのエンジェルとは日本では珍しくベンチャー精神のある電気機器メーカーの有名な経営者なのですが、残念ながら私の見る限りそういう経営者は少数派のようです。もう1つはサンフランシスコのインベストメントバンカーだったと記憶しているのですが、「日本はバブル期にゴルフ場やビルなどを買いあさった資金のごく一部でも技術開発に投資していたら、このような経済状況にはならなかったのでは。」と語っていたのが印象に残ります。
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第4に、優秀な技術者の待遇です。日本の場合は創造性の高い優秀な技術者の待遇が米国に比べ概して低いのではないか。逆に言うと米国の場合は優秀な技術者を引き留めるために様々なコストを支払っているという印象を持ちました。給与やストックオプションは当然として、芸術家のように24時間好きな時に仕事ができる環境づくりです。休業日の土曜日にシリコングラフィックス社のソフト開発技術者を職場に訪問した際に、「自宅にも専用線が引かれ会社と同じ開発環境が整っており、いつでもアイデアが浮かんだ時に対応できるように配慮されているんだ。」と言っていたのには、創造性の豊かさの源泉について才能はもちろん環境も重要なんだなと感心した次第です。
また、年功にかかわらず才能を重視する風土からか、日本人の理系のノーベル賞受賞者は米国で研究されていた方が多いと思いますが、私も渡米前はなぜあのような優秀な科学者が米国に行ってしまうのだろうとやや疑問でしたが、そうではなくて日本では活躍の場が与えられにくいということです。今では超優秀な科学者・技術者は米国で活躍する方が世界のためになるのではと思いたくなるほどですが、理系の人気低落に歯止めをかけるためには能力主義による待遇の改善が必要ではないでしょうか。
また、少しスケールの大きな話として、クォリティオブライフの実現があります。米国の地域活性化では必ずといってもよいほど基本的な理念の柱となっている考え方ですが、日本では生活大国などと謳われてはいてもクォリティオブライフなどという米国流の考え方は全くない(したがって生活の質の向上などと訳しても仕方ない)というのが私の実感です。この問題に深入りすると長くなりますので、技術者の問題に戻ると、米国では一般に技術者も当然流動性が高いわけです。よく言われるように会社の間の垣根も低いのですが、義理や慣習に縛られない狩猟民族なので、住む場所の垣根も低いのです。そこで何が起こるかというと、魅力のない企業や地域からは優秀な人材がどんどん流出してしまうわけです。そのため、それぞれの地域は知恵を絞って活性化に取り組んで地域間競争に打ち勝とうとしているのですが、ハイテク集積地域では優秀な技術者を引き付けておくという重要な意味もあるのです。官庁の縦割り行政を基本とする日本の場合は、総合的な施策は形式的には可能であっても実際の運用上は困難なので、街づくりの議論の際に優秀な技術者のことなど頭の片隅にも出てくるはずがありません。
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第5に、無形の知的財産の保護と評価です。日本も含めアジアの国は一般に無形財産権を権利と認識する意識が希薄です。米国でビデオを買うと冒頭に無断複製へのFBIの警告が出てくることに象徴されますが、米国が中国等の海賊版の氾濫に頭に来るのも無理はありません。日本では有形の物への権利侵害には厳しいのですが、無形のノウハウやアイデアを保護するルールは厳格とは言えないような気がします(安い物を万引きするのは犯罪でも貴重な他人のアイデアを拝借するのは犯罪とまでは言い切るのは困難ですか)。
また、そんなことはないと思いたいのですが、調査レポートも中身のソフトよりもハードとしての紙の分量で判断する発注者も日本には多いと聞きました。これとベンチャーがどういう関係があるかというと、大いに関係があるのです。シリコンバレーでヒアリング等の調査をしている時に感じたこととして、こんなにオープンなビジネス風土でビジネスのアイデア等が盗まれはしないかというもっともな疑問でした。他の日本人からもよく聞かれるようですので、私の感覚がおかしいわけでもなさそうです。時々、米系企業を訪問すると、秘密保持契約なるものを渡されサインをして下さいと言われたことがありました。私などは完全な事務屋ですから何が重要な技術要素なのかちんぷんかんぷんで全く心配ないのですが、相手にとっては重要なことです。
よいことも悪いことも何事も隠すのを美徳とする日本の風土から見ると、こんな契約書を締結するくらいなら情報開示しなければよいのにということになります。また、日本では契約という概念が曖昧なので(たとえば雇用契約)、サインしても文面通りに守ってくれる人は少ないと思うのが自然ではないでしょうか。ところが、米国では契約違反というのは、日本人が考えるよりもはるかに厳格に制裁されるもののようです。ベンチャーを支える米国のソフトインフラとして、会社の名前ではなく製品や商品の良し悪しで購買を決定する企業や消費者マインドと並んで、オープンなビジネス風土を支える無形財産の保護意識が重要なのではないでしょうか。
もう一つは、最近注目されてきた銀行の無形財産権担保の問題があります。従来は不動産に偏りがちだった担保の考え方をベンチャー企業の実態に合わせて、特許権などを担保として評価しようとする動きです。これ自体はとてもよい傾向なのですが、課題もあります。銀行にとって審査が難しいという点はさておくとしても、問題はそれらの無形財産権を社会全体が評価してくれるかということです。万が一、貸出先の企業が倒産した場合、そうした無形財産権を適正に評価し買い取ってくれる仕組みがなければ、銀行だけが努力していても限界が出てくるでしょう。
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第6に、失敗に対する見方の違いとよく言われますが、もう少し大きく見て教育を最後に取り上げたいと思います。実は、この教育こそがベンチャーの発展にとって最も重要なポイントだと考えています。米国駐在中に子供を現地校に入れる機会がありました。入れてみてわかったのは、教育方針の根本的な違いです。米国でお世話になった幼稚園や小学校では、子供が小さい時から、皆個性があって一人一人(得手不得手も)違う、あなたはどう感じどう考えるか、とにかくチャレンジしてみようなどと徹底的に教え込むわけです。これが、日本の学校では、誰とでも仲良くしようというのはよいのですがこれがみんなと同じようにというふうに変わってしまう、あなたはどれだけ言われたことをきちんと聞いて覚えたかが重要であると徹底的に教え込みます。日本人の独創性の議論がありますが、私見ではこれは生まれ持っての天性ではなく、後天的な教育のなせる業だと思います。また、チャレンジ精神についても米国にはフロンティアスピリットという建国精神が浸透しているという違いがあります。最先端の技術を追いかけている技術者からは、フロンティアスピリットを感じました。
もう一つは教育の質の問題です。世界中がグローバルな地域間競争の渦に巻き込まれようとしている現在、日本でも国際競争力向上のため健全な競争社会の構築が求められていると言えます。しかし、日本の教育はゆとり教育という名目の下に教育のレベルを下げることによって様々な学校の問題を解決しようとしているようにさえ見えます。できてもできなくても評価をマイルドにして競争という現実から意図的に逃避させ、中学校になって現実はこうですと言うのでは、きれてしまう子供が続出しても不思議はないかもしれません。米国の学校では、自分の得意分野を伸ばす教育を前提に小さいうちから楽しく競争することを教えていたので感心しました。日本の教育は、反対に自分の不得意分野を人並みにすることに重点を置く減点主義的な考え方です。建前では起業家精神が必要と言われていますが、能力主義や起業家精神に対する社会的評価は米国では極めて高いと思います。日本でも「楽しく競争できる」ことを教えていく必要があるのではと思います。こうしたところが、倒産などへの社会的評価とつながっているのかもしれません。「学校は社会を映す鏡である」という言葉に米国で出会いましたが、まさに至言と思います。
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私の雑感はこれで終わりです。最後に、ある大手民間銀行を脱サラしてシリコンバレーに飛び込んだ人の言葉を引用したいと思います。それは、「人間は合理的に行動する。」というものです。米国人に日本の終身雇用・年功序列制度を説明したところ、「そんなにいい制度はない。僕もそうしたシステムの下で安心して働きたい。」という声が多かったのは意外でした。私の家に大手のエレクトロニクスメーカーを脱サラして自営の修理業をしている米国人がいましたが、「いつ首になるかもしれないから、自営が一番。」という言葉には驚きました。しかし、好況時でもリストラという名の首切りが行われ、まじめに業績を挙げていても何か光る才能がなければ解雇の可能性がある厳しい米国の雇用環境を見ると、こうした言葉にも合理性があります。日本の終身雇用・年功序列制度には安定という利点があるのですが、これが崩れつつある現状では、日本でもベンチャーが真の意味で見直される日も近いのかもしれません。…但し、それには構造改革の痛みも伴うという覚悟も必要でしょう。
(いとう・たつや)